第25話 楽の鬼
屋根が崩れた。
俺の足元が抜け、体がふわりと浮く。
視界の端で、森辺の導きの四人も同じように落ちていくのが見えた。
瓦。
木片。
砕けた梁。
崩れ落ちる屋根の破片と共に、俺たちは教会の中へ落下していく。
「ぐっ……!」
俺は空中で『鬼軍曹』を握り直した。
下には、暗い礼拝堂。
壊れた長椅子。
割れた床。
崩れた祭壇。
そこへ、俺たちはまとめて落ちた。
どがんっ!
衝撃が足から腰へ抜ける。
戦闘用ビジネススーツと高ステータスがなければ、着地の衝撃で足の骨が確実に折れとるな。
「……ほんま、漫画の主人公みたいになっとるやん俺」
俺は膝をつきながらも、すぐに立ち上がった。
視界は最悪だった。
落ちてきた屋根の瓦と木材が砕け、礼拝堂の中に土煙が広がって前が見えない。
せいぜい、ぼんやりと人影が揺らいで見える程度だ。
だが、それで十分。
俺は『鬼軍曹』を握りしめ、息をひそめる。
目の前に見えた人影へ向かって踏み込んだ。
まずは一人や。
土煙を裂くように距離を詰める。
人影の輪郭が見えた。
細身。
剣。
剣士リュオだ。
「おらぁっ! ヘビースラッガー!」
俺は『鬼軍曹』を渾身の力で横薙ぎに振り抜いた。
奇襲。
視界の悪さを利用した一撃。
だが、リュオは反応した。
濁った目が、こちらを捉える。
風をまとった細剣が、寸前で『鬼軍曹』の軌道に差し込まれた。
がぎんっ!
金属同士がぶつかる音。
リュオの体が大きく後ろへ弾かれる。
足が床を削り、壊れた長椅子を巻き込みながら滑っていった。
「くそっ。奇襲作戦失敗かい!?」
そう見えればいい。
俺の声に、土煙が揺れた。
その瞬間。
背筋に、嫌なものが走った。
視界の端。
右後方。
煙の中から、細い影が滑り込んでくる。
短剣使いセイム。
気配が薄く、足音もほとんどない。
逆手に持った短剣が、俺の脇腹を狙っていた。
「やっぱり餌に食いついたな」
俺は口元を歪めた。
セイムの短剣が迫る。
だが、俺は振り返らない。
「この視界の悪い状況。あんたなら絶対利用すると思っとったで」
こいつは、最初からずっとそうだった。
正面には出てこない。
常に視界の端。
常に死角。
こっちが何かに気を取られた瞬間、刺しにくる。
屋根が崩れて視界が悪くなった時点で、俺は読んでいた。
セイムは、必ず来る。
そして。
「奴の動きを縛れ!」
俺は、短く言った。
その言葉に応じるように、セイムの背後から大きな影が現れた。
盾士ガルド。
大盾を構えていた屈強な男が、土煙の中からぬっと姿を現す。
そのまま、背後からセイムの両腕をがっちりと羽交い絞めにした。
「――!?」
セイムの赤黒い目が、初めて大きく見開かれた。
短剣の軌道が止まる。
体が動かない。
ガルドは、セイムではなく俺を見ているつもりなのだろう。
赤黒い目をぎらつかせ、勝ち誇ったように口元を歪めていた。
俺は肩で息をしながら、楽の鬼の面を見た。
「効いたな」
楽の鬼。
四面鬼の中で、一番癖の強いギミック。
黒い斬撃は、物体を斬ることができる。
だが、生物を直接斬ることはできない。
その代わり、斬撃が生物に触れた時、短い幻惑を刻み込む。
効果時間は、三十秒。
長くはない。
だが、戦闘中の三十秒は十分すぎる。
さっき、屋根の上で黒い斬撃がガルドの肩を掠めた。
その時点で、段取りは済んでいた。
今のガルドには、俺とセイムの区別がついていない。
あいつは、セイムを俺だと思い込んでいる。
「ほんま、えげつない武器やで」
俺は『鬼軍曹』を構えた。
セイムがもがく。
ガルドの腕から逃れようとする。
だが、ガルドの膂力は尋常ではなく、非力そうなセイムの力では拘束は外れない。
「悪いな」
俺は息を吸った。
「こっちも、余裕ないんや。往生してくれ」
『鬼軍曹』を握る手に力を込める。
通常スキルを起動する。
「スラッシュライン、十連!!」
無数の『鬼軍曹』の軌跡が走る。
ガルドが正気に戻ったのか、セイムの拘束を外し、大盾を動かそうとする。
だが、もう遅い。
俺は止まらない。
スラッシュラインを連続で叩き込み、二人を滅多打ちにした。
ガガガガガガガガガッ!
嵐のような打撃音が礼拝堂の中に響いた。
「おらあぁぁぁぁぁ!!」
二人は必死に抵抗した。
ガルドとセイムはそれぞれの得物で、打撃の軌道を逸らそうとする。
それでも。
無軌道に見えて止まることのない打撃が、二人の体を確実に削っていく。
俺はさらに踏み込む。
戦闘用ビジネススーツが膝と腰を支える。
踏み込みの衝撃を殺し、体を前へ押し出す。
「これで終いや! ヘビースラッガー!!」
最後の一撃。
『鬼軍曹』が、二人をまとめて薙いだ。
ガルドの盾が砕け、セイムの短剣が宙を舞う。
致命傷を受けた二人の体に、深い亀裂が走った。
次の瞬間。
黒い灰が噴き出した。
盾士ガルド。
斥候セイム。
二人の屍エルフが、音もなく崩れていく。
使い込まれた大盾と、短剣だけが、床に落ちた。
「はぁ……はぁ……」
俺は息を吐いた。
余韻に浸る暇もなく、土煙の向こうで赤い光が瞬いた。
「っ!」
無数の火の矢が、俺へ向かって飛んでくる。
上から。
横から。
床すれすれから。
何本かは、床に突き刺さった瞬間に爆ぜた。
弓士ミリカ。
「無駄や!」
俺は『鬼軍曹』を回す。
「哀の鬼!」
嘆きの鬼面が前に出る。
黒い粒子が広がり、大盾となって俺の前に展開された。
火の矢が、次々と盾にぶつかる。
どんっ。
どどんっ。
爆ぜる火。
散る火花。
盾越しに衝撃が来る。
だが、通らない。
「もう、それは見た!」
最後の火の矢を受け止めた瞬間、礼拝堂の中を覆っていた土煙が少しずつ晴れていった。
壊れた礼拝堂。
崩れた屋根。
割れた床。
折れた長椅子。
その中に、残っているのは三人。
俺。
剣士リュオ。
弓士ミリカ。
そして、俺の足元には、ガルドの大盾とセイムの短剣が落ちていた。
剣士リュオが、それを見た。
赤黒く濁った目が、ほんのわずかに揺れる。
「ユル……サ……ナイ……」
低い声が、礼拝堂に落ちた。
「セイム……ガルド……カエ……セ……」
「……喋った」
俺は思わず呟いた。
初めて出会った、あの屍の冒険者の姿が重なる。
仲間の名前を呼んだ。
こいつには、まだ何かが残っている。
その事実に、背筋がぞくりとした。
剣士リュオの口元が歪む。
悲しみか。
怒りか。
屍の本能か。
混ざり合ったような、歪な表情。
次の瞬間、リュオが叫んだ。
「キサマ……ユルサナイ……クラッテヤル……!」
リュオが飛び込んでくる。
さっきまでの冷静な剣筋ではない。
荒い。
だが、速い。
風をまとった細剣が、怒りに任せて振るわれる。
「くっ!」
俺は『鬼軍曹』で受ける。
ぎんっ。
火花が散る。
リュオの連撃が始まった。
右。
左。
突き。
斬り上げ。
風の刃が混ざり、見えない攻撃が俺の頬をかすめる。
さらに剣戟の隙間から、ミリカの火矢が飛んでくる。
剣と矢。
二方向からの攻撃。
だが。
「さっきよりは、見える!」
俺は叫び、踏み込んだ。
四人の連携は、確かに俺の手に余った。
でも、二人が消えた。
鉄壁の盾がいない。
死角から刺してくる短剣もいない。
剣と弓だけなら、まだ対応できる。
俺は『鬼軍曹』を振るい、リュオの剣を弾く。
続けて、飛んできた火矢を斜めに打ち落とす。
火花が床に散った。
リュオがさらに踏み込む。
俺も前へ出る。
礼拝堂に金属音が連続して響き、火花が散る。
技術はリュオが上。
だが、力は俺が上だ。
速さでも、今なら押せている。
戦闘用ビジネススーツが体の軸を支え、鬼軍曹の重みが一撃ごとに剣を押し返す。
「おらぁっ!」
俺は横薙ぎに振った。
リュオが剣で受け流す。
だが、衝撃までは殺しきれない。
リュオの体が半歩下がる。
そこへ、ミリカの火矢が飛んでくるが、俺は肩をひねり、矢をかわす。
頬が熱い。
リュオとミリカ。
二人は強い。
だが、四人の時ほどの完成度も脅威も感じられない。
少しずつ。
本当に少しずつだが、俺が押し始めていた。
互いに距離が開く。
リュオは剣を低く構えた。
ミリカは後ろで矢を番えたまま、動かない。
俺も『鬼軍曹』を肩に担ぐ。
息が熱い。
実力が拮抗している分、お互い決定打が欠けている。
リュオの細剣に、深緑の風が集まり始めた。
礼拝堂の床に落ちた灰が、渦を巻く。
風が逆巻く。
あれは、普通の攻撃やない。
背筋がぞわりと震える。
「大技か……」
俺は息を吐いた。
向こうも同じ考えらしい。
なら、こっちも出し惜しみしている場合ではない。
この一撃で、この戦いに終止符を打つ。
四面鬼を回す。
これまで使っていなかった、最後の面。
怒りに歪んだ鬼の顔。
牙を剥き、目を見開き、こちらを睨みつけているような鬼面。
「怒の鬼」
がちんっ。
武器の奥で、重い音が響いた。
次の瞬間。
『鬼軍曹』が赤く染まり始めた。
黒い金属の表面に、赤い亀裂のような光が走る。
熱が生まれる。
空気が揺れる。
柄を握る手に、じりじりとした熱が伝わってきた。
蒸気が、鬼面の口から吹き上がる。
憤怒の相を浮かべた鬼が、今にも吠え出しそうに見えた。
「これが、お前らの慈悲の一撃になることを祈るで」
リュオの剣に、深緑の風が渦巻く。
俺の『鬼軍曹』には、赤熱する怒の鬼。
礼拝堂の空気が、熱と風で震えた。
俺は赤く燃える『鬼軍曹』を構える。
「来いや、リュオ」
俺は低く呟いた。
「往生させたる」




