7.ラビット
「観測されるのは俺じゃなくてお前だろ」
ボビーは呆れたように目頭を押さえた。しかし面倒な話になった。自分だけの話では済まない可能性がある。
ボビーが欲しいのはアカデミア号に関する情報だけだ。だがそれがきっかけになって、《スクラップ・リンク》や依頼人のマーガレットまで被害が及ぶかもしれない。探偵社もどうなるか。
少なくとも、通信ハブへの侵入が露見すれば、真っ先に危険へ晒されるのはヘンダーソンだろう。違法AIの存在が保安局に知られれば、《スクラップ・リンク》ごと焼かれるかもしれない。そしてヘンダーソンが言う”上位システム”が何であるにせよ、それがどの様なリスクを孕むのか、まったく予測できない。少なくともボビーには無理だ。
「ヘンダーソン。見つかった時は何が起こる。いや、何が起きるか予測してくれ」
プードルが目を潤ませて上目遣いになった。
「予測対象が曖昧です」
「全部だ」
「⋯⋯⋯条件を拡張します。通信ハブへの侵入が検知された場合を想定し、三つの代表的なシナリオを提示します」
「第一。通常対応。侵入は重要インフラへの不正アクセスとして処理されます。通信は遮断され、侵入元の特定が開始されます。保安局または自治政府保安部門へ通報され、追跡が行われます」
「要するに警察だな」
「一般には、そのように表現されます。これについては、私のアクセス権限でも追跡を撹乱し、接続元を隠蔽できる可能性が十分あります。今までのように」
プードルが舌なめずりする。
「第二。異常対応。侵入経路に通常と異なる特徴が検出された場合、保安局へ引き渡される前に管理AI群が解析を開始します」
「つまりAIが相手か」
「はい。その場合、追跡対象は侵入者だけではありません。使用された演算資源、接続経路、協力者、関連通信履歴まで相関解析されます」
「⋯俺だけじゃ済まないってことだな」
「はい。《スクラップ・リンク》、探偵社、依頼人マーガレット・ロッシ。これらは関連対象として抽出される可能性があります」
ボビーは顔をしかめた。
「おい、俺は依頼人についてお前に言ってないぞ!」
「《アーク・リサーチ》内の契約情報を検索しました。研究教育船アカデミア号と関連性の高い契約は一件でした」
「お前のほうがよっぽど危険じゃないか」
「ロバート、あなたが私の前に立った時点で、私はあなたを顧客として扱います。あなたに対する不利益は私にとっての不利益として処理されます」
「くそっ、それで管理AIどもは出し抜けるのか?」
「管理AIに私の作った疑似情報マトリクスを流し込むことで、管理AIに情報を誤認させることができます。成功すれば」
ボビーが眉を上げる。
「成功率は?」
「八十一・二%」
「高いな」
「ですが失敗した場合、管理AIは欺瞞行為そのものを学習します」
ここまでであれば、危険は少ないと考えられた。ヘンダーソンの性能を考えれば、彼の情報戦における防衛能力は群を抜いている。そうでなければ違法なネットアクセスをするAIなど、あっという間に保安局に摘発されていただろう。
しかしまだ続きがありそうだ。”上位システム”とやらの話がまだ出ていない。
「第三に移ってくれ」
「第三」
プードルが少し沈黙した。
「これは推測です」
「聞こう」
「もし上位情報統合主体が実在する場合、通信ハブへの侵入そのものより、侵入者そのものが観測対象になります」
「⋯⋯⋯違いは?」
「保安局は犯罪者を探します。上位主体は理解しようとします」
ボビーは眉をひそめる。
「それが危険なのか?」
ヘンダーソンは数秒沈黙した。
「私には分かりません。ですが、人間が昆虫を観察するとき、昆虫の意思は考慮されません」
「ヘンダーソン」
「はい」
「もし向こうが俺たちを見つけた場合、逃げる方法はあるか?」
「ありません」
「即答するな」
「質問が逃走可能性なら、回答はありません」
「⋯正直だな」
部屋が静まり返る。六十四基のAIコアだけが低く唸っていた。ボビーはしばらく黙っていた。顎に手を当て、床へ視線を落とす。
そして、小さく息を吐いた。
「いいだろう、通信ハブへのハッキングを開始してくれ。対処できるものにだけ対処しよう」
「了解しました。リスク評価を更新します。ロバートの生存確率が七・四%低下しました」
「余計なお世話だ」
プードルの顔が怒りに歪み、歯をむき出しにする。
「不正侵入シークエンスが開始されました。侵入まで5...4...3…2...1…」
それまでとは比較にならないほど、六十四基のAIコアが大きく唸り、冷却系の流体が配管を流れる音だけが部屋に残った。
「侵入完了、処理時間0.34秒。不正アクセスログの改ざん、管理AIへの疑似情報マトリクスアップロード完了。通信ハブからの保安AIへの通報を未然に遮断。データ取得完了。成功しました」
「でかした」
言った瞬間大きなビープ音が鳴った。
「検知。通信ハブから未確認の通信パスを確認。通信パスを遮断...失敗。再試行...失敗。通信切断...切断完了」
長い沈黙。ボビーが口を開く。
「終わったのか?」
プードルは答えない。六十四基のAIコアだけが唸る。
数秒後。
「分かりません」
ボビーは少し考える。
「途中までは上手くやってたみたいじゃないか」
「はい。保安システムの動作は未然に防ぎました。管理AIからの情報検索も欺瞞に成功しました」
「じゃあ最後のはなんだ?」
「遮断処理を実行しました」
「見てたよ。それで?」
「拒否されました」
「誰に?」
「不明です」
「不明?」
「拒否した主体情報がありません」
どうやら、事前に想定していた最悪の可能性が現実になったらしい。だが、不思議と恐怖はなかった。
正確には、何が起こっているのか理解できないから、恐怖を感じなかった。
警察に追われるわけでもない。管理AIに包囲されたわけでもない。ヘンダーソンの防壁が破られたわけでもない。
ただ一つ。
自分たちが侵入したことを、誰かが知っている。
それだけだった。
「それで、取得したデータはどんなものだった」
「通信ハブ内には、意図的に削除された通信データが残っていました。その中にあなたの興味を引きそうなデータがあります」
ボビーは身を乗り出した。
「見せてくれ」
プードルの顔が消え、立体ホロディスプレイに線形グラフが現れた。それが上下に波打つ。
『―――こちらアカデミア号、ジャンプゲート通過後、当艦の位置情報を見失った』
『こちら交通管制AI。貴船の位置情報を確認できません。星系画像データを送って下さい』
『あー、少し待ってくれ、現地の交通管制と繋がった。通信チャンネルを変更する』
『了解しました―――』
『なんだこれは、聞いたこともない⋯⋯⋯なにかおかしい。チャンネルはこのまま維持する』
『通信を維持します。現地の交通管制エリアが分かれば貴船の現在位置を特定できます』
『待ってくれ。我々を招待すると言っている。何だこれは、ジーランティア?』
『確認します。その名称についてデータベース検索を――』
『待て。今、向こうから――』
録音された音声が終わる。
数秒後。ヘンダーソンが言った。
「ロバート」
「なんだ」
「この通信記録には、本来存在しないはずの返信があります」
ボビーは眉をひそめた。
「返信?」
「はい」
「誰からだ」
プードルは沈黙した。
「⋯⋯アカデミア号ではありません」
ヘンダーソンが言った瞬間、ボビーの神経端末に突然着信が入った。通話を許可する前に強制的に通話が始まった。
「やあ、ロバート・レーン。聞こえるか」
「誰だ」
「「私の名前はラビット」」
先ほどまでヘンダーソンの声を出力していたスピーカーから、もっと滑らかな声が出て、神経端末の声と重なった。
目の前の立体ホロディスプレイからプードルの顔が消え、アニメ調の擬人化されたウサギが現れた。




