第29話 借金持ちの約束
シルビアの車内には、重い沈黙が落ちていた。
床には、森辺の導きが残した装備。
どれも使い込まれ、傷だらけで、それでも持ち主の生きた証のように静かに置かれている。
ナナミンは、それをじっと見つめていた。
薄紫色の瞳が、わずかに揺れている。
「そうですか、森辺の導きの皆さまを……故郷の森へ……」
かすれた声で、ナナミンが呟いた。
俺は頭を掻く。
「まあ、俺の勝手な自己満足やけどな。知らん町の教会に置きっぱなしは、なんか違う気がしてな。もしかして、余計なお世話やった?」
ナナミンは、小さく頭を下げた。
「いえ、同胞として感謝を……彼らは屍になってしまいましたが、紛れもなく我らの英雄でしたから」
その仕草は弱々しかったが、ちゃんと王族らしい品があった。
俺は少し居心地が悪くなって、視線を逸らす。
「礼を言われるようなことちゃう。俺は……」
そこまで言いかけて、ふと気づいた。
「あれ?」
車内を見回す。
エネ。
ナナミン。
またたび。
雷の精霊。
いる。
けど、一匹足りない。
「あれ、鬼畜狐は?」
「誰が鬼畜狐ですか」
「うおっ!?」
声が真横から聞こえた。
いつの間にか、ソファーの端に銀色の狐が座っていた。
黒ぶち眼鏡を押し上げながら、涼しい顔でこちらを見ている。
「善一郎様。人を悪し様に呼ぶのは感心しませんね」
「いつからおったんや?」
「少し前からです」
「怖っ。気配消して座るなや」
ギンコは何食わぬ顔で尻尾を揺らした。
ナナミンが、びくりと肩を震わせる。
その視線は、ギンコに向けられていた。
明らかに彼女の目には警戒の色があった。
こいつ、こんないたいけな少女に何をしたんや。
「おひいさま、大丈夫です」
エネが慌てて間に入った。
「この方は、救世主様に従う聖獣様です」
「従っていませんし、聖獣でもありません。私はただの借金取りです」
「そうやで。こいつは鬼も裸足で逃げ出す、鬼畜借金取り狐や」
ギンコはナナミンへ視線を向ける。
ナナミンは、しばらくギンコを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……黒い狐とは、違うのですね」
「……あれと一緒にされるのは心外です」
ギンコが、ぼそりと言葉をこぼしたような気がした。
俺の気のせいやろうか?
ギンコはナナミンに、瞳を潤ませ、庇護欲をそそるような愛らしい笑顔を向けた。
「私から、邪悪な感じはしますか?」
正直、そのギンコの愛らしい笑顔に俺は怖気が走った。
「か、可愛い……。い、いえ! まったくそんな気配はありません」
「それは何よりです」
俺はギンコをじっと見た。
「なにか?」
「お前、どこ行ってたんや」
「お散歩です」
「この屍だらけの町で?」
「健康のために」
「絶対嘘やろ!」
「善一郎様に疑われるようなことはしておりません」
「疑われるようなことしかしてへん奴の台詞やぞ、それ!」
俺がじとっと見ても、ギンコは平然としている。
こいつは怪しい。
めちゃくちゃ怪しい。
だが、追及する前に、運転席からまたたびの声が飛んできた。
「おい、お前ら。そろそろ出るぞ」
「出る?」
「ああ。さっきので町中の屍が反応し始めてる。ここで長居すると囲まれるからな」
モニターを見ると、確かに町のあちこちから屍たちが集まり始めていた。
人型の屍。
獣の屍。
魔物の屍。
瓦礫の向こうから、赤黒い目がいくつもこちらへ向かってきている。
「うわ、ほんまや。集まり方がキモい」
「目的のおひいさまも確保した。なら、ここにいる理由はねぇ」
またたびが運転席でハンドルを握る。
「西の森へ向かうぞ」
「頼むわ」
「捕まってろよ。町を出るまでは少し荒れる」
「少しで済むんやろな?」
「俺基準ではな」
「一番信用できん基準やんけ」
シルビアのエンジンが低く唸る。
車体が動き出した。
屍たちが群がってくるが、またたびはハンドルを軽く切り、車体の側面でまとめて弾き飛ばす。
どんっ。
どがんっ。
外で鈍い音が響く。
ナナミンが小さく肩を震わせ、エネがその手を握った。
「大丈夫です、おひいさま。シルビアは強いですから」
「鉄の聖獣……すごいのですね」
「タクシーなんやけどなぁ……」
俺の呟きは、エンジン音にかき消される。
シルビアは屍の群れを弾き飛ばしながら、壊れた門を抜けた。
◇
町を抜け、シルビアは平野と森の境目へ向かって走っていた。
モニターの外には、黒ずんだ草地と、遠くに見える西の森の影。
空は相変わらず赤黒い。
けれど、車内は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
ナナミンはソファーに座り、聖獣の卵を胸元で大事そうに抱いている。
エネはその隣に座っていた。
俺は向かいの席に腰を下ろし、ナナミンから聞いた話を頭の中で整理していた。
「つまり、聖獣様が黒い狐に殺されて、聖域が消えた。森の主が第一城壁を壊して、んで、今は第二城壁でなんとか耐えてる……ってことか」
「はい」
ナナミンは小さく頷いた。
「ですが、長くはもちません。第二城壁の内側に逃げ込めた者も多くはありません。食料も、兵も不足しています」
「森の主は、今は退いたんやな?」
「はい。第一城壁を破った直後、何かに抗うように苦しみ、森の奥へ戻りました」
「何かに抗うように、か……」
俺は顎に手を当てる。
嫌な感じだ。
黒い狐と森の主。
そして、聖獣の卵。
全部がどこかで繋がっていそうなのに、俺には全然見えていない。
俺はちらりとギンコを見た。
「……」
ギンコはソファーの端で、何の反応も示していない。
黒い狐の話にも、聖獣の話にも、表情を動かさない。
それが逆に怪しい。
「ギンコ」
「なんでしょう」
「黒い狐について、何か知らんのか?」
「現時点で、善一郎様にお話しできる確定情報はありません」
「言い方がもう怪しい」
「憶測で話すのは、仕事人として不適切です」
「便利な言い訳やな」
ギンコは涼しい顔で尻尾を揺らした。
俺は深いため息を吐く。
正直、悩んでいた。
聖獣は既に殺され、エルフ国の存亡は風前の灯、おまけに森の主の討伐。
聖獣を殺された時点で依頼失敗ではなかろうか?
それに状況が想像以上に悪い。
もう、エルフ国に着いた時には手遅れかもしれない。
ナナミンと聖獣の卵を守るなら、どこか安全な場所へ逃げる選択もある。
卵が残っているなら、エルフにとって最後の希望はここにあるのかもしれない。
それを危険地帯に連れていくのは正しいのか。
分からない。
俺は、救世主でも軍師でもない。
ただの借金持ちだ。
「……救世主様」
ナナミンが、震える声で俺を呼んだ。
「いや、その呼び方は……」
「お願いします」
ナナミンは、卵を抱きしめたまま、俺を見た。
薄紫色の瞳に涙が浮かんでいる。
「もし、まだ救える道があるのなら……残してきた同胞たちを、どうか……」
小さな体が震えていた。
「私は、卵を守るために逃がされました。でも、国にはまだ、お母様がいます。民もいます。戦っている者たちがいます。見捨てたくは、ありません……」
エネも唇を噛んでいる。
車内が静まり返った。
俺は短く息を吐いた。
「……元から、エルフ国の救援は依頼に入っとる」
ナナミンが顔を上げる。
「正直、間に合うかどうかは分からん。俺に国を救う力があるかも分からん」
俺は自分の手を見る。
無理をすれば、死んでしまうかもしれん。
それでも。
「でも、乗り掛かった舟や。俺にできる精一杯のことはする」
俺は、森辺の導きの装備へ視線を落とした。
「それに、森に還したい奴らもおるしな」
ナナミンの瞳が、揺れた。
エネは胸元で両手を握りしめている。
「救世主様……」
「だから、救世主ちゃうて。何回言わせんねん」
俺は苦笑した。
「俺はただの借金持ちや。借金返済のために働いてるだけの男や」
「でも……」
ナナミンは小さく首を振った。
「それでも、あなたは私たちに手を伸ばしてくださるのですね」
「まあ、見捨てたら寝覚め悪いやろ」
「それを、私たちは救世と呼ぶのです」
「重いわ、その言い方……」
勘弁してほしい。
エネだけでも重いのに、ナナミンまで同じ目で見てくる。
なんだその、祈るような視線は。
俺は本当にただの借金持ちなんやけど。
「またたび」
「あ?」
「西の森まで、あとどれくらいや?」
運転席から、またたびが答える。
「普通に行けば、二日ってとこだな」
「二日……」
長い。
長すぎる。
ナナミンの話を聞いた後では、その二日が致命的に思えた。
またたびは、バックミラー越しにこちらを見る。
「ただし、ぶっ飛ばせば一日でエルフ国の近くまでは送ってやれる」
「できるんか!?」
「できる。だが、シルビアのエンジンに負担がかかる。あまりやりたくない手だ」
「料金は?」
「追加料金が発生する」
「やっぱりな!」
俺は頭を抱えた。
「今どれくらいポイント残ってんねん……」
そう言った瞬間、ギンコが前足を上げた。
「その件について、業務連絡があります」
「業務連絡?」
「はい。ボスより人事異動の通達がありました」
「人事異動?」
嫌な響きだ。
ギンコが黒ぶち眼鏡を押し上げる。
「またたびさんが、正式に善一郎様のサポート使い魔として加わることになりました。あと、私も限定的ですが、戦闘に参加する辞令が下りました」
「「は?」」
俺とまたたびの声が重なった。
「俺が?」
運転席で、またたびが片耳をぴくりと動かす。
「聞いてねぇぞ、ギンコ」
「先ほど決定しましたので」
「また、ボスの無茶ぶりかよ……」
「それにより、今後の移動に関しては料金が発生しません」
「マジで!? てか、ギンコも戦闘に参加するんか?」
俺は思わず身を乗り出した。
ギンコのやつ、事務方やと思っとったのに、戦闘もいけるんか。
「はい。私は妖術での戦闘支援。またたびさんなら、シルビアの特殊装備での戦闘支援になりますね。ちなみに車内のオプションは別料金です」
「無料の範囲、狭ない!?」
「交通費が浮くだけでも大きいでしょう? 私もまたたびさんも戦闘支援のギャラは高額ですので、使用する際はお気をつけください」
「高額なギャラって、お前らはいちいち金で殴らな気がすまんのか? 仲間って金で動くもんちゃうけどなぁ」
「善一郎様は、無償で仲間を酷使すると? 鬼ですか? 現実はそんなに甘くありませんよ?」
鬼狐に鬼と言われた……。
またたびは煙草をくわえ直し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「まったく。ボスは相変わらず人使いが荒い。俺はタクシー業が本業なんだがな」
「嫌なんか?」
俺が聞くと、またたびは少しだけ黙った。
そして、口元をにやりと歪める。
「いや。坊主を乗せてると、退屈はしねぇな」
「それ褒めてるんか?」
「さあな」
その時、車内に小さな音が響いた。
きゅるるるる。
全員の視線が、音の主へ向かう。
ナナミンだった。
彼女は一瞬で顔を真っ赤にした。
「……っ」
聖獣の卵を抱いたまま、俯いてしまう。
エネが慌てて言った。
「おひいさまは三日も逃げ続けておられたのです。お腹が空くのは当然です」
「そ、そうですね……」
ナナミンは耳まで赤くしている。
俺は思わず笑いそうになったが、どうにか堪えた。
「ギンコ。何か食べ物出してやれへんか?」
「可能です」
「おお」
「ただし、先ほどの町での収支ですが、想定よりは伸びていません」
「結構倒したやろ?」
「はい。ですが、森辺の導きとの戦闘におけるスキル支出が大きく、特に四面鬼の連続使用と怒の鬼の臨界砕が高額でした」
「必殺技にも請求か……」
「当然です。高火力は高コストです」
「世知辛い……」
「これからのことを考えると、ポイント消費は抑えたいところです。よって、今回はカップラーメンですね」
「カップラーメン!」
エネの目が輝く。
「また神の食べ物ですか!?」
「神ではありません。庶民の味方です」
「それ、ある意味神やろ」
ナナミンは不思議そうに首を傾げた。
「かっぷ……らーめん?」
「お姫さんの口に合うか分からんけど、たぶんうまいで」
ギンコが前足を振ると、テーブルの上にカップラーメンが人数分現れた。
定番のものから、シーフード、カレー、チリトマト味。
俺は断然シーフード味派や。
残った汁に白飯を入れて食うのが最高なんや。
だが、その直後。
またたびの声が響いた。
「湯なら貸してやる。だが、食うのは少し待て」
「は?」
「今からぶっ飛ばす。スタートの衝撃が半端じゃねぇからな。どこかに捕まってろよ」
「待て待て待て。今、飯出したばっかりやぞ」
「麺が伸びる前に着きたければ、急ぐしかねぇ」
「目的おかしくなってへんか!?」
運転席のモニターに、またたびの顔が映る。
黒猫の目が、ぎらりと光っていた。
あかん。
この顔は知っている。
屍渡りの時と同じ、キチガイドライバーの顔や。
次の瞬間、シルビアの後部から重い金属音が響いた。
がこんっ。
がこんっ。
車体後方の装甲が開き、巨大な噴射口がせり出していく。
赤いランプが点灯し、ハザードが激しく鳴った。
高い警告音と低い駆動音が、車内まで響いた。
「またシルビアに、とんでも機構が飛び出したぁぁぁ!」
「ロケットブースターだ」
「タクシーとは!?」
「速けりゃいいんだよ」
またたびがハンドルを握り直す。
「行くぜ、シルビア」
「みんな捕まれぇぇぇ!」
俺が叫ぶ。
エネはナナミンと聖獣の卵を抱え込むようにしてソファーにしがみついた。
ギンコはちゃっかり座席の固定ベルトを装着している。
そんなベルトなんか、さっきまで無かったのに、どうやったんや!?
「お前だけ準備万端やないか!」
「学習能力の差です」
「腹立つ!」
またたびが笑った。
「飛ばすぜぇぇぇ!」
次の瞬間。
シルビアの後部から、轟音と共に炎が噴き出した。
車体が、前へ跳ねる。
「ぐおおおおおおおおっ!?」
全身がソファーに押しつけられる。
ナナミンの悲鳴。
エネの祈り。
俺の絶叫。
またたびの笑い声。
それらを乗せて、シルビアは西の森へ向かって、赤黒い荒野を爆走した。




