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ファンタジー・オブ・デッド~借金100億の社畜、鬼畜な銭ゲバ狐とバット片手に滅びかけの異世界で出稼ぎサバイバル~  作者: おにぎり


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第2話 出稼ぎ先、地獄でした

鼻の奥がつんと痛むほど乾いた風が、荒野を吹き抜けていく。


 空は妙に赤黒い。

 まるで世界そのものが、薄汚れた血の色に染まっているみたいやった。


 そんな荒野の真ん中に、ぽつんと一つだけ建物が建っている。


 一見すれば、ただのボロい教会。


 だが、その入り口付近の壁には、大きく血文字でこう殴り書きされていた。


 ――I'm Free.

 ――俺は自由だ。


 その文字の上で、教会の軒先からぶら下がった輪っか状の縄が、荒野の風に揺れている。


 そして、もう一つ。


 教会の周囲だけが、薄い光の壁に包まれていた。

 半透明の膜みたいな光が、教会を囲むように広がっている。


 その光の壁の外側で――


「ギィィ……」


「ギャ、ギャァァ……」


「グ、グギィィ……!」


 小柄な化け物たちが、何度も何度も壁を殴りつけていた。


 醜悪な顔。

 緑色の肌。

 尖った耳に、黄色く濁った目。


 たぶん、あれはゴブリンとかいうやつや。


 ゲームや漫画に出てくる、雑魚モンスターの代表格。


 だが、俺が知っているゴブリンとは、明らかに何かが違う。


 一匹は、右腕が肘から先ごとなかった。

 一匹は、腹が裂け、中身のモツを垂らしていた。

 一匹は、顔の半分が潰れていた。


 それなのに。


 そいつらは、動いていた。


 痛みも恐怖も感じていないみたいに、濁った目で俺を見ながら、光の壁に爪を立てている。


 爪が光に触れるたび、じゅう、と嫌な音が鳴った。

 焦げた臭いが、乾いた風に混ざる。


 俺は教会の前に立ったまま、遠い目をした。


「……ほんまに、異世界来てもうた」


 口から出た声は、自分でもびっくりするくらい乾いていた。


 昨日まで、俺は普通のサラリーマンやった。


 朝起きて、満員電車に揺られ、上司に頭を下げて、夜遅くの帰りに半額弁当を買って帰る。


 そんな、ごく普通の人生を送っていたはずやったのに。


 それが今はどうや。


 親父が残した身に覚えのない借金百億を背負わされ、怖いパンチ親父に脅され、気がつけばこんな荒野の真ん中に立っている。


 しかも目の前には、壊れているのに動くゴブリン。


 ……意味が分からん。


「なあ」


 俺は、隣にいる小さな影に声をかけた。


「これ、異世界のデフォルトなん?」


「いいえ」


 すぐ横から、涼しい声が返ってきた。


「この世界が壊れているだけです」


「もっと嫌な答え返ってきたんやけど」


 俺の傍らには、一匹の狐がいた。


 狐といっても、ただの狐ではない。


 銀色の毛並み。

 ふさふさの尻尾。

 小さな体。


 そして、顔にはなぜか黒ぶち眼鏡。


 妙に賢そうな顔で、こちらを見上げている。


 名前はギンコ。


 あのパンチ親父――俺に百億の借金を押しつけた大男が、異世界出稼ぎのお目付け役兼サポート役として寄越した俺専用の使い魔らしい。


 見た目だけなら、かなり可愛い。


 ドストライクや。


 だが、さっきから口にする内容が一つも可愛くないんやけど。


「善一郎様」


 ギンコは黒ぶち眼鏡を小さな前足で押し上げるような仕草をした。


「あれらを掃除するのが、あなたのお仕事です」


「掃除て」


 俺は光の壁の向こうを見た。


 片腕のないゴブリンが、壁に額を打ちつけている。


 腹の裂けたゴブリンが、歯を鳴らしている。


 顔の半分が潰れたゴブリンが、こっちを見て笑っているように見えた。


 そいつらの口元には、黒く乾いた血がこびりついて、何かを食った後みたいやった。


「掃除って言葉で済む見た目ちゃうやろ、あれ」


「では、駆除と言い換えますか?」


「言い換えたところで怖さは据え置きや」


「では、説明を続けます」


「俺の精神状態は無視なん?」


 ギンコは俺の抗議を綺麗に無視した。


 そして尻尾をゆらりと揺らす。


「この世界は、現在、人類滅亡の危機に瀕しています」


「初手から話が重すぎやろ!」


「原因は不明ですが、およそ三年前、この世界全域に赤い雨が降りました」


「赤い雨?」


「はい。その雨を浴びた人間、獣、魔物の多くが、死にきれない怪物へと変異しました。現在、外を徘徊している存在の大半は、いわゆるゾンビです」


 ギンコは、光の壁の外を見た。


「あれらも、元は普通のゴブリンです。今は屍化した魔物。通称、屍ゴブリンですね」


「いや、普通のゴブリンの時点で俺からしたら十分異常やねんけど」


 実際、光の壁の外には、少なくとも十匹以上の屍ゴブリンがいた。


 そいつらが何度も光の壁を叩き、爪を立て、歯を剥いている。


 壁がなかったら、今頃俺はあいつらに囲まれている。


 いや、囲まれるだけで済むか?


 たぶん、食われる。


 確実に食われる。


 俺は喉を鳴らした。


「ちなみに、ここは安全なんやんな?」


「ええ。この教会には、私どもが加護を施しております。そのため、周囲に簡易的な安全圏が形成されています」


 ギンコは光の壁を前足で示した。


「今の善一郎様が安全でいられるのは、この光の内側だけです」


「ほな、俺は一生ここにおるわ」


「なら、返済能力不能とみなし、あなたを処分します」


「!?」


「当然でしょう。私どもは慈善事業家ではありません。あなたに返済の意思がなければ、あなたの死体。厳密には部位を売り飛ばすだけです」


「……っ」


 かわいい顔して、なんつうアングラなこと言う狐なんや。


「私どもも極力、そんな処分はしたくありません。なんの希少性もない善一郎様の体を売ったところで、たいした回収もできませんしね」


「言い方!」


「諦めてください。あなたが生き残る術は、ここで引きこもることではありません」


「進んでも地獄、引いても地獄とはまさにこのことやな……」


 俺は思わず頭を抱えた。


 借金百億。


 異世界転移。


 人類滅亡寸前。


 ゾンビ化したゴブリン。


 安全圏での引きこもりは死。


 そして俺の仕事は、掃除。


 情報量が多すぎるやろ。


「私どもが望む、善一郎様の仕事は三つです」


 ギンコは淡々と続けた。


「一つ、屍化した存在の討伐。二つ、生き残った人類の保護。三つ、安全圏を拡張し、人類の生存権を広げること」


「規模がデカいな」


「借金百億ですから」


「借金の額で仕事内容決めんな」


「加えて、討伐および人類保護には報酬が発生します」


 俺はぴくりと反応した。


「報酬?」


「はい」


 ギンコの眼鏡が、きらりと光った気がした。


「ゾンビを討伐すると、討伐ポイントが加算されます。生存者を保護した場合も、人数や状態に応じて保護ポイントが加算されます」


「ポイント……」


「そのポイントは、借金返済に充当できます」


 その言葉に、俺は少しだけ身を乗り出した。


「ほ、ほんまか?」


「はい。また、武器、防具、魔法、食料、水、医薬品、建材、日用品、その他各種サービスの購入にも使用可能です」


「めっちゃ便利やん!」


「ただし、すべて有料です」


「帰れ」


「私は帰れません。お目付け役ですので」


 ギンコは平然と言った。


「ちなみに、現時点の善一郎様の借金残高は百億円です」


「知っとるわ。忘れたかったけどな」


「現在の装備もゼロです。やる気あります?」


「無理やり連れて来られたんでね!!」


「現在の戦闘能力は、数字で表すと五です。ゴミです」


「微妙にネットミーム使うのやめてくれへん?」


「事実です」


「事実が人を傷つけることもあるんやぞ」


 俺は光の壁の外を見た。


 屍ゴブリンたちは、相変わらず壁を叩いている。


 ぎぃぎぃ。


 がりがり。


 どん、どん、と鈍い音が響く。


 俺は思った。


 無理や。


 これは無理や。


 どう考えても、ただのサラリーマンが処理できる案件ではない。


「なあ、ギンコ」


「はい」


「一応確認なんやけど、俺、喧嘩も武術もしたことないで?」


「見ればわかります」


「なんで、見ただけでわかるねん」


「姿勢、筋肉量、呼吸、目線、すべてが素人です。あと腹が出てます」


「腹は関係ないやろ!」


「何か運動経験は?」


「野球くらいやな。中学までやけど」


「ポジションは?」


「ベンチや」


「……なるほど」


 ギンコは少しだけ考えるように尻尾を揺らした。


「では、剣より鈍器の方が適性があるかもしれませんね」


「待て待て。今の会話から、なんで武器の話に進むんや」


「外の屍ゴブリンを討伐する必要があるからです」


「俺は行くとは一言も言うてへんぞ」


「行かなければ、私があなたを掃除します」


「そのなんでも切り裂きそうな爪しまってくれへん……?」


 俺は頭を抱えたまま、その場にしゃがみ込みたくなった。


 だが、しゃがみ込んだところで状況は変わらない。


 光の壁の外では、屍ゴブリンが増えている気がする。


 一匹、また一匹と、荒野の向こうからふらふら歩いてきては、壁の前に集まっている。


 あかん。


 これ、放っておいたら本当に詰むやつや。


「善一郎様」


「……なんや」


「腹を括って、とりあえず外の屍ゴブリンを殺してきてください。うるさいので」


「言い方が雑!!」


 俺は叫んだが、ギンコは涼しい顔だ。


 いや、狐なので顔色は分からんが。


 とにかく、まったく動じていない。


「無理やって! 素手であんなもん倒せるわけないやろ!」


「確かに、素手では厳しいでしょう」


「ほな諦めよう」


「では武器を購入しましょう」


「話聞いてた?」


「善一郎様の初期装備として、適性に合いそうなものを選定します」


 ギンコが小さく前足を振る。


 すると、俺の目の前に半透明の板みたいなものが浮かび上がった。


 まるでゲームのメニュー画面みたいだった。


 そこには、いくつかの文字が並んでいる。


【武具ショップ金魂屋 購入装備一覧】


【錆びたナイフ 500P】


【木槍 800P】


【粗悪な剣 1,000P】


【木製バット 1,200P】


 俺は、その表示を見て固まった。


「……なあ」


「はい」


「俺、所持ポイントなんてないよな? 買えへんやん」


「ご安心ください」


 ギンコは、にっこり笑った。


 狐なのに、邪悪な笑みや。


「本日初回限定で、借金加算による購入が可能です」


「全然安心できへん!」


「木製バット、千二百ポイント。現代円換算で十二万円。借金残高に加算されます」


「木の棒一本で十二万円!? 高っ!」


「わが社が誇る、超一流の職人が、素材を吟味しこだわって作っておりますので」


「ちなみに購入せんかったら?」


「素手で行くことになります」


 俺は光の壁の外を見た。


 屍ゴブリンが、歯を鳴らし黄色く濁った目で、じっと俺を見ている。


 たぶん、いや、絶対に俺のことを餌だと思っている。


 俺はメニュー画面を見た。


 木製バット。


 十二万円。


 借金加算。


 百億に比べれば誤差。


 いや、誤差とか思い始めたら終わりやな。


 終わりやけど――素手よりはマシ。


「……買う」


「ありがとうございます」


 ギンコがそう言った瞬間、メニュー画面が淡く光った。


【木製バットを購入しました】


【借金残高に十二万円が加算されました】


【現在の借金残高:百億とんで十二万円】


「増えたぁぁぁぁぁっ!!」


「当然です。購入しましたので」


「俺、初日から借金増やしてどうすんねん、これ」


「生存のための必要経費です」


「正論やけども!」


 次の瞬間、俺の手の中に、ずしりとした重みが生まれた。


 木製バット。


 見た目は、ごく普通の木製バットだった。


 野球用品店に置いてありそうなやつだ。


 けれど、握ると妙に手に馴染んだ。


 懐かしい感触だった。


 中学の頃、夕方まで素振りをしていた記憶が、ほんの少しだけ蘇る。


 ……いや。


 だからといって、屍ゴブリンを殴れるかどうかは別問題やけどな。


 ギンコが、光の壁の方へ歩いていく。


「善一郎様、準備は整いました」


「心の準備は一切整ってへんけど?」


「それは時間の無駄です」


「俺の心をもう少し大事に扱え」


「なお、屍ゴブリン一体の討伐報酬は、状態にもよりますが、およそ五十ポイントから百ポイントです」


「五千円から一万円くらいか……高いんか安いんか分からんな」


「十体倒せば、最低でも五百ポイントです」


「木製バット代にも届かんやないか!」


「はい。なので働きましょう」


「地獄の雇用契約やんけ」


 俺はバットを握り直した。


 手のひらに汗が滲む。


 心臓がうるさい。


 光の壁の向こうでは、屍ゴブリンたちがこちらを見ている。


 何匹かは、俺が近づいたことに気づいたのか、壁を叩く勢いを強めた。


 薄い光が揺れ、俺は恐怖で思わず一歩下がった。


「やっぱ無理や。無理無理。これ研修とかないん?」


「実地研修です」


「最悪や」


「ご安心ください。最初の三日間はボスのご厚意によりサービス期間となっております」


「サービス期間?」


「はい。教会と同じ加護を善一郎様に施されております。今は並大抵の攻撃で傷一つ付きません」


「それ、ほんまか?」


「ただし、多少の痛みと加護発動時に、百ポイントを徴収しますのでご注意を」


「痛い思いして、金もとるんか!?」


「この世界に無償でのサービスなど御座いません」


 こいつ、俺の穴の毛(けつのけ)までむしらな気がすまんのか……。

 まぁ、多少の痛みってのがどんなもんか分からんけど、ギンコの話がほんまなら少しは恐怖が和らぐな。

 でも、あの数はやっぱ俺一人やと不安や。


「ギンコは戦ってくれへんのか?」


「私はお目付け役兼サポート役です。戦闘は業務外です」


「役に立たん狐やな!」


「武器を販売しましたよ」


「俺の借金でな!」


 俺はギンコに連れられて、渋々光の壁の前で立ち止まる。


「善一郎様、今からこの光の壁を、内側からなら一時的に開けますので」


「開けんでええで」


「開けます」


「聞けや」


 ギンコは、眼鏡の奥の目を細めた。


「善一郎様。あなたの目的は、借金返済です」


 その声は、駄々を捏ねる子供を諭すみたいな、静かで芯のある声だった。


「そして、この世界で生き残るためには、戦うしかありません」


 俺は黙った。


 母さんのこともある。


 帰る方法も分からない。


 借金も消えていない。


 この光の壁の中に閉じこもっていても、ギンコに処分される。


 なら、やるしか道はないのか……。


「……ボスの言った通り、本当に笑うんですね」


 ギンコの指摘に、俺は口元を押さえる。


 悪い癖や。追い詰められて笑ってまうなんて、変態やんけ。


「昨日まで、コピー機の紙詰まりと戦ってた男やのになぁ」


「今日からはゾンビたちと戦ってください」


「仕事内容の落差ぁ……」


 俺は大きく息を吸い、バットを構えた。


 昔、何度もやった構え。


 ベンチだった俺は、別に打撃が得意だったわけやない。


 だが、バットの振り方くらいは知っている。


 今でも休日に、バッティングセンターでストレス解消のために通っているんや。


 問題は、目の前にいるのがボールではなく、腐ったゴブリンだということやねんけど。


「ギンコ」


「はい」


「もし俺が死にそうになったら?」


「お疲れ様です」


「冷たっ!?」


 ギンコが小さな前足を光の壁へ触れた。


 淡い光が、縦に裂けるように開いていく。


 その瞬間、外から腐臭と熱気と、屍ゴブリンたちの唸り声が一気に流れ込んできた。


「ギィィィィッ!」


「グギャァァッ!」


 近くにいた一匹が、こちらへ顔を向ける。


 頬の肉が削げ落ちた顔。


 濁った目に開きっぱなしの口。


 そいつが、ゆらりと俺に向かって歩き出した。


 俺はバットを握る手に力を込める。


 膝が笑って心臓がうるさい。


 帰りたい。


 めちゃくちゃ帰りたい。


 俺は、喉の奥から無理やり声を絞り出した。


「……労災もないんか、この職場」


「ケガをしても、こちらで揉み消すので労災にはなりません」


「怖すぎるわ!」


 俺は木製バットを構えたまま、光の壁の外へ一歩踏み出した。


 こいつを倒せば、少なくとも一歩進む。


 なら、後は勢いに任せて、未来の俺に託す。


 ――やってやるんや。


 その瞬間。


 屍ゴブリンが、俺に向かって飛びかかってきた。


 間近で見ると、嫌悪感がヤバすぎる。


 頭が割れて、脳髄の一部が漏れ出てるやんけ、コイツ。


「ギィィィィッ!」


「うわぁぁぁぁぁっ!?」


 俺は目を瞑りながら、力任せにバットを振った。


 ぐしゃり。


 嫌な音がした。


 手のひらに、骨とも肉とも分からないものを叩き潰した感触が残る。


 恐る恐る目を開けると、屍ゴブリンの頭部が潰れて地面に転がり、灰となっていく。


「……」


 俺は震える手でバットを握り直した。


「今ので五十ポイントですね」


 ギンコが半透明の板を見ながら、そう答えた。


「一匹倒して、五千円……?」


 こんな思いして?


「はい」


「……もう嫌や! お家帰してっ!!」


「帰しません」

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