第17話 ゲットアウェイ☆またたび
「お久しぶりです。またたびさん」
ギンコが、黒ぶち眼鏡を前足で押し上げながら言った。
教会の前に停まった、どう見てもタクシーではない厳つい装甲車。
その運転席から降りてきたのは、軍装を身にまとった二足歩行の黒猫だった。
黒い毛並みに、片目には古びた眼帯。
くわえ煙草。
そして、妙に渋い声。
猫なのに、やたらと貫禄がある。
いや、猫が二足歩行で煙草を吸って、軍服を着て、装甲車から降りてきている時点で、もう何もかもがおかしいんやけど。
「待たせたな、ギンコ」
黒猫は煙を吐きながら、低い声で言った。
「相変わらず、ボスは人使いが荒い」
「忙しいということは、またたびさんが有能な証拠です」
「物は言いようだな。さっきも新人を地獄みたいな戦場に配達してきたばかりだ」
「それはお疲れ様です」
「三分でちびって、五分で吐いて、十分で契約内容を見直したいと泣きが入ったよ。あれは駄目だな」
「最近は入ってくる新人の質が落ちましたね」
「人事の質が落ちたのさ。苦労する現場の俺たちの身にもなれってんだ」
俺とエネは、並んで固まっていた。
目の前では、黒ぶち眼鏡の狐と軍装の黒猫が、まるで古い仕事仲間みたいに普通に会話している。
その内容は全然普通じゃない。
新人を地獄みたいな戦場に配達?
契約内容を見直したい?
待て。
聞き流してええ単語やないやろ、それ。
こいつら、ほんま何者やねん。
「あの、ちょいと聞きたいねんけど」
俺はたまらず話に割って入った。
黒猫が、ゆっくりこちらを見る。
金色の片目が、俺を上から下まで値踏みするように動いた。
その圧に、思わずたじろいでしまう。
「こいつが噂の、ギンコ専属の新人か?」
「はい。成樹善一郎様です」
「なるき、ぜんいちろう……」
黒猫は、俺の名前を口の中で転がすように呟いた。
その視線が、妙に鋭い。
獣の目というより、戦場を知っている古い傭兵の目みたいや。
「……な、なんや?」
「いや」
黒猫は煙草を指で挟み、ふっと煙を吐く。
「期待の新人がいると聞いていたんでな。思ったより若いと感じただけさ」
「この三日で、心はだいぶ老けたけどな」
「ふっ。若造は何度でも、戦場で地獄を見た方がいいのさ。一流の兵士になりたいなら、なおさらな」
「なりたないし、あんたも教育方針が終わっとるな」
黒猫は、にやりと口端を上げた。
「俺はまたたび。この【ゲットアウェイ☆またたび】のドライバーだ」
「名前と見た目と声と、情報量が多すぎる」
「よく言われる」
「改善する気は?」
「これも個性さ」
きっぱり言い切られた。
この黒猫、絶対に面倒くさいタイプや。
またたびは俺をもう一度、じっと見た。
そして、ほとんど聞こえないほど小さく呟く。
「……よく似てやがる」
「ん?」
俺には、最後の方がよく聞こえなかった。
だが、ギンコの耳が、ぴくりと動いた。
黒ぶち眼鏡の奥の目が、一瞬だけ細くなる。
「またたびさん」
「なんでもねぇよ」
またたびは煙草を携帯灰皿で消し、装甲車の扉を親指で指した。
「乗れ。西の大森林だったな」
「はい」
「道中の安全は保証してやる。トラブルが起これば、別途請求させてもらうがな」
「不吉なこと言うなや」
「こんな終末世界での移動なんだ。トラブルなんざ、いくらでも舞い込んでくるだろうさ」
俺はため息を吐きながら、装甲車を見上げた。
分厚い装甲。
ごつい車輪。
猫髑髏マーク。
側面には、読めない文字と、なぜか可愛らしい肉球のステッカー。
怖いのか可愛いのか、どっちかにしてほしい。
エネは震えながら、装甲車を見上げていた。
「これが……鉄の聖獣……」
「違う」
「違います」
「シルビアだ」
俺とギンコの声が重なった。
やはりとは思ったが、この装甲車には名前があるらしい。
「車名だけ急に上品やな!」
「俺の愛車だ。変な名前をつけるわけないだろう」
「ゲットアウェイ☆またたびはええんか?」
「それは屋号だ」
「こだわる場所が分からん」
「では、これは一体……」
「タクシー……やな」
「たくしー……」
「高額で乗れる馬車みたいなもんや」
「な、なるほど」
「立ち話は終わりだ。乗れ」
またたびが装甲車の後部扉を開けた。
分厚い扉が、ぎぃ、と重い音を立てる。
俺は『鬼軍曹』を杖代わりに、一歩踏み出した。
そして、中を覗き込んで固まった。
「……は?」
外から見れば、ただの厳つい装甲車だった。
いや、ただの、ではない。
かなり異常な装甲車だった。
だが、内部はもっとおかしかった。
そこにあったのは、二十畳ほどありそうな広い空間。
深い茶色の革張りソファー。
重厚な木製の低いテーブル。
壁には全方位モニター。
天井には柔らかな照明。
隅には小さなバーカウンターみたいなものまである。
落ち着いた、大人のシガーバー。
そんな雰囲気だった。
「外と中のサイズ合ってへんやろ!」
「快適性重視です」
ギンコが当然のように言った。
「重視の仕方が空間法則をぶっちぎっとる!」
「俺の好みでもあるんだが、お客様満足度は高い」
またたびが運転席へ戻りながら言った。
「ただし、酒は有料だ」
「そこは無料にしとけや!」
「商売を舐めるな」
「商売人しかおらんのか、この世界!」
エネは入口で完全に固まっていた。
目を見開き、震えながら中を見回している。
「こ、これは……馬車の中が、宮殿に……?」
「エネさん。たぶん考えたら負けや」
「救世主様の世界では、このような奇跡が当たり前なのですか?」
「当たり前ではない。少なくとも俺の世界でも、非常識なものや」
「は、はぁ……」
俺たちは装甲車に乗り込んだ。
扉が閉まると、外の荒野の音が一気に遠のく。
代わりに、低く安定したエンジン音が響いた。
俺はソファーへ倒れ込むように座った。
柔らかい。
やばい。
このソファー、俺を駄目にするタイプや。
「うわ……このソファー、めちゃくちゃ楽や……」
「安静にしてください。移動中に少しでも回復していただきます」
「五百万の価値、少し出てきたわ」
ギンコは俺の向かいのクッションに腰を下ろした。
エネはソファーの端に、緊張した様子でちょこんと座っている。
その姿は完全に、初めて新幹線に乗った子供みたいだった。
「出すぞ」
運転席から、またたびの声が飛ぶ。
次の瞬間、装甲車が動き出した。
重い振動。
だが、中の揺れは不思議なほど少ない。
壁のモニターに、外の景色が映し出される。
赤黒い荒野が、ものすごい速度で後ろへ流れていく。
「うおっ……速っ!」
俺は思わず声を上げた。
エネはモニターに映る景色を見て、口元を押さえている。
「け、景色が……風よりも速く流れて……」
「何か入り用なら、メニュー表を見てくれ」
「メニュー表?」
ギンコがテーブルの上の小さなメニューを開いた。
飲料。
菓子類。
雑誌。
軽食。
毛布。
治療キット。
その他――。
全部、法外な有料表示が付いとる。
俺はそっと見なかったことにした。
「さて」
俺はソファーに背中を預け、エネを見る。
「移動中に聞けるだけ聞いときたい。西の森の現状、もう少し詳しく教えてくれ」
エネは背筋を伸ばした。
まだ装甲車の内装に驚いているようだったが、俺の言葉に表情を引き締める。
「はい」
「まず、食料は?」
「備蓄で、なんとか耐えています。ですが、限界は近いです」
「外に出て採取とかは?」
「危険すぎます。森の外縁部も内側も、屍で溢れています。採取隊を出せば、多くは戻りません」
「狩りも無理か」
「はい。森の獣の多くが屍化しました。無事だった野生の獣たちも、すでに屍に喰われ、ほぼ全滅しています」
俺は頭を押さえた。
食料問題が、すでにきつい。
「人口は?」
「赤い雨の前は、国全体で数万人ほどでした」
「今は?」
エネは少し沈黙した。
「正確な数は分かりません。ですが、生き残っているのは、おそらく一万にも満たないかと」
「……」
「その中にも、戦える者は限られています。負傷者、老人、子供も多いので」
「国としては、もうまともに機能してないんか」
エネは、悔しそうに頷いた。
「はい。国としての体裁は、ほとんど保てておりません。聖域の中に閉じこもり、ただ今日を生き延びているだけです」
「きついな……」
「さらに、外には数えきれないほどの屍がいます。屍獣、屍化した魔物、かつての同胞や他種族も多くいます……」
「囲まれてるってことか」
「はい」
エネの手が膝の上で握られる。
「そして、森の主が定期的に聖域を襲います」
「森の主……」
「その度に、聖獣様が力を削って防いでくださっています。しかし、聖獣様は目に見えて衰弱しています。聖域の維持も限界に近いです」
「その森の主って、どんな獣なんや?」
「……巨大な熊の聖獣です」
「……ちなみに巨大って、どのぐらいや?」
「そうですね……。城壁の高さを、ちょっと超えたぐらいはあるでしょうか」
「想像できたわ。聞くだけで帰りたい」
俺は某漫画の巨人をイメージしてしまった。
「か、帰らないでください」
「分かっとる」
俺は深く息を吐く。
こういう崩壊寸前の集団には絶対、内輪で揉め事も起こってるはずや。
取引先の会社でも、倒産寸前で内輪揉めした話はよく聞いたしな。
ただのサラリーマンにどないせいちゅうねん。
「もしかして内部でも揉めてたりしとる?」
俺が聞くと、エネは少しだけ目を伏せた。
「はい」
「やっぱりか」
「森を捨てるべきだという者たちがいます」
「まぁ、そらそうやろな」
「ですが、森を捨てるということは、森の子である私たちエルフにとって、国を捨てること以上に重いことなのです」
「残りたい派と逃げたい派で割れてるわけか」
「はい。おひいさまは、最後まで希望を捨てていません。けれど、民の中には限界を迎えている者も多く……」
エネの声が小さくなる。
「……完全に詰んでへん?」
思わず本音が漏れた。
エネは何も言わなかった。
言えなかったのだと思う。
俺はソファーに背中を預け、天井を見た。
聖獣救出。
森の主討伐。
エルフ国の救援。
言葉にすれば簡単だ。
だが、現実はこれだ。
飢えかけた国。
無数の屍。
衰弱した聖獣。
内部対立。
巨大な森の主。
「なあ、ギンコ」
「はい」
「これ、厳しない?」
「案件の詳細を聞く限り、厳しいですね。しかし、だからこその成功報酬十億なのでしょう」
「ままならんもんや」
「ただし、成功すれば報酬の上乗せもありますよ」
「というと?」
「西の森の生存者と聖獣の救出。今後の安全圏を拡張し、人類の生存権を広げることに関わります」
「そう言えば、そんなことも業務の一つや言うてたな。てか、ビジネスチャンスみたいに言うな」
「実際、そうです。ボスからの特別ボーナスが期待できます」
「特別ボーナスか……」
それは確かに魅力的や。
ただ、エルフの国をほんまに救うことができれば、の話やねんけどなぁ。
難度が一気に高くなりすぎやねん。
「やることが多すぎて、まだ何も見えへんわ」
「現地調査が必要ですね」
「実際、自分の目で見てみんと分からんか」
その時だった。
運転席から、またたびの低い声が飛んできた。
「話し中悪いが、初っ端からビッグトラブルだ。坊主、なかなか持ってるじゃねぇか」
「ビッグトラブル?」
俺は体を起こした。
モニターの一つが自動で拡大される。
荒野の先。
黒い影がうごめいていた。
最初は、岩の群れかと思った。
だが違う。
無数に蠢いている。
小さいもの。
中ぐらいのもの。
もっと大きいもの。
異形の魔物の群れ。
角の折れた鹿のような魔物。
腕が四本ある猿のような魔物。
腹を引きずる巨大な虫。
そのどれもが、腐り、欠け、赤黒い目を光らせている。
エネの顔が青ざめた。
「屍魔物……」
「か、数は!?」
俺が聞くと、またたびは煙草をくわえたまま、淡々と言った。
「数えるだけ無駄だな」
装甲車の進行方向。
西へ続く荒野の先に、数えきれない屍魔物の群れが広がっていた。




