第24話 森辺の導き
屋根の上に、張り詰めた緊張が満ちていた。
俺の前には、四人の屍エルフ。
ただの屍ではない。
立ち姿からして、他を圧倒するプレッシャー。
腐った体でありながら、武器の構えに長年の経験が滲み出ていて、隙がない。
剣を持つ優男。
細身で整った顔立ちだが、その目は赤黒く濁っている。
手にした細剣には、緑のオーラがまとわりついていた。
大盾とメイスを構えた屈強な男。
片膝を軽く落とし、いつでも前に出られる姿勢を取っている。
その盾には古い傷が無数に刻まれている。
弓を持つ、腐敗してなお、どこか柔らかな面影を残した女。
だが、弦に添えられた指先は恐ろしく静かだ。
指先につまんだ矢じりには、赤いオーラがわずかに灯る。
そして、短剣を逆手に持つ痩せた男。
神経質そうな細い顔。
だが、その立ち位置だけが嫌だった。
常に俺の視界の端へ、端へと入り込もうとしている。
「……こいつら」
肌がひりつく。
こいつらに、屍の王に感じたのと同じ類のものを感じる。
めちゃくちゃ強い。
エネが動揺しているのか、声が震えている。
「救世主様、気を付けてください。彼らは周辺諸国にも名の知れた冒険者チームです。剣士のリュオ、盾士のガルド、弓士のミリカ、斥候のセイム……まさか、こんな姿に……」
「知り合いか?」
「直接の知己ではありません。ですが、エルフの中でも英雄として有名な方々でしたから」
「……そうか」
赤黒い瞳が、生きている俺たちを虚ろに捉えている。
重苦しい雰囲気と、わずかな沈黙。
静寂を破ったのは、俺でもなく、屍エルフでもなかった。
雷の精霊が、俺の肩の近くをふらふらと飛んできた。
青白い光は、かなり弱っている。
それでも、小さな体を震わせながら、雷をまとわせた精霊が動いた。
ぱちんっ!
青白い雷が、剣士リュオへ向かって走る。
その一撃が、沈黙を破った。
「エネさん、俺が引きつける! 今のうちや!」
俺は叫び、同時に踏み込んだ。
雷に一瞬だけ反応した剣士へ向かって、『鬼軍曹』を振りかぶる。
俺自身の膂力と、戦闘用ビジネススーツの補助、そして『鬼軍曹』の重さを乗せた一撃。
「ヘビースラッガー!」
横殴りの一撃を、剣士へ叩き込む。
だが、その瞬間。
大盾の男が割り込んだ。
「っ!?」
鈍重そうな体のくせに、速い。
盾士ガルドが、剣士リュオの前へ飛び込む。
俺の『鬼軍曹』が、大盾に激突した。
どがんっ!
屋根の上に、重い衝撃音が響く。
盾士の体が大きく後ろへ滑った。
瓦が砕け、足元が削れる。
だが。
「止めた……!?」
俺は思わず声を漏らした。
全力で叩いた。
普通の屍なら、盾ごと吹き飛ばして灰にしている。
だが、ガルドは受け止めた。
膝を軋ませながらも、倒れていない。
「こいつ、マジか……!」
俺はすぐに追撃へ移ろうとした。
だが、その前に空気が熱を帯びる。
弓士ミリカが、すでに矢を番えていた。
一本の矢を番えたはずだった。
だが、弦を引く指先に赤い光が走り、矢影が五つにぶれる。
同時に放たれた火の矢が、赤い軌跡を引いて俺へ飛んでくる。
「くっ!」
俺は『鬼軍曹』を引き戻し、通常スキルを起動する。
「スラッシュライン!」
振り抜いた軌跡に沿って、連撃が走る。
打ち返した火の矢が、火の粉を散らす。
まとめて弾かれた矢は軌道を変え、弓士ミリカの方へ跳ね返る。
だが、ミリカは少し首を傾けるようにして、火の矢を躱した。
何事もなかったように、次の矢へ指を伸ばしている。
「かわすんかい!」
舌打ちする間もなかった。
正面から、剣士リュオが迫る。
風をまとった細剣。
音もなく伸びる斬撃。
それと同時に、視界の端から短剣使いのセイムが滑り込んできた。
正面の剣。
死角からの短剣。
二つの攻撃が、同時に俺を狙う。
「連携が綺麗すぎるやろ!」
俺は『鬼軍曹』を屋根に打ち付けるようにして回した。
四つの鬼面のうち、嘆きの顔をした面が前に出る。
「哀の鬼!」
がちんっ。
哀の鬼の目から、黒い雫のような粒子が流れ出した。
粒子は瞬時に広がり、俺の正面を覆うように巨大な盾を作る。
嘆きの顔の鬼が刻まれた、大盾。
正面から来た風の斬撃が、盾にぶつかった。
ぎゃりっ!
同時に、短剣が横から滑り込む。
俺は盾を傾ける。
短剣の一刺しが、盾の端を削った。
火花が散る。
「っぶな!」
だが、受けるだけでは終わらせない。
今度は俺のターンや。
「解除!」
哀の鬼の盾が黒い粒子になって散る。
俺はそのまま『四面鬼』を回し、邪気のない笑顔の鬼面を前に出した。
「喜の鬼!」
笑顔の鬼の口から黒い粒子が吐き出される。
それが一瞬で、小さな鉄球へ変わった。
「喰らいやがれ!」
俺は『四面鬼』を横薙ぎに振るう。
かんっ!
無数の鉄球が、扇状にばら撒かれた。
追撃の千本ノック。
剣士リュオと短剣使いセイムが、同時に後ろへ跳んだ。
屍とは思えない速い反応。
二人は迷わず盾士ガルドの後ろへ隠れた。
盾士ガルドが片足を踏み込む。
大盾の足元から、土色の魔力が立ち上がった。
「土の壁……!?」
大盾の前に、硬質な壁が盛り上がる。
鉄球の雨がそこへ突き刺さった。
がががががっ!
壁は削れ、砕ける。
だが、貫通まではしていない。
千本ノックは防がれた。
「こいつら、本当に厄介やな……!」
力押しなら、俺の方が上かもしれない。
でも、技術と連携は向こうが上だ。
こっちが何かをすれば、誰かが必ず穴を埋める。
攻撃も、防御も、牽制も、死角からの一撃も。
全部が噛み合っている。
「救世主様!」
その時、エネの声が聞こえた。
振り返る。
エネは倒れていたおひいさまを抱き上げていた。
小さな雷の精霊が、その周りを弱々しく飛んでいる。
「おひいさまを確保しました!」
「よし!」
俺は屍エルフたちから目を逸らさずに答えた。
「こっちは大丈夫や! ギンコとまたたびのところまで下がってくれ!」
「ですが、救世主様は……!」
「俺は後で行く!」
エネは迷っていた。
でも、腕の中のおひいさまを見て、唇を噛む。
「……必ず、戻ってください」
「借金返し終わってないからな。勝手に死んだら、地獄までギンコが取り立てにきそうや」
エネは小さく頷き、風の加護をまとって屋根の縁へ走った。
雷の精霊だけが、俺の前に残る。
ふらふらと飛びながら、俺を見る。
「お前も行け」
俺は言った。
「よう踏ん張ったな。もう大丈夫や。おひいさまのとこに行っとれ」
雷の精霊は、青白い光を一度だけ強めた。
そして、俺の頬の近くへ飛んでくる。
ぱち、と小さな静電気みたいな感触。
頬に、軽いキスをされたような感覚が残った。
「……おお」
俺は少しだけ目を瞬かせた。
「精霊さん、サービスええな」
雷の精霊は、弱々しくもどこか安心したように光り、エネたちを追って飛んでいった。
これで、屋根の上に残ったのは俺だけだ。
俺と、森辺の導き。
四対一。
土煙が、ゆっくりと晴れていく。
向こうには、四人がまだ立っていた。
剣士リュオ。
盾士ガルド。
弓士ミリカ。
短剣使いセイム。
俺は口元を引きつらせた。
ギンコは俺のことを、人類の上澄みレベルやと言った。
だが、上には上がいると、この世界は天井知らずだとも言っていた。
俺自身、強くなったという自覚はある。
けど……。
「ほんまに強いな、お前ら」
冗談抜きで厄介だ。
特に、剣士。
俺は肩口を見る。
戦闘用ビジネススーツの肩部分が、縦にすっぱり切れていた。
血が少しだけ滲んでいる。
さっき、哀の鬼で防いだつもりだった。
だが、剣士リュオの不可視の刃は、盾を展開する前に伸びて、俺の肩口を裂いていたらしい。
戦闘用ビジネススーツがなかったら、肩から腕を落とされていたかもしれない。
「冷や汗もんや……」
こっちはなんちゃって戦士で、相手は本物の熟練の戦士だ。
こちらの身体能力と装備が上でも、あいつらの連携と技術がそれを埋めてくる。
普通にやれば、分が悪すぎる。
四対一の不利な状況。
なら、搦め手で攻略するしかない。
「不可視の刃なら、こっちもお返しや」
四面鬼を回す。
今度は、楽しげに歪んだ鬼面。
その顔が、狂気じみた笑みを浮かべていた。
「楽の鬼」
がちんっ。
武器の奥で何かが噛み合う。
次の瞬間、楽の鬼が笑った。
声がしたわけではない。
だが、頭の奥で、けたけたと笑うような気配が響く。
「この初見殺しが通じることを祈るわ」
俺は小さく呟いた。
楽の鬼は、四面鬼の中で一番癖が強い。
振れば黒の斬撃を飛ばす。
ただし、こいつの斬撃は物体を斬ることができるが、生物は斬ることができない。
こいつの真価は、斬りつけた生物に及ぼす効果や。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるや」
俺は『鬼軍曹』を、めちゃくちゃに振り回した。
右へ。
左へ。
上へ。
斜めへ。
楽の鬼が、狂ったように笑った気がした。
空気が裂け、無数の黒い斬撃が、屋根の上を走る。
剣士が跳ぶ。
短剣使いが身を低くする。
弓士が踊るように回避し、下がる。
盾士だけが大盾を構えた。
盾士以外の三人が、紙一重で斬撃を躱していく中、盾士の男だけは黒の斬撃を盾で受けてしまった。
黒の刃が盾を削り、わずかに盾士の肩を掠める。
俺はそれを確認すると、口端をわずかに歪めた。
ばきっ。
同時に、屋根瓦に亀裂が走る。
続けて、木組みが裂ける。
斬撃が何本も走り、教会の屋根全体に切れ目が入っていく。
「段取りは済んだで――」
俺はさらに『鬼軍曹』を振り抜いた。
「あとは効率を突き詰めるだけや!」
次の瞬間。
屋根が崩れた。
ばきばきばきっ!
瓦が割れ、木材が裂け、足元が一気に抜ける。
俺も、森辺の導きも、まとめて教会の中へ落ちていく。
風が耳元で唸る。
暗い礼拝堂の空間が、下に広がっていた。
俺は落下しながら、『鬼軍曹』を握り直す。
「第二ラウンド開始や」
崩れ落ちる屋根の破片と共に、俺たちは教会の中へ落ちていった。




