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六花円舞曲(りっかワルツ) ~六つの花に慕われた兄の、季節をめぐる日常~  作者: 葛城 二華


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第四十一話 ほら、素敵でしょ

第一幕 

 

 蝉の声の向こうに、祭囃子が鳴っていた。


 花守神社の石段を上ると、参道に屋台が連なっている。鉄板で焼きそばが跳ね、かき氷の旗が風に揺れ、金魚すくいの桶に日差しが割れる。赤い提灯の列が参道の奥まで続いていたが、まだ火は入っていない。真昼の光が和紙を透かし、影だけが石畳に色を落としていた。



          *



 お守り授与所は、参道の喧騒から少しだけ離れている。


 木陰の下で、深雪が小さなお守りを手に取った。白い指先が、紅い紐を撫でるように確かめた。白い浴衣が、木漏れ日を受けて静かに光っている。


「深雪、それは縁結びのお守りよ?」


 聖の声が横から飛んだ。穏やかだが、逃がすつもりのない声だった。


「あら。学業成就のつもりでしたけれど」


「そう?」


「嘘ではありませんよ」


 深雪が微笑んだ。聖は笑った。信じていなかった。


 深雪は結局、そのお守りを手に持ったまま授与所へ歩いた。聖は何も言わずについていった。



「すみません、ちょっと——」


 三人連れの男が、深雪の前に立った。浴衣姿の女に声をかける、夏祭りの定番だった。先頭の一人が軽い笑みを浮かべて口を開きかけた。


 深雪が振り返った。


「なにかご用でしょうか?」


 微笑んだ。


 三人の足が止まった。笑みが顔に貼りついたまま動かない。何かに圧倒されて声が出ない。自分たちでもわからないまま、三人は頭を下げて去った。


「どうされたのかしら」


 深雪の疑問に、聖が小さく笑った。



          *



 参道を歩く二つの浴衣は、よく目を引いた。


 背の高い、深紅の浴衣の女。黒髪が風に揺れるたびに、すれ違う人の視線が追いかける。その隣を、落ち着いた色の浴衣の女が、涼しい顔で歩いていた。


「今日くらいはモデルの顔を外したら」


 ベルがかき氷を渡しながら言った。夏凪が受け取り、一口含んだ。


「……外してるつもりだけど」


「肩の力が入ってるわよ」


 夏凪が眉を寄せた。ベルは笑っている。



「ねえ、お姉さんたち、髪がきれい——」


 声がかかった。先ほどの三人連れだった。深雪の前で凍りついたはずが、参道の反対側で態勢を立て直したらしい。声はまだ軽い。


 ベルの視線がわずかに動いた。


 次の瞬間、ベルが夏凪の腕にさりげなく手を添えて、斜め前に踏み出した。


 三人の視線の先から、二人の浴衣姿が消えた。二人はそこにいたはずだった。いたはずなのに、目が追えない。視線が泳ぐ。


「あれ、綺麗なお姉さんたち、いたよね」


「まぼろし?」



 数歩先の屋台の前で、ベルが髪を耳にかけた。


「運動にもなりませんね」


 夏凪はかき氷を、また一口。何が起きたのか、把握していなかった。



          *



「会長、焼とうもろこし、おいしいですよ」


 茜がポニーテールを揺らしながら言った。参道の屋台から、醤油の焦げる匂いが流れてくる。


「食べ歩きは行儀が——」


「お祭りですよ?」


 茜がとうもろこしを一本、美空の手に押しつけた。美空が眉をひそめたが、一口かじった。落ち着いた色合いの浴衣に、眼鏡が端正に乗っている。


 椿が品のよい手つきで自分のぶんを食べていた。所作に乱れがない。



「あの、よかったら一緒に——」


 三人連れの男が、美空の隣に近づいた。


 一人が後ろで「今日はレベル高いな」と呟き、もう一人が「俺たちじゃ無理じゃね」と返したが、先頭の男が首を振った。


 美空が振り返るより先に、椿がゆっくりと顔を向けた。


 先頭の男の目が、椿の顔に焦点を合わせた瞬間、血の気が引いた。


「す、す、す、すみません——大変、失礼いたしました——」


 頭を下げて走り去った。残りの二人は事情がわかっていない。先頭の男に引きずられるように消えた。


 美空が目を瞬いた。


 椿が小さく首を傾げた。


「人の顔を見て逃げるなんて、失礼な方たちですわね」


 口元には穏やかな微笑み。声には一片の揺らぎもなかった。


 茜が涙を拭いた。笑いすぎて息が苦しい。



          *



 境内の楠の木陰に、三つの浴衣が座っていた。


 氷華がかき氷を食べている。杏色の浴衣が木漏れ日に淡く光っていた。隣で奏音がスマートフォンを構え、氷華がすっと体を横にずらした。


「ひょかたん、一枚お願い!」


「……あとで一緒になら」


「えー」


 舞は幹にもたれて目を閉じていた。



「暇なら、俺たちと——」


 三人の男が木陰に近づいた。四度目。先ほどより声が小さく、覇気がない。顔には三連敗の疲れが刻まれている。それでも、かき氷を食べている銀髪の少女に何かを見出したらしい。一人が後ろで「ギャルっぽい子もいるし、今度はいけんじゃね」と呟く。


 氷華は顔を上げなかった。


 舞がだるそうに片目を開けた。


「あたしが話そっか?」奏音が立ちかけた。


「待ってて」


 舞が立ち上がった。背筋を伸ばさないまま、三人の方へ歩いていく。三人が一歩退がった。舞がそのまま三人を連れて、木陰の向こうへ消えた。


 奏音がかき氷をすくいながら氷華を見た。「大丈夫かな」


「……90秒」


 氷華はかき氷に目を戻した。


 90秒で、舞が戻ってきた。幹にもたれて、目を閉じた。


「ものわかりがよくて助かった」


 声は平坦だった。何があったかは、誰も聞かなかった。



          *



「——あっ」


 月詠の指先が、止まった。


 型抜きの盤面で、薔薇の花弁がほぼ完成していた。残るは最後の曲線。繊細な手つきで針を運び、花弁の先端に差しかかった瞬間——


 ぱきん。


 割れた。


 景乃が端末から顔を上げた。


「データ上、成功率は三パーセントですね」


「……先に仰ってくださいまし」


 月詠が白竹の扇子を開いた。深い紺の浴衣の袖が、悔しさを隠すように揺れた。


 屋台の主人が「お嬢ちゃん、惜しかったねえ」と笑った。月詠が「ふふ、次こそは」と優雅に返した。目は笑っていなかった。



「ねえ、そこの可愛い——」


 三人の男が、屋台の脇に立っていた。五度目。声はほとんど懇願に近い。一人はもう目が死んでいた。先頭の男は、まだ諦めていない。


 月詠が扇子越しに、ちらりと三人を見た。


 景乃の右手が、ポケットの端末に触れた。


 三秒後。


 参道のスピーカーが鳴った。


『ご来場の皆様にお知らせいたします。迷惑行為を見かけた場合は、お近くの店舗までお声がけください。繰り返します——』


 三人が顔を見合わせた。参道の向こうから、腕章をつけた警備員の姿が近づいてくる。三人は目を泳がせ、互いの袖を引き、人混みの中へ消えた。


 月詠が扇子を閉じた。


「あら。最近は防犯も行き届いておりますわね」


 景乃は無表情のまま、端末をポケットに戻した。



          *



「りんちゃん、焼きそば食べる? チョコバナナは買った! あ、あっちにりんご飴!」


 陽花が両手に戦利品を抱えて参道を歩いていた。鮮やかな浴衣が、屋台の煙の中で跳ねるように揺れている。


 二凛が半歩後ろを歩いていた。柔らかな色の浴衣が、陽花の鮮やかさの隣で、木漏れ日に溶けるように静かだった。


「陽花ちゃん、ここ」


 二凛が手を伸ばし、陽花の鼻先についたソースをそっと拭った。陽花が「えへへ」と笑った。


 

 参道が屋台のあたりに差しかかったとき、三人の男が立っていた。


 五連敗だった。微笑みに凍り、幻を見て、一目散に逃げ、警備員に追われた。木陰の90秒のことは思い出したくない。一人が「帰るか」と言った。もう一人が頷きかけた。


 参道の先に、二つの浴衣が見えた。


 金髪の、屈託のない笑顔の少女。その隣の、桜色の髪の、おしとやかな少女。


「押しに弱いいタイプだ、これなら」


 三人は顔を見合わせた。先頭の男が、息を吸った。


「君たち、かわい——」


 たこ焼き屋台の鉄板が、鳴った。


 龍崎りゅうざき たけしが顔を上げた。


 鉄板の前で腕を組んだまま、三人を見た。向かいの焼きそば屋台から、若い衆が一人、同じ方向に視線を揃えた。射的の裏からも、一人。綿菓子の脇からも、一人。屋台の間に立つ男たちの視線が、音もなく集まった。


 三人の足が止まった。


「兄貴の妹さんたちに声をかける不届き者がいると、聞いてたけど」


 剛が言った。低く、平らな声だった。


「お目が高いのは認めよう。だけど、怖いもの知らずだな」


 間を置いた。


「気持ちはわからないでもないが、これ以上、粗相をするようなら、俺たちも考えなければならない」


 三人は何も言わなかった。先頭の男が頭を下げ、残りの二人がそれに続いた。石段を降りていく背中は、二度と振り返らなかった。



 陽花はチョコバナナを食べていた。


「りんちゃん、チョコバナナおいしいよ! 食べる?」


 二凛が小さく苦笑した。剛がたこ焼きの鉄板に向き直り、何事もなかったように生地を流した。




第二幕


 西の空が橙に傾いていた。参道の提灯に、一つずつ火が入っていく。


 陽花が二凛の袖を引いた。


「りんちゃん、いっしょに行こ」


「……うん」


 鳥居の向こうで、夕日が石段を染めている。



          *



 石段を上がってくる足音が聞こえた。


 下駄ではない。低く、静かな音だった。


 二凛が振り返った。


 鳥居の手前に、じゅんが立っていた。チャコールグレーの浴衣。墨色の帯を低く結び、足元は漆塗りの雪駄。夕日が横から当たり、生地の表面にかすかな陰影が浮かんでいた。


 二凛の足が止まった。声が出ない。


「お兄ちゃん——!?」


 陽花が叫んだ。チョコバナナの棒を握ったまま、目を丸くしている。


「お兄ちゃん、浴衣! すごい! かっこいい!」


 じゅんが笑った。「ありがとう。——陽花、口のまわり」


 陽花が慌てて唇を拭った。チョコがついていた。


 じゅんの視線が二凛に移った。桜色の浴衣が、提灯の灯りに透けるように映えている。


「二凛も、きれいだよ」


 二凛は、小さく頷いた。それだけだった。



 それから、姉妹たちが一人ずつ参道に姿を見せた。


 深雪が最初だった。白い浴衣が、暮れかけの空気の中で静かに光っている。じゅんの姿を見て、一瞬、呼吸が止まった。すぐに微笑んだ。


 美空が来た。落ち着いた色合いの浴衣を隙なく着こなしている。じゅんを見て、眼鏡を直した。


 氷華が来た。杏色の浴衣。じゅんの前で、歩幅が変わった。


 月詠が来た。深い紺の浴衣が提灯の灯りを吸い込んでいる。扇子を開きかけて、閉じた。


 最後に、夏凪が来た。


 深紅の浴衣。参道の向こうに一度立ち止まり、じゅんの姿を遠目に見ていた。無意識に自分の衿元に指が触れた。何も言わず、歩き出した。


 じゅんが全員を見渡した。深紅、白、杏、薄紫、朱、濃紺、そして桜色——七つの浴衣が、提灯の灯りの下に揃っている。


「みんな、揃ったね」


 七つの浴衣を見渡して、少しだけ目を細めた。


 陽花が「お兄ちゃんもだよ!」と笑った。



          *



 参道を歩いた。


 じゅんが自然に隣を変えながら声をかけていく。屋台の灯りが色とりどりの浴衣を照らし、焼きそばの煙が提灯の列を揺らしていた。


 二凛はじゅんの斜め後ろを歩いていた。近すぎず、離れない。



          *



 金魚すくいの桶の前で、氷華がしゃがんだ。


 じゅんが隣にしゃがんだ。


 氷華は無言で紙枠を水に沈めた。金魚が逃げる。角度を変える。三度目で、一匹が紙の上に乗った。破れる前に、袋へ移した。


 氷華の袖が水面に近づいたとき、提灯の灯りが生地を照らした。杏色の地に、涼しげな金魚と水草が揺らめいている。桶の中の金魚と、袖の金魚が、水面の光の中で重なった。


 氷華が袋をじゅんに向けた。


「……連れて帰る」


 水の中で金魚が一度だけ跳ねた。


「——新しい家族だね」


 銀髪の片側で、小さな硝子の飾りピンが揺れた。光を通すと、薄い青が覗く。


 少し離れた場所で、二凛が桶の水面を覗いていた。


 立ち上がったとき、氷華はじゅんのそばにいた。そのまま、離れなかった。



          *



 射的の屋台で、夏凪が銃を構えた。


 外れた。


 もう一度。外れた。


 もう一度。棚の横を掠めた。


「夏凪、構えが——」


 じゅんが後ろから手を添えた。夏凪の肩が固まる。


「……自分でやる」


 声が硬い。耳が赤い。


「お兄ちゃん、見ててね!」


 陽花が銃を受け取った。狙いはあまり定まっていなかったが、勢いだけは桁違いだった。コルクが飛び、景品に当たり、後ろの景品まで巻き込んで棚の奥に倒れた。


「やったー!」


 陽花が跳ねた。朱色の浴衣の背で、ターコイズブルーの兵児帯が大きく揺れた。高い位置のツインテールから、風鈴の髪飾りが、りん、と鳴った。


 屋台の主人が目を丸くしている。


 二凛が陽花の横で拍手していた。じゅんが「すごいな、陽花」と笑い、陽花の目が輝いた。



          *



 りんご飴の屋台の前で、美空が石畳の段差に下駄を取られた。


「ふぇっ——」


 じゅんの腕が伸びた。美空の体とりんご飴を支えた。


 提灯の灯りが美空の浴衣を照らした。アイボリーの地にペールバイオレットの矢絣が真っ直ぐ走っている。臙脂の帯が、きっちりと結ばれていた。背中のたれ先に、小さなリボンのアレンジ。


「大丈夫か?」


「は、はい——すみません——」


 美空が慌てて離れた。眼鏡の奥で目が泳いでいる。りんご飴を握ったまま、頬が赤い。


 二凛がじゅんに手拭いをそっと差し出した。


「ありがとう」


 じゅんが受け取った。二凛は小さく頷いただけだった。



          *



 深雪がじゅんの前に歩み出た。


「兄さん、少しだけ失礼しますね」


 じゅんの浴衣の衿に、手を伸ばした。射的のときにずれたのかもしれない。深雪の指先が、じゅんの首筋の近くで、静かに動いた。


 距離が、一歩分よりも近い。近づいて初めて、チャコールグレーの生地にかすかな格子が浮かんでいるのが見えた。


 深雪の袖が揺れた。シャンパンホワイトの生地に、淡い金の蛍が描かれている。流水紋に沿って舞う蛍が、提灯の灯りの中で本物のように光った。藍色の帯が、凛と締まっている。


「……はい、きれいになりました」


 深雪が微笑んだ。完璧な微笑み。けれど、手を離した後の指先が、しばらく行き場を探していた。


 二凛が自分の衿に手を添えた。


 じゅんの後ろには氷華が立っていた。




第三幕


 境内の奥、石段をさらに上った先に、その場所はあった。


 鎮守の杜の木立が切れ、空が広く開けている。参道の喧騒は遠い。虫の声と、どこか遠くの祭囃子だけが聞こえていた。


「お待ちしておりました、皆様」


 葛城かつらぎ 二華ふたばが一歩前に出た。ロイヤルネイビーの浴衣に、シルバーと白の精緻な幾何学模様。その直線の中に、小さな露草が数輪だけ散っている。シルバーの帯が、角出し風に一分の乱れもなく結ばれていた。手首に、細い組紐のブレスレットが光っている。


「こちらです」


 真白・P・アイ(ましろ・ぱとりしあ・あい)が誘導した。プラチナホワイトの生地が、裾に向かってアイスブルーへ沈んでいく。柄のない、光沢だけの浴衣。メタリックな半幅帯の左端が、右よりわずかに長い。銀の簪が、まとめた髪を涼しげに留めていた。


 じゅんが二人の浴衣姿に目を止めた。


「いろいろありがとう。——二人とも、浴衣、よく似合っている」


 二華が小さく頭を下げた。「恐れ入ります」


アイは瞬きもせず、じゅんを見つめていた。「じゅん様も、とてもお似合いです」



 じゅんが二華の隣に並んだとき、夏凪の視線が動いた。


 チャコールグレーの格子と、ロイヤルネイビーの幾何学。色は違う。けれど、直線の走り方が、灯りの受け方が、どこか似ている。


 月詠が、夏凪の視線を追った。


「……兄さま。二華さまの浴衣と、どことなく雰囲気が似ておりますわね」


 じゅんが振り返った。


「ああ、浴衣を二華にコーディネートしてもらったからかな」


 笑った。


「なかなかきまっているだろう」


 二華は表情を変えなかった。組紐のブレスレットの下で、袖口が少しだけ握られた。


 六つの浴衣が、凍った。


 月詠の扇子が止まっていた。美空が眼鏡に手をかけたまま動かない。陽花が口を開きかけて、深雪が陽花の肩にそっと手を置いた。夏凪は、何も見なかったように空を仰いだ。氷華は、じゅんの袖の格子を見ていた。


 沈黙が、三秒。


 どん、と腹に響く音がした。


 空に、光が咲いた。



          *



 最初の花火が散ると同時に、二発目が上がった。赤、青、金。色が重なり、崩れ、夜空を洗っていく。


 月詠がじゅんの隣に立った。


 花火の光を受けて、じゅんを見上げた。上目遣い。両手を小さくグーにして、口元に添えた。


 深い紺の浴衣に、淡い藤の花が浮かんでいる。バイオレットの帯の裏地から銀がちらりと覗き、耳元の銀の鈴飾りが、かすかに揺れた。


 花火の光の中で、月詠は完璧だった。


 じゅんの口元が、震えた。


 笑いを、こらえている。こらえきれていない。


「……月詠、すごくかわいい」


 頭を、撫でた。


 月詠の瞳が見開かれた。


 ——かわいい、しかしこれでは……。


 扇子が開いた。頬を隠した。唇が動いた。「景乃さん、あなたの教え……」。声は、花火の音に消えた。


 月詠は扇子で顔を覆ったまま、じゅんの傍を離れた。耳の先が、白竹の扇子の端から覗いている。赤かった。


 頭に残るじゅんの手の温度を、月詠は振り払わなかった。



 花火が次々に上がる。光が弾けるたびに、浴衣の色が変わった。


 陽花が「わあ!」と声を上げた。花火のたびに、跳ねている。


「陽花、今日一日楽しかったか?」


「うん! りんちゃんもいたし、お兄ちゃんと一緒だから!」


 じゅんが目元を緩めた。陽花はもう次の花火を見上げている。



 美空が少し離れた場所に立っていた。花火を見上げる横顔は、学園とは違う顔をしていた。


「肩の力が抜けてて、たまには、そんな美空もいいな」


「……べ、別に、いつもと変わりません」


 声が裏返った。眼鏡に、花火の光が映っていた。



 深雪が隣に来た。花火を見ながら、静かに並んでいる。


「さっきはありがとう。深雪がいると安心だね」


「いつでも、お申し付けくださいね」


 深雪が微笑んだ。巾着を持つ指先が、白かった。



 大きな花火が上がった。


 光が、夏凪の浴衣を照らした。深紅の地に、銀の牡丹が浮かんだ。


「……今日の色、よく似合ってるよ、夏凪」


 短く。


 夏凪は答えなかった。花火を見たまま、唇を引き結んだ。


 耳が赤い。花火の色ではなかった。



          *



 花火は続いていた。


 じゅんが少し立ち位置を変えた。空を見ながら、一歩。


 二凛がそれに合わせて、一歩。


 花火を見ているつもりだった。目は空を向いている。けれど足が、じゅんの方を向いていた。


 花火の光が、二凛の浴衣を照らした。桜色の地に、小さな撫子が散っている。若葉の緑が差し色に入り、エメラルドグリーンの兵児帯が、花火の色を受けて揺れた。髪の桜のピンが、光のたびにきらめいた。


 気づけば、じゅんの左側にいた。肩が、少しだけ近い。花火が、安らいだ表情を映し出した。



          *



 ひときわ大きな花火が、夜空を埋めた。


 全員が、空を見上げた。


 じゅんの右袖の生地を掴む指先があった。


 花火の光が銀色の髪を照らしている。杏色の浴衣の金魚が、光を受けて泳ぐように揺れた。


 氷華は、空を見ていた。かすかに微笑んでいるようにも見えた。



 右に、氷華。左に、二凛。


 花火が空に咲き、散り、また咲いた。

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