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六花円舞曲(りっかワルツ) ~六つの花に慕われた兄の、季節をめぐる日常~  作者: りょーさん


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誕生日特別編2 同じ日に生まれたこと(6月6日 陽花、月詠)

 六月六日の朝。ダイニングに最初に飛び込んだのは陽花だった。


「お兄ちゃん! 今日は私と月詠の誕生日だよ!」


 階段を三段飛ばし。着地の衝撃がテーブルのコーヒーを揺らした。


「おめでとう、陽花」


 じゅんが笑った。陽花がじゅんの腕に飛びつく。椅子ごと少し浮いた。


 廊下から、扇子を閉じたまま歩いてくる気配があった。


「兄さま、おはようございます。——少しだけお言葉をいただければ、と思いますの」


 月詠は深くお辞儀をした。紫の瞳が、じゅんの顔を一度だけ探るように動いた。


「おめでとう、月詠」


「ありがとうございます、兄さま」


 月詠の唇の端が、ほんの少し上がった。


 美空が食卓の配置を整えていた。じゅんの両隣の椅子に、小さなカードが置かれている。「陽花」「月詠」と、美空の筆跡で書かれていた。


「今日は陽花と月詠の誕生日ですから」


 氷華がじゅんの向かい側に座り、双子を静かに見ていた。


 深雪が朝食を並べながら「今夜はケーキを用意しますね」と微笑んだ。夏凪がコーヒーカップを傾けたまま「おめでとう」と短く言った。


 テーブルに、メッセージカードが届いていた。葛城かつらぎ 二華ふたばの筆跡で「お誕生日おめでとうございます」、真白・P・アイ(ましろ・ぱとりしあ・あい)の字で「良い一日になりますように。——データ上、六月六日の天候は概ね良好です」、美琴みこと 二凛ふたりの丸い字で「素敵な一日になりますように」と添えられている。


 陽花がカードを手に取り、「事務所のみんなもありがとう!」と声を上げた。月詠はカードの文面に目を通し、「アイさんらしいですわね」と微笑んだ。


 六人が食卓を囲む。じゅんの両隣に座った陽花と月詠を、四人の姉妹が祝う朝だった。



          *



 昼休み。体育館。


 陽だまりの里が、陽花を呼び出していた。体育館の扉を開けた陽花の前に、横断幕と色とりどりの応援旗。ホワイトボードにメッセージが溢れている。


「陽花ちゃん、お誕生日おめでとう!」


 龍崎りゅうざき たけしが真っ先に声をかけた。


「おめでとう、陽花! 今日は陽だまりを挙げて祝うぞ!」


 朝日あさひ 陽太ようたが両手を広げた。


 その横で、応援団の法被を着た久我くが 大輝たいきが拡声器を構えた。


「よーし、いくぞ!」


 大輝が息を吸った。拡声器が、体育館の天井に声を叩きつけた。


「いくぞ、陽だまりの里ーーー! 俺たちの太陽に、声を届けろーーー!」


 二百の声が、陽花のために作られた応援歌「ひだまりのうた」を歌い始めた。統率はやや粗い。だが熱量は桁違いだった。剛が低音で支え、朝日が腕を組んで全体を見守っている。


 サビに入ると、体育館が揺れた。「ひまり、ひまり、太陽のひまり」——声が壁を打ち、窓ガラスを震わせた。


 二番が終わり、サビがもう一度響いた後、体育館が静まった。


 落ちサビ。


 初等部の一角から、小さな声が聞こえた。


「ひまりおねえちゃん いつも ありがとう」


 細い声だった。一人では体育館を満たせない。けれど二人目が続き、三人目が重なり、初等部の声が束になって広がった。


「あなたがいるから わたしも がんばれるよ」


 陽花の目が、大きく開いた。


 唇が震えた。笑っている。笑っているのに、目の縁が光っている。


 大サビ。全学年が合流した。体育館が最大音量で鳴った。


「ひまり ひまり 太陽のひまり どこまでも飛べ 空の果て」


 大輝が拡声器を下ろし、地声で叫んだ。


「陽だまりの里、全員——」


「ひまりーーー!!」


 二百の声が、陽花の名前を呼んだ。


 陽花は両手を胸の前で握り、何度も頷いた。声が出なかった。代わりに、満面の笑顔のまま、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「みんな……ありがと……えへへ、わかんないけど、なんか……うれしい」


 剛が朝日の横で小さく拳を握った。朝日が目を潤ませたまま、腕を組み直した。大輝が法被の袖で目元を拭い、「朝霧さんにも見せてぇな、この光景」と呟いた。



          *



 放課後。新理科棟。


 月詠がIT研究会の部室に足を踏み入れると、机の上に封筒が一つ置かれていた。中から現れたのは、繊細な文字列。暗号だった。


「景乃さんの手跡ですわね」


 三分で解読した。文面は短かった。「理科準備室。制限時間、一時間」。


 月詠の目が細くなった。扇子を開いた。


「——受けて立ちますわ」


 理科準備室。壁に貼られた周期表の元素記号が、一部だけ色を変えてある。東雲しののめ あきらの出題だった。元素記号の頭文字を拾い、並び替えると次の場所が浮かぶ。月詠はノートの切れ端に解を書き留めた。十二分。


 三つ目の暗号は、資料室にあった。古い百科事典の特定のページに挟まれた紙。暗号の形式が、一段目と二段目のどちらとも違う。景乃でも晶でもない。


 月詠の扇子が止まった。


 暗号の構造が深い。二重の置換と転置が組み合わされている。九条くじょう 景乃かげのの一段目より格段に難度が高かった。月詠は椅子に座り、扇子を閉じ、暗号に向き合った。


 窓の外の光が傾いていた。


 月詠のペン先が最後の一文字を書き取った。解は場所を示していた。PCルームの前から3列目、右から5台目のパソコン。


 パソコンを起動すると、いつの間にか背後に景乃が立っていた。一枚の色紙が差し出された。


 表面に、小さな文字が隙間なく並んでいる。すべて暗号で書かれた寄せ書きだった。パソコンには、解読コードが表示される。月詠が一つずつ目で追うと、「お誕生日おめでとうございます」「今年もお側に」「月詠様の策に従います」——月影のみんなからの祝辞が現れた。


 景乃が腕時計を見た。


「四十五分。——易しすぎましたか、ミストに、そこそこ歯ごたえのあるものをお願いしましたが」


 晶が景乃の隣で、黙って会釈をした。


 月詠は寄せ書きを胸元に当てた。


「……ありがとうございます、景乃さん、晶さん。素敵な勝負でしたわ」



          *



 夜。朝霧家の食卓。


 深雪がケーキを運んできた。二段仕立て。上段に「陽花」、下段に「月詠」と、チョコレートのプレートが一つずつ載っている。


 蝋燭を吹き消したあと、じゅんが二つの包みを持ってきた。


「まず陽花」


 白いリストバンド。じゅんの手首にも、同じものが巻かれていた。


「練習の時に。お揃いだよ」


 陽花の瞳の奥に、光が灯った。包みを開いた手が止まり、リストバンドとじゅんの手首を交互に見た。


「——お兄ちゃんとお揃い!!」


 三秒の沈黙のあと、声が弾けた。リストバンドを胸に押しつけ、もう片方の手でじゅんの腕を掴んだ。


「月詠」


 もう一つの包みを差し出した。深い銀灰色の革表紙。ポケットに入る大きさの手帳で、帯に細いペンが挟んである。


「策を練るのにちょうどいいよ」


 月詠の唇が、わずかに開いた。


「兄さま、——認めてくださるの……?」


 素の声だった。


「認めてるよ。いつも」


 月詠は手帳を両手で持ったまま、深く息を吸った。


「……大切に、使わせていただきますわ」


 美空が「プレゼントが的確すぎます」と呟いた。氷華は向かいの席から、じゅんと双子の三人を静かに見ていた。深雪は微笑んでいた。


 夏凪が席を立った。双子のそばまで歩き、陽花の頭にぽんと手を置いた。そのまま、月詠の頭にも。


「大きくなったわね」


 陽花が「なぎなぎ!」と顔を輝かせた。月詠が「素直ですわね」と返した。


「うるさい」


 夏凪は短く言って、席に戻った。コーヒーカップに手を伸ばす横顔は、窓のほうを向いていた。



          *



 就寝前。三階の廊下。


 陽花と月詠が並んで歩いていた。それぞれの部屋へ向かう、いつもの時間。


「つくつく、今年も一緒に誕生日だね!」


「ええ」


「来年も、再来年も、ずっと一緒だよ」


 陽花にとって、それは宣言ではなかった。空が青いことを言うように、当たり前のことを口にしただけだった。


 月詠の足が、半歩だけ遅れた。


「……陽花さんと同じ日に生まれたこと、嬉しく思いますわ」


 廊下の窓から、六月の夜風が入ってきた。陽花が立ち止まり、振り返り、両腕を広げた。


 月詠が「陽花さん、廊下で——」と言いかけたが、遅かった。陽花の腕が月詠を包んだ。柔らかく。月詠の頬が、陽花の頬に触れた。


 数秒、月詠は動かなかった。


 扇子を持たない右手が、陽花の背中にそっと回された。


「……ありがとうございます、陽花さん」


 小さな声だった。「さん」付けのまま、距離だけが近くなっていた。


 陽花が「えへへ」と笑った。月詠が「笑わないでくださいまし」と言ったが、自分も笑っていた。



 それぞれの部屋に戻った後。


 月詠は藍色の日記帳を開いた。万年筆を手に取り、今日の日付を書いた。


 ペン先が、白い紙の上で止まった。


 書くことは、たくさんあった。兄さまの手帳。月影の暗号。四十五分の勝負。陽だまりの里の歌声が学園に響いていたこと。そして、廊下で陽花に抱きしめられたこと。


 策を立てなかった。ミスもなかった。何も計算しない一日が、これほどに満ちていた。


 ——策は、要りませんでしたわ。


 月詠は万年筆を置き、銀灰色の手帳を開いた。まだ何も書かれていない。明日からの策を練る場所。兄さまが、そのために選んでくれたもの。


 日記帳を閉じ、手帳を胸元に当てた。


 窓の外で、六月の月が細く光っていた。

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