第19話 風穴と湯煙
「派手にぶっ飛ばすぞ!」
またたびが叫んだ。
シルビアの前方には、巨大な屍コモドラゴン。
腐った鱗。
裂けた口。
赤黒く光る目。
それが、大口を開けてこちらを迎え撃とうとしている。
「ぶっ飛ばすって、どうやってやねん!?」
俺は手すりにしがみつきながら叫んだ。
その問いに答えるように、またたびが運転席の赤いボタンを押した。
がごんっ。
車体の前面から、重い音が響く。
モニターに映るシルビアの鼻先が、左右に割れるように開いた。
そこから姿を現したのは――。
「……ドリル?」
巨大な金属の円錐。
幾重にも重なった螺旋の刃。
それが車体前面から突き出し、轟音を上げながら回転し始めた。
ぎゅいんんんんんんっ!
空気が震え、荒野の砂が巻き上がる。
風の加護をまとったシルビアの先端で、巨大ドリルが唸りを上げていた。
「この装甲車、もう何でもありやんけ!」
「シルビアは俺好みのいい女に仕上げてある」
「車に言う台詞ちゃうやろ!」
またたびのテンションは、明らかに上がっていた。
黒猫の片目がぎらぎら光っている。
完全に、危険な遊びを前にしたイカれた顔だ。
「デカブツ!」
またたびが、唾を飛ばす勢いで叫んだ。
「てめぇの体に、どでかいケツ穴こさえてやるぜぇぇぇぇ!」
「マジキチドライバー!?」
「ひゃはぁぁぁぁ! シルビアのニトロが火を噴くぜぇ!!」
またたびがハンドルについた二つのボタンを同時に押した。
次の瞬間。
シルビアの後部から、爆発みたいな噴射音が轟いた。
どおんっ。
体がソファーに押しつけられる。
景色が、一瞬で流れた。
あり得ない加速。
息が詰まり、時が止まったとさえ思える感覚が俺たちを襲う。
「ぐおおおおっ!?」
異世界装甲車にニトロがある時点で、もうほんま意味が分からん。
シルビアは巨大ドリルを唸らせながら、屍コモドラゴンへ一直線に突っ込んでいく。
屍コモドラゴンも逃げない。
腐った巨体を低く構え、こちらを丸呑みにするように口を開けた。
エネが涙を浮かべ絶叫する。
「ま、またたびさん! 正面、口です! 口ぃぃぃ!」
「見えてる!」
「見えてるなら避けろや!」
「こんなシチュエーション、避けるわけねぇだろうが!」
屍コモドラゴンの口が迫る。
奥に見える赤黒い喉。
そこへ、シルビアが突っ込んだ。
ドリルが、口内に突き刺さる。
次の瞬間、車内に凄まじい衝撃が走った。
「うぎゃああああああああっ!」
俺の叫びが車内に響く。
エネも悲鳴を上げ、ギンコはなぜか冷静に座席の端に爪を引っ掛けていた。
シルビアは止まらない。
ドリルが肉を抉り、骨を砕く。
腐った体内を削り進む。
モニターの映像が一瞬、赤黒い何かに覆われた。
グロ注意。
これはほんまに見たらあかんやつや。
「またたびぃぃぃ! これ体内やろ!? 絶対、体内通っとるやろ!?」
「近道だ!」
「最悪の近道や!」
「出口は作る!」
またたびがさらにアクセルを踏み込む。
ドリルの音が高まった。
ごりごりごりごりごりっ!
そして。
どごんっ!
シルビアが、屍コモドラゴンの体を内側から突き破った。
腐った肉片が爆発するように散る。
巨大な屍コモドラゴンの背中から、装甲車が飛び出した。
そのまま荒野へ着地。
車体が大きく跳ねる。
俺の体も跳ねる。
魂も跳ねた。
「あばばばばばばっ!」
シルビアはそのまま速度を落とさず、屍渡りの群れから離脱していく。
後方モニターには、体に大穴を開けられた屍コモドラゴンが、ぐらりと崩れ落ちる姿が映っていた。
それもすぐに遠ざかる。
屍渡りの黒い波も、徐々に後方へ流れていった。
「……ぬ、抜けた?」
俺は震える声で呟いた。
「抜けましたね」
ギンコが平然と答えた。
「屍渡り、突破です」
「ふざけんな……」
俺はソファーからずり落ちた。
胃が限界だった。
「うぷっ……」
隣では、エネも真っ青な顔で口元を押さえている。
「せ、救世主様……申し訳、ありません……私も……」
「ええ……吐いてええ……俺も吐く……」
俺とエネは、仲良く撃沈した。
エネは耳をぺたりと伏せ、涙目でぐったりしている。
俺も床に転がったまま、天井を見た。
ギンコだけがいつも通りだった。
尻尾の毛並みを前足で整えながら、静かに言う。
「またたびさん。相変わらず、荒い運転ですね」
「……最っ高のチキンランだったぜぇ」
運転席のまたたびは、恍惚とした顔をしていた。
煙草をくわえた口元が、満足そうに歪んでいる。
「風も良かった。お嬢、いい仕事だったぜ」
「……ありがとうございます。ですが、二度と経験したくありません」
「はっはっは! 初めての客はみんなそう言う」
「二回目以降も言うと思います」
俺は床に転がったまま、かすれた声で言った。
「またたび……お前、絶対タクシー運転手名乗ったらあかんタイプや……」
「目的地に近づいてるだろ?」
「そういう問題ちゃうねん……」
しばらく、誰もまともに口をきけなかった。
俺とエネは床に転がり、ギンコは尻尾を整え、またたびだけが上機嫌にハンドルを握っていた。
◇
その後は、幸い大きなトラブルもなく進んだ。
屍渡りから離れたことで、荒野は少し静かになった。
もちろん、安全という意味ではない。
遠くに屍魔物らしき影は見える。
時折、地平線の向こうから不気味な唸り声も聞こえる。
けれど、少なくともシルビアを飲み込むような黒い波は、もう見えなかった。
そして、夜。
シルビアは荒野の真ん中で停車した。
外は、赤黒い空がさらに暗く沈み、遠くの地平線だけがぼんやり光っている。
「今日はここまでだ」
またたびが運転席から出てきた。
「夜は走らんのか?」
俺はソファーに横たわったまま聞いた。
正直、体はもう限界だった。
屍渡り突破で、過強化反動とは別の意味で全身が壊れかけている。
「夜の荒野は視界が悪い。屍の数も読みにくい。あと、随分とシルビアに無茶させたからな。点検がしたい」
「この化け物装甲車でも休むんやな」
「覚えとくといい。いい女ほど手入れが大事なのさ」
「その言い方、やめろ」
エネはソファーの端でぐったりしていた。
白に近い金髪が少し乱れ、長い耳も力なく垂れている。
「私……鉄の聖獣に乗る覚悟が、まだ足りませんでした……」
「だから聖獣ちゃうって」
「ですが、あれほどの力……」
「力はあるけど、乗り心地が終わっとる」
俺は深いため息を吐いた。
「初日から悲惨すぎるやろ……。屍渡りに突っ込んで、コモドラゴンの体内を通過して、吐いて、財布も空っぽや」
「坊主」
またたびが、煙草をくわえながら言った。
「銭湯にでも浸かって、さっぱりしてこい」
「……銭湯?」
俺は顔を上げた。
「この車、銭湯まであるんか?」
「ある」
「もう驚くのも疲れてきたわ」
「疲れてんなら、ちょうどいいだろ」
「いや、待て」
俺は手を上げる。
「金かかるんやろ?」
またたびは肩をすくめた。
「本来は有料だ」
「やっぱりな!」
「だが、今回はタダでいい」
「……え?」
「お嬢の風が良かった。おかげで久々に楽しめた。サービスだ」
エネが目を瞬かせる。
「私の風が、お役に立てたのですか?」
「ああ。シルビアがよく滑った」
「それは、褒められているのでしょうか……?」
「褒めてる」
「な、なら、よかったです」
エネは少しだけ、ほっとした顔をした。
俺も正直、ありがたかった。
無料。
この世界で、その言葉ほど尊いものはない。
「タダなら入る」
「即答ですね」
ギンコが言った。
「三日戦って、屍渡りで吐いて、ドリルで竜の体内通ってんねん。風呂ぐらい入りたいわ」
「ごもっともです」
「エネさんも入った方がええで」
「よ、よろしいのですか?」
「またたびがタダ言うてるうちに入っとき。後で気が変わったら請求されるかもしれん」
「急ぎます!」
「信用ねぇな、俺」
またたびが笑った。
「男女で分かれているから、みんな行ってこい。場所は奥の扉だ」
「ありがたく使わせてもらうわ」
◇
銭湯は、本当にあった。
装甲車の奥。
外から見たサイズでは絶対に存在しないはずの場所に、なぜか暖簾がかかっていた。
そこをくぐると、脱衣所。
さらにその奥には、白い湯気が漂う浴場。
石造りの湯船。
洗い場。
桶。
椅子。
壁には、なぜか富士山の絵まで描かれている。
「……ここ、ほんまに装甲車の中か?」
もう考えるのはやめよう。
俺は服を脱ぎ、痛む体を引きずるように浴場へ入った。
体を軽く流してから、湯船に浸かる。
「……あぁぁぁぁぁ」
声が漏れた。
熱い湯が、全身に染みる。
痛む筋肉がほどけていく。
屍の匂いも、汗も、恐怖も、少しずつ湯に溶けていく気がした。
「生き返る……」
俺は湯船の縁に頭を預けた。
天井を見上げる。
湯気が白く揺れている。
外は終末世界。
屍魔物だらけの荒野。
借金はまだ山ほど残っている。
でも、今だけは。
今だけは、何も考えたくなかった。
「風呂って偉大やな……」
その時だった。
更衣室の方から、かすかな物音がした。
からり。
脱衣所の扉が開く音。
「……ん?」
俺は湯船の中で顔を上げた。
曇り硝子の向こうに、影が揺れる。
人影だった。
細い肩。
なだらかな腰。
胸元に、ふくらみ。
俺は湯の中で固まった。
「エネさん……?」
いや待て。
まさか、混浴……なのか?
いや、またたびは確かに言った。
男女で分かれていると。
ごくりと唾を飲み込む。
その影の腰のあたりから、ふわりと尾のようなものが揺れた。
「……エネさんに尻尾?」
思わず声が漏れる。
いや、違う。
エネさんに尻尾はない。
なら誰や。
この車、まだ誰か乗っとったんか?
湯気で硝子の向こうはぼやけている。
だが、どう見ても獣じゃない。
人だ。
それも、女の人の影。
俺の心臓が、意味もなく跳ねた。
扉が、からりと開く。
湯煙がふわりと揺れ、その向こうから現れたのは――。




