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六花円舞曲(りっかワルツ) ~六つの花に慕われた兄の、季節をめぐる日常~  作者: 葛城 二華


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第三十八話 ここは陽だまり

 すずメモ、七月中旬、土曜日。


 『ファンクラブ密着取材 陽だまりの里。目標:内側の空気を、拾う。』


 三色ボールペンの青で書いた一行を見下ろして、柚木 すず(ゆずき すず)はB5リングノートを閉じた。陽だまりの里は、毎週土曜日を初等部から高等部までの全学年合同の活動日としている。初等部児童の保護者からは、見守りがあり、いろいろな体験ができると、感謝されているらしい。

 

 土曜日の校舎は平日より静かだった。左腕には放送委員の腕章。制服で廊下を小走りに進む。体育館の方角から、声が聞こえていた。遠いのに、はっきり聞こえる。窓ガラスが微かに震えている気がした。



          *



 体育館の扉を開けた瞬間、声の壁にぶつかった。


 真ん中に立っていたのは、法被を羽織った男子だった。


 純黒のツンツン頭に三白眼。首にかけたマフラータオルは陽花のメンバーカラーのサンバイオレット。黒地に真紅で「必勝」「陽花」の文字が躍る法被の襟を正しながら、地声で体育館の端から端まで届かせていた。


「二列目、声が落ちてる! サビ前で息を吸え! 三列目、足踏みが遅い!」


 久我くが 大輝たいき。陽だまりの里の幹部、里長さとおさであり代表。高等部2年、応援団団長。


 大輝の横で、がっしりした体躯の中等部生が直立していた。柔道で鍛えた肩と胸板が体操着の上からでもわかる。短く刈り込まれた黒髪の下の目は、実直に列を確認している。里長さとおさ龍崎りゅうざき たけし。ジャージの袖を肘まで捲り上げた腕が、上級会員である陽守ひなもりとともに、一般会員の陽民ひなたみたちの整列をさばいていた。


「大輝さん、初等部の準備できました」


「よし、後ろに入れろ!」


 すずは扉の横に立ってノートを開いた。


 体育館の隅にパイプ椅子が一脚。腕を組んで座っている人影があった。明るい茶髪のショートヘア。ポロシャツの袖から、前腕と肩回りの重厚な筋肉が覗いている。大きな体躯を預けたパイプ椅子が、小さく見えた。


 朝日あさひ 陽太ようた。体育教諭であり、里長さとおさ


 すずはそばに寄った。


「先生、放送委員の柚木です。取材をしていいですか」


 朝日が腕を解いて笑った。オレンジがかったブラウンの瞳が、まっすぐにすずを見る。前に立つだけで守ってくれそうな、と、すずのペンが一瞬止まった。


「おう、何でも聞いてくれ」


「陽だまりの里って、どういう集まりなんですか」


 朝日が練習中の陽守ひなもり陽民ひなたみに目を向けた。初等部の小さな子から高等部の生徒まで、声を揃えている。


「陽花がくれたものを、返したい。それだけだ。あの子は走ってくるだろう、誰かが転んだら。だから俺たちは、あの子が走るとき、声を届ける側でいたい。全員そうだ」


 すずのペンが走った。朝日の言葉は一語も迷わなかった。教壇で話すのとは違う、腹の底から出る声だった。


「先生、戦場帰りみたいな安定感ですね」


 朝日の笑顔が止まった。


 半秒。


「はは、毎日が戦場みたいなもんだからな。二百人の面倒を見てるんだ」


 笑い声は元に戻っていた。



          *



 大輝の声が体育館の天井を叩いた。


「いくぞ、陽だまりの里ーーー! 俺たちの太陽に、声を届けろーーー!」


 前口上。地声だった。


 剛が低い声で最前列を支え、百人を超える声が重なった。



 朝がくるたび 思い出す

 あの子の笑顔は まぶしくて

 転んだ膝を 払うより先に

 「大丈夫?」って 走ってきた


 だから今日は 俺たちの番だ

 届けるぞ この声で



 一番が終わると、大輝が声を落とした。体育館の空気が一瞬だけ静まる。


「サビ、もう一回。瑞希さん、振り付けお願いします」


 体育館の右端から、黒髪のポニーテールが進み出た。


 瀬川せがわ 瑞希みずき里長さとおさで、チアリーディング部部長、高等部2年。背筋がまっすぐに伸びた、しなやかなアスリートの身体。タブレットを小脇に挟んだまま、陽民ひなたみたちの前に立った。


「サビの入りで右腕を上げます。タイミングは『ひまり』の『ひ』。初等部は左右どちらでもいいので、大きく振ってください」


 知的なライトブラウンの瞳が、列を一人ずつ確認した。自らの身体で振り付けを示す。腕を振り上げた瞬間、ポニーテールが鞭のようにしなった。大輝と剛の熱量を冷静に整える。


「ほら、みんなでやるぞ! 柚木さんも!」


 大輝に列の端に引きずり込まれた。ノートを閉じる暇がなかった。剛が「こっちです」と場所を空け、隣の陽民ひなたみがすずの腕を引いた。


 サビが始まった。声が天井を打った。腕を振った。隣とぶつかった。歌詞は知らない。でも隣の子が口を開けば音が聞こえるし、前の子が腕を上げれば真似できた。二回目のサビで、すずの口からも声が出ていた。何を歌っているか分からないまま、声を出していた。額に汗が浮いた。ノートを持つ手が汗ばんでいる。


 熱量がうつるのだ、と思った。


 息をついたとき、隅に小さな影が見えた。


 栗色のツインテール。体操着。陽花と同じ髪型だった。


 若葉わかば 芽衣めい。初等部三年生。列の一番端に座り、膝の上で折り紙を折っていた。大きく丸い、黒目がちの瞳が、時折練習中の陽民ひなたみたちを追い、すぐに手元に戻る。声は出していなかった。


「あの子は」すずが小声で剛に訊いた。


「めいちゃん。陽花ちゃんが大好きなんです」


 剛は短く答えて、列に目を戻した。



          *



 芽衣が立ち上がった。


 折り紙を握ったまま、体育館の扉の方を見ている。


 三秒後、陽花が走り込んできた。


「みんなー! おつかれさまー!」


 金髪のツインテールが跳ねた。体育館の空気がまるごと変わった。陽民ひなたみたちが一斉に振り返り、「陽花ちゃん!」の声が四方から上がった。


 陽花は芽衣のそばに屈みこんだ。


「めいちゃん、何作ってるの?」


「……ひまわり」


 声は小さかった。けれど陽花を見上げる瞳は、確かに輝いていた。


「すっごい上手! めいちゃん天才!」


 芽衣の頬が赤くなった。


 すずはペンを走らせた。陽花が来ただけで体育館全体の温度が上がる。放送委員として知ってはいた。知ってはいたが、内側から見るのは初めてだった。


 陽花は列の間を歩き始めた。「今日も来てくれてありがとー!」「暑いのに偉いね!」。一人ずつ目を見て、手を振り、名前を呼んでいた。初等部の子に屈みこんで何か話し、高等部の男子に「背、伸びた?」と笑いかけた。男子が照れて視線を逸らした。


 放送では拾えなかった距離だった。すずのペンが、少しだけ遅くなった。



「すずちゃん?」


 体育館の入口に、一ノいちのせ 小春こはるが立っていた。文庫本を片手に、中を覗いている。


「図書館の帰りに声が聞こえて」


 小春の視線は、陽民ひなたみの間を歩く陽花を追っていた。


「陽花ちゃん、見てるだけで元気もらえますよね」


「小春ちゃん、ちょうどいい! こっち来て!」



 大輝が「さっき一番の練習やったんすよ!」と報告した。「えー! 聞きたかったー!」と陽花が両手を広げた。剛が「もう一回やりますか」と大輝に視線を送り、瑞希が無言でタブレットを構えた。


 不意に、陽花が止まった。


 笑顔のまま、振り向いた。


「お兄ちゃん!」


 入り口に向かって走り、じゅんの腕にしがみついた。


「お兄ちゃん、みんなが歌の練習してたの! すっごいの!」。じゅんは「そうか」と頭に手を置いた。


 大輝が叫んだ。「もう一回やるぞ! 朝霧先生にも聞いてもらえ!」


 陽民ひなたみたちが列に戻った。朝日が椅子から立ち上がり、じゅんの隣に歩いてきた。


 陽花が手を振っている。「がんばれー!」。


 剛が、低い声で言った。「兄貴のためにも、陽花ちゃんを全力で支えます」


 前口上。一番。サビ。剛の低音が響き、瑞希が初等部の列を手で導き、大輝の声が天井を突き抜けた。


 すずは一歩引いて見ていた。小春がすずの隣で、小さく微笑んでいる。



          *



 練習が終わった。


 じゅんが朝日の横に立っていた。


「いい歌だね」


 朝日の瞳が一瞬だけ潤んだ。腕を組み直して、すぐに笑った。


「任せてください!」


 大輝が体育館の隅で剛と拳を合わせ、瑞希がタブレットに記録をつけていた。芽衣が入口の近くに座っている。完成した折り紙のひまわりを、両手で胸の前に掲げていた。ひまわりが、少し誇らしげに、陽花を見ていた。


「みんな楽しそう。嬉しい!」


 陽花が笑った。


 

 小春がすずに小さく手を振って、廊下に消えた。


 すずは体育館を出た。


 壁にもたれて、ノートを開いた。三色ボールペンの赤を選んだ。


 『熱量やばい。でも嫌いじゃない。——二百人分の陽だまりだった。』


 ノートを閉じた。ペンをポケットに差した。


 廊下の向こうで、まだ声が聞こえていた。

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