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ファンタジー・オブ・デッド~借金100億の社畜、鬼畜な銭ゲバ狐とバット片手に滅びかけの異世界で出稼ぎサバイバル~  作者: おにぎり


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第28話 聖獣の卵

 シルビアの車内。


 高級ラウンジのような広々とした空間のソファーに、小さな少女が横たえられていた。


 白銀の髪に長い耳。


 汚れ、破れた高貴な衣。


 エネはその傍らに膝をつき、少女の顔を不安そうに覗き込んでいる。


「おひいさま……」


 小さく呼びかける。


 だが、返事はない。


 少女――エルフ国のおひいさまこと、ナナミン・アンブローシアは、まだ意識を取り戻していなかった。


 その胸元の近くでは、雷の精霊が弱々しい光を放ちながら、ふわふわと漂っている。


 まるで、自分も心配しているのだと言うように。


「こんなひどいお姿に……」


 エネは、おひいさまの姿を見て唇を噛んだ。


 衣は泥と血で汚れている。


 白雪のように綺麗な肌には、いくつもの細かな擦り傷が走っていた。


 美しかった髪にも艶がなく、土埃が絡んでいる。


 どう見ても、ただこの町に迷い込んだだけではない。


 ここに来るまでに、長い逃走を続けてきたのだ。


「どれほどの道程を……お一人で……」


 エネの声が震える。


 その時、運転席の方から、またたびが顔を出した。


「お嬢」


「はい……?」


「使え」


 またたびが放り投げてきたのは、白い布の包みと、透明な容器に入った水だった。


 エネは慌てて受け取る。


「こ、これは……?」


「おしぼりと水だ。汚れを拭いてやれ」


「おしぼり……? それに、この透明な容器……こんなに澄んだ水が……」


 エネは驚いたように、ペットボトルを見つめた。


 透明な容器の中で、水が揺れている。


 この世界では、清潔な水は決して当たり前のものではない。


 それが、こんな容器に詰められている。


 エネは思わず、両手で恭しく受け取った。


「あの、お代は……」


「無料だから心配するな」


 またたびは煙草をくわえながら言った。


「坊主には内緒だぜ」


「……ありがとうございます」


「礼はいい。女にそんな顔されるのは嫌いなんだよ、俺は」


 またたびは照れ隠しのように鼻を鳴らし、運転席へ戻った。


 エネは深く頭を下げると、おしぼりを開いた。


 白く柔らかな布。


 そこに水を含ませ、おひいさまの頬をそっと拭う。


「おひいさま……」


 その時だった。


 外で、凄まじい轟音が響いた。


 どごおおおおおおおおんっ!


「っ!?」


 シルビアの車体が、びりびりと震える。


 エネは思わず、おひいさまを庇うように身を乗り出した。


 雷の精霊も、青白い火花を散らして驚いたように跳ねる。


 運転席のまたたびが、モニターへ視線を向けた。


「坊主のやつ、ド派手にかましやがったな」


 モニターに映っていたのは、教会だった。


 崩れた屋根。


 砕けた壁。


 そして次の瞬間、教会の側面から赤黒い衝撃が吹き抜ける。


 壁に大穴が開き、周囲にいた屍たちがまとめて吹き飛ばされていく。


 瓦礫と灰が舞った。


 エネは息を呑む。


「救世主様……!」


 その衝撃がきっかけだったのか。


 ソファーに横たわっていたおひいさまの指が、ぴくりと動いた。


「……っ」


 細いまつ毛が震える。


 ゆっくりと、瞼が開いた。


「おひいさま!」


 エネが声を上げる。


 ナナミンの瞳は、まだ焦点が合っていなかった。


 薄紫色の瞳が、ぼんやりと宙を見ている。


 そして、次の瞬間。


 その顔が恐怖に歪んだ。


「いや……来ないで……!」


 ナナミンは、弱った体で身をよじった。


「近づかないで……! 守らなきゃ……卵を……!」


「おひいさま! 私です! エネです!」


「エ、エネ……?」


 彼女の目が、ようやくエネを捉えた。


 震えていた体が、少しずつ落ち着いていく。


「本当に……エネなの……?」


「はい。エネです。よくぞ……よくぞご無事で……」


 エネの目に涙が浮かぶ。


 ナナミンは、まだ混乱したまま周囲を見回した。


 見慣れない空間。


 革張りのソファー。


 宮殿のような内装。


 光るモニター。


 そして、運転席にいる黒猫。


 おひいさまは目を見開いた。


「ここは……どこなのですか? それに、あの黒猫さんは……」


「あの方は、またたびさん。そして、ここは鉄の聖獣シルビアの中です」


「鉄の……聖獣……?」


「いえ、正確には異世界タクシー? なのですが……」


 エネは説明しながら、自分でも混乱しているような顔をした。


 運転席から、またたびがぼそりと言う。


「シルビアが聖獣か。悪くねぇな」


 ナナミンはまだ状況を飲み込めていない。


 エネはナナミンの手を握った。


「おひいさま。私は、救世主様を見つけました」


「救世主……」


 彼女の瞳に、一瞬だけ光が戻る。


「本当に……私が予言した救世主様なの?」


「はい。その方が私たちを救うため、戦う決意をしてくださいました」


「……そう」


 ナナミンは少しだけ安堵したように息を吐いた。


 だが、すぐに顔を曇らせる。


 その表情を見て、エネの胸に不安が広がった。


「おひいさま……なぜ、おひいさまがこのような場所に? 護衛の方々は? エルフ国はどうなったのですか?」


 問いかけた瞬間、彼女の顔が苦痛に歪んだ。


 小さな手が、胸元を強く握る。


「聖獣様が……」


 かすれた声だった。


「聖獣様が、殺されました」


 エネの息が止まった。


「……え?」


「九つの尾を持った、黒い狐に……」


 その言葉に、運転席に座るまたたびの耳がぴくりとわずかに動いた。


 車内の空気が、凍ったように静まり返り、雷の精霊が小さく震える。


「黒い……狐……」


 エネは呆然と呟いた。


「そんな……聖獣様が……? では、聖域は……?」


「消失しました」


 おひいさまの声は震えていた。


「聖獣様の加護が消え、森の主が第一城壁を破壊しました。外縁部の防衛線は崩壊し、恐ろしい数の屍が国へなだれ込んだのです」


「そんな……」


 エネは顔から血の気を失った。


「なら、エルフ国は……」


「完全には、まだ」


 おひいさまは弱々しく首を振った。


「森の主は、第一城壁を破った直後、何かに抗うように苦しみ、森の奥へ退きました。そのおかげで、第二城壁までは残っています。城とその周辺に逃げ込めた者たちは、そこで耐えています」


「では、まだ……まだ、国は……!」


「はい。ですが、長くはもたないでしょう」


 ナナミンの瞳に、涙が浮かぶ。


「市街地は甚大な被害を受けました。避難できた者も多くはありません。もう一度、森の主が襲ってきたら……」


 言葉が途切れる。


 エネは唇を噛んだ。


 それでも、おひいさまは胸元に手を当てた。


 首紐の袋に包まれた、小さな何かを両手で大事そうに抱いている。


「私は、お母様の命で脱出しました」


「女王様の……?」


「エルフ種を残すために。そして、聖獣様の最後の希望を守るために」


 おひいさまは震える手で、胸元の袋を少しだけ見せた。


 淡い光が、袋口の隙間から漏れる。


 透明な宝石のような、小さな卵。


 中で小さな光が脈打っている。


 まるで、まだ生まれていない命が呼吸しているようだった。


「聖獣様の……卵です」


 エネの目が見開かれる。


「聖獣様の、卵……」


「これだけは、絶対に守らなければなりません。お母様は、私にそうお命じになりました」


 おひいさまの声は弱い。


 だが、その卵を抱く手だけは、決して緩まなかった。


「供回りを数人つけていただき、王家の隠し通路から逃げました。森を抜ける直前までは順調だったのですが、屍の群れに見つかってしまい……」


 おひいさまの瞳が揺れる。


「屍の中に森辺の導きの皆さまが混ざっていたのが、運の尽きでした」


「森辺の導きが……」


「彼らは、すでに屍となっていました。凄腕の彼らに抗うすべもなく……供回りの者たちは、私を逃がすために次々と倒れていきました」


 エネは、何も言えなかった。


「最後は、私と雷の精霊だけになりました。三日、逃げ続け、この町で身を隠したのですが……森辺の導きに見つかってしまい……」


 ナナミンは、力なく目を伏せた。


「そこからは、あまり覚えていません。雷の精霊が必死に戦ってくれていたのは覚えているのですが」


 雷の精霊が、おひいさまの頬に寄り添うようにふわりと近づいた。


 青白い光が、弱々しく瞬く。


「あなたが……守ってくれたのね」


 おひいさまは、小さく微笑んだ。


「いいえ、おひいさま」


 エネは首を振った。


「え……?」


「雷の精霊も、おひいさまを守り続けてくれました。ですが、おひいさまをここまで救ってくださったのは――」


 その時だった。


 シルビアの扉が開いた。


 重い金属音が、車内に響く。


 エネとおひいさまが、同時に顔を向けた。


 扉の向こうから入ってきたのは、全身ボロボロの善一郎だった。


 戦闘用ビジネススーツは裂け、腕や肩には血が滲んでいる。


 顔には疲労感が漂っている。


 それでも、彼は自分の足で立っていた。


 片手には『鬼軍曹』。


 そして、もう片方の腕には、森辺の導きが残した装備が抱えられていた。


 折れた細剣。


 大盾の破片。


 ひびの入った短剣。


 壊れた弓。


 すべて、使い込まれた武具だった。


 またたびが運転席から顔を出す。


「おい、坊主。それは戦利品か?」


 善一郎は少しだけ眉を寄せた。


「ちゃうわ!」


 彼は、抱えていた装備をそっと床に下ろした。


 その扱いは、乱暴ではなかった。


 まるで、誰かの遺品を置くように。


「エルフは、森が故郷なんやろ?」


 善一郎は、静かに言った。


森辺の導き(こいつら)を、故郷の森に還したろうと思ってな」


 車内が、静まり返った。


 エネが息を呑む。


 ナナミンは、床に置かれた武具を見つめ、そして善一郎を見た。


 その小さな唇が、震える。


「……あなたが救世主様?」


 ナナミンの言葉に、善一郎は少し驚いた表情を浮かべ、目を見開いた。


「おひいさん、目が覚めたんやな。俺は成樹善一郎や」


 傷だらけの体で苦笑いを浮かべた善一郎は、少し迷ったあと、泥で乱れたナナミンの髪に手を伸ばした。


 そして、優しく撫でつける。


「そんで、俺は救世主やない。ただの借金持ちや」


 優しく髪を整える大きな手。


 傷だらけなのに、どこか柔らかな笑顔。


 それを見て、ナナミンの胸に、言葉にできない安堵が広がっていった。

 


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