第3話 初仕事、屍ゴブリン退治
屍ゴブリンの小さな体は、さらさらと灰になって崩れた。
風が吹く。
灰になった屍ゴブリンが、荒野の砂に混じって消えていく。
あまりにも簡単に。
あまりにも気持ち悪く。
あまりにも、あっけなく。
「……もう嫌や! お家帰してっ!!」
「帰しません」
ギンコの無慈悲で淡々とした声。
「とりあえず童貞卒業、おめでとうございます」
「下種な言い回しやめろや!」
俺は自分の手を見た。
木製バットを握った手が震えている。
指先が冷たい。
心臓が耳の奥で暴れている。
殺した。
俺が。
自分の手で。
相手が人間ではないとか、ゾンビ化した魔物だとか、そういう理屈はある。
けど、さっきまで動いていたものを、俺が殴って殺した。
その事実だけで、胃の奥に重く沈んでくる。
「……殺した手の感触が気持ち悪すぎる」
「正確には、すでに死に損なっていた存在を停止させました」
「言い方変えても、俺の気分は軽くならんぞ」
「では、先ほど屍ゴブリンを一撃で撲殺できた理由ですが」
「サラッと俺の気分を流さんといて!」
ギンコは俺の動揺を気にした様子もなく、黒ぶち眼鏡を前足で押し上げた。
「その木製バットには、屍化した存在への特効加工が施されています」
「特効加工?」
「はい。我々が提供する武具は、職人による特殊加工品です。屍ゴブリン程度なら、致命打一発で灰に還せます」
「つまり……フルスイングしまくれば、奴らを殲滅できる?」
「簡単なお仕事でしょ?」
「簡単なわけあるか! 命懸けで試す側の気持ち考えろ」
「考えた結果、木製バットをおすすめしました」
「十二万円でな!」
「はい。良い買い物でしたね」
「まだ納得はしてへん!」
だが、正直に言えば。
さっきの一撃で、俺は少しだけ理解してしまった。
このバットなら、ヤれる。
相手が化け物でも。
動く屍ゴブリンでも。
ぶん殴れば灰になる。
それが分かった瞬間、ほんの少しだけ、足の震えが弱くなった。
だが。
「ギィィィッ!」
「グギャァァッ!」
「ギ、ギギィィ!」
「……ですよねぇぇぇっ!」
一匹倒したくらいで終わるわけがなかった。
光の壁の外に群がっていた屍ゴブリンたちが、次々と俺の方へ顔を向ける。
そいつらが、濁った目をぎょろりと動かし、一斉にこちらへ走り出した。
「ちょ、待て待て待て! いっぺんに来るんやない!!」
「待ちませんよ。屍ゴブリンに交渉能力はありません」
「ギンコ! 助言! 助言は!?」
「全弾フルスイングです」
「雑!」
「そんな心持ちでは甲子園には行けませんよ?」
「誰が高校球児や! もっと具体的な指示はないんか!?」
「めんどくさい人ですね。なら、あれらをムカつく上司だと思ってください」
「……なんか、その言葉で冷静になれる自分が怖いわ」
二匹目が迫る。
俺は後ずさる。
だが、後ろには光の壁の裂け目。
ここで逃げ戻ることはできる。
できるが。
後ろからギンコの声が飛んだ。
「戻るのは構いませんが、未討伐のまま戻れば研修評価は最低です」
「研修評価なんか気にしとる場合か!」
「加えて、返済意思が低いと判断し、あなたを処分します」
「それは気にせなあかんやつや!」
くそ。
くそくそくそ。
やるしかない。
俺は震える手でバットを握り直した。
目の前の屍ゴブリンが、腐った口を開けて飛びかかってくる。
怖い。
気持ち悪い。
逃げたい。
でも――
「やったらぁぁぁぁぁ!」
俺はバットを振った。
今度は、さっきより少しだけ狙った。
バットは屍ゴブリンの首に当たり、めきりと嫌な音を立て、灰にした。
「ギィッ!」
「うそやん!」
振り抜いた俺の隙をつき、他の屍ゴブリンがそのまま俺にしがみついてきた。
噛みつこうとする口が、俺の首筋に近づいた。
「ぎゃあぁぁっ、近い臭い近い!」
次の瞬間、屍ゴブリンの歯が俺の首に触れ、薄い光に弾かれた。
ばちんっ、と紫電が走る。
屍ゴブリンの顔面が軽く焦げ、俺も痺れるような痛みでのけぞった。
「ギャッ!?」
「痛てぇ!?」
めちゃ痛いけど……た、助かった。
今、確実に噛み殺される思った。
だが、噛まれなかった。
死ぬことはなかった。
これが三日間限定の加護の力か。
なら。
「俺、やれんのか……?」
震えて吐きそうだ。
さっき屍ゴブリンの頭を砕いた感触が、まだ手のひらに残っている。
嫌な感覚や。
人間として、たぶん嫌悪すべきもの。
やのに。
俺は、殺される側ではないと知った。
ほんの少しだけ、胸の奥で妙な熱になった。
戸惑ってしまう。
自分の中に、こんな熱があることに。
正直、怖いと思った。
「……善一郎様?」
ギンコの声が、わずかに低くなった。
「なんや」
「いえ。思ったより、切り替えが早いですね」
「切り替えんと死ぬやんけ」
「その通りです」
目の前の屍ゴブリンが、焦げた顔でまた噛みつこうとしてくる。
俺はそいつを見た。
怖い。
怖いが――ギンコの言葉を思い出した。
あれはゴブリンやない。
あれは、休日の朝一番に「明日提出する資料、全部直しといて」と言ってきた課長や。
そう思った瞬間。
ほんの少しだけ、バットが振りやすくなった。
「休日に仕事の電話かけんな! 糞課長!!」
俺はバットを振り抜いた。
今度は頭に当たった。
ごしゃっ。
屍ゴブリンの頭が潰れ、灰になる。
三匹目が来る。
四匹目も来る。
五匹目は、足を引きずりながら、俺の横へ回り込もうとしていた。
俺は悲鳴を上げながら、バットを振った。
空振りもするし、転びかけたりもした。
腕を掴まれ、爪が腕に当たり、加護の光が弾き、痛みが走る。
「ギンコ! 横! 横来とる!」
「分かっているなら対処してください」
「助けろや!」
「右から二体。左は一体。正面の屍ゴブリンは足が遅いので、後回しで構いません」
「そういう助言、できんのかい!」
俺は右から来た一匹に向かって、思い切りバットを振った。
屍ゴブリンの顔面がひしゃげ、灰が舞う。
また一匹、消える。
俺の呼吸が荒くなると同時に、腕が重い。
肩が痛い。
手のひらの皮が擦れている。
だが、屍ゴブリンは待ってくれない。
次が来る。
その次も。
俺は必死でバットを振った。
当たれば倒せる。
気づけば、俺は奴らの動きを観察していた。
ただ怯えるだけじゃなく、考えながら、相手の動きと自分の動きを客観的にとらえる。
どう立ち回れば安全に攻撃できるのか。
どう動けば危険なのか。
「善一郎様」
「はぁ、はぁ。な、なんや!」
「意外と、適応力がありますね」
「褒めるならもうちょい素直に褒めろ!」
「褒めています。あなたの前任者は、この時点で泣きが入ったので」
「俺も泣きたいわ!」
てか、この狐、さらっと前任者がおる言うたな。
なら、あの教会にぶら下がってた縄って……。
背中に、別の寒気が走った。
「しかし、戻っていません」
「戻ったら処分する言うたやろが!」
「それでも、踏みとどまっていることに変わりはありませんので」
俺は返事をしなかった。
返事をする余裕がなかった。
目の前から屍ゴブリンが飛びかかってくる。
俺は一歩踏み込み、バットを力任せに横薙ぎに振り抜いた。
頭が弾け、灰が舞う。
その瞬間、胸の奥でまた熱が跳ねた。
「は、はは……」
口から、変な笑いが漏れる。
自分でも気持ちの悪い笑いだった。
ギンコが、ちらりと俺を見た気がした。
「善一郎様、笑っていますよ」
「笑ってへん!」
「笑っていました」
「気のせいや!」
気のせいであってほしい。
こんな状況で笑うやつなんて、まともやない。
でも、胸の奥の熱は消えない。
恐怖と、吐き気と、生存本能と、何かよく分からない高揚感が、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。
俺はそれを、全部まとめて怒りに変えた。
「あれはゴブリンやない……」
次に来た一匹を見る。
顔の半分が崩れている。
だが、俺の頭の中では、別の顔になった。
「定時五分前に仕事振ってくる上司や……」
「善一郎様?」
「お前は、今日中に資料直せ言うてくる糞上司やぁぁぁっ!」
俺は叫びながらバットを振った。
屍ゴブリンの頭が弾ける。
「お前は、有給理由をしつこく聞いてくる課長!」
ごしゃっ。
「お前は、何でもかんでも『なる早』で済ませる取引先やぁぁぁ!」
ごしゃぁっ!
気づけば、俺は叫びながら、がむしゃらにバットを振っていた。
まともな戦い方じゃない。
剣士のような美しさも、勇者のような格好良さもない。
ただ、必死やった。
汗をかき、息を切らし、何度もつまずき転びそうになりながら、それでも目の前の屍ゴブリンを殴り続けた。
加護が何度も光った。
飛びかかってきた屍ゴブリンを、肩で受けて倒れそうになった。
それでも、俺はバットを離さなかった。
一匹。
また一匹。
灰になる。
数が減っていく。
壁を叩いていた音が、少しずつ減っていく。
やがて、その音も途切れていった。
最後の一匹が、足を引きずりながら俺に向かってきた。
片目が潰れている。
腹が裂けている。
それでも、口だけは大きく開いていた。
俺は荒い息を吐きながら、バットを持ち上げた。
「……来んな」
「ギィィ……」
「来んな言うとるやろ……!」
最後の屍ゴブリンが飛びかかる。
俺は半歩だけ横へずれ、伸びてきた腕を避ける。
そして、体勢を崩したそいつの頭へ、バットを振り下ろした。
ごしゃっ。
最後の屍ゴブリンの体が、灰になって崩れていった。
風が吹いた。
赤黒い空の下で、灰が舞う。
俺はバットを握ったまま、しばらく立っていた。
もう、動くものはない。
教会の周りに群がっていた屍ゴブリンは、全部消えていた。
「……終わった?」
「はい」
ギンコの声が聞こえる。
「周辺の屍ゴブリン二十体の討伐を確認しました」
「二十……」
「正確には二十一体です」
「細かい……」
そこで、俺の膝から力が抜けた。
「あ」
そのまま、俺は地面に倒れ込んだ。
背中が荒野の地面にぶつかる。
痛い。
俺は大の字になって、赤黒い空を見上げた。
息が荒い。
腕が重い。
肩が焼けるように痛い。
手のひらがじんじんする。
心臓が、まだ馬鹿みたいに暴れている。
「……生きとる」
口から、ぽつりと声が漏れた。
「俺、生き残れたわ……」




