4.ジーランティア到着42日目~①
「おーい!」
遠くからこちらに呼びかける声。タカオは農具を動かす手を止めて、そちらに目をやった。
村の長を務める、タカオが便宜上「ケンタウロス」と呼んでいる種族の男が、山の裾野から弓を掲げ、大きく手を振っていた。二つに割れた蹄で軽快に斜面を下ってくる。その姿にももう慣れたが、ほんの一月ほど前には腰を抜かしたものだ。本人によれば、もう二百年以上生きているらしい。
タカオが手を振り返すと、隣で同じように手を振るライリーが、タカオにだけ聞こえる声で話しかけてきた。
「変だな、手ぶらだぞ。朝方に狩りに出かけたはずなのに」
首を傾げているライリーは、どこから見ても普通の人間だった。タカオがこの村で最初に見つけた人影は彼だ。ライリーはこの村で農夫として暮らしている。
彼の話す言語は、コロニーで生活していたときには聞いたこともない、おそらくはジーランティア特有の自然言語だ。なぜそれが理解できるのか。それはタカオにも分からない。たぶんこれも、あの時AIが言っていた「必要な範囲で必要な調整」の一部なのだろう。便利だと思う自分がいることが、少しだけ悔しかった。
「山に獲物がいなかっただけじゃないのか。ほら、相手は野生動物だし」
「ならいいんだけどね。でもガルドは腕利きだ。よっぽどのことがないとぼうずで帰ってこないよ」
「ふーん、そんなもんか」
タカオ自身も、今では現地の言葉を流暢に話している。未だに自分の口から出てくる特有の小さな擦過音や、咽頭を震わせる奇妙な発音に、慣れないでいる。
村長のガルドは、タカオたちのいる畑の方じゃなく、村の中心にある広場の方へ向かっていった。四つ足で駆ける姿は風のように素早い。
「行こう」ライリーが言う。「たぶん何かあるはずだ」
ライリーはこの村で生まれ、この村で育った人間だ。タカオは彼を信じて後に続いた。周りを見やれば、タカオとライリーだけじゃなく、畑から出て村の方に、ゆっくり移動していく村人たちの姿があった。
移動している途中で、村の広場の鐘から三点鐘が響いた。どうやら何かあったようだ。ライリーも村人たちも、判断が一歩早かった。
ライリーは良いやつだ。倒れたタカオを三日間看病してくれた。食事を与え、回復するまで世話を焼き、裕福とは言えない生活の中で、貴重ともいえる予備の服や靴を分けてくれた。そんなこと簡単にできることじゃない。
回復後、何もすることがなくてぶらぶらしていると、丁寧に仕事のやり方も教えてくれた。まあ、―――ただ労働力が欲しかっただけかもしれないが、少なくともそれがタカオにとっては救いになった。タダ飯食らいは、村で肩身が狭かった。
彼はタカオにとって恩人であると同時に、新しい友人でもある。たぶん歳はライリーが少し上だ。偉ぶるでもなく、自然な距離で話しかけてくれる。気安いし、人懐っこい。最初から驚くほど話しやすかった。とはいえ、仕事や村の決め事について教えてくれるときには、ちゃんと厳しさもあった。それはほとんど親切心によるものだろう。彼を嫌いになるのは難しい。
村の中心に着くと、広場でガルドと何人かの村人が話し合っていた。畑や村のあちこちから来た面々は、周囲を囲むように様子を見ていた。タカオとライリーもその輪の中に入る。集まった群衆はかなりの人数だった。百人を優に超えているように見える。自然と様々な姿形が目に入った。タカオの頭の中では、小柄な連中は『ホビット』、牙のある老人は『オーク』、耳の尖った連中は『レプラコーン』と勝手に呼んでいた。当然、コロニーで見るような、普通の外見の人間も多い。こういった村の風景に慣れるまで、タカオはしばらくかかった。今もまだ完全に慣れているとは言えない。
ガルドと話しているのは、村の長老連中だった。長老たちもなかなかに個性的な外見だ。ただいたずらに年老いただけの存在ではない。ガルドが村の執行役なら、長老は議会のような役割を持っている。つまり、村長であっても勝手なことはできないのだ。それがここひと月、タカオがこの村を見ていて分かったことだった。
彼らの会話が聞こえる。周囲の人々もそれに耳を傾けているようだ。
「―――双つ山の裏側で確認したのか」
「そうだ。あれはたぶん大樹林から来たやつだ。近くの山をうろついてる。しばらく追跡したが、途中で見失った」
「向こうはお前を―――」
「たぶん見てない」ガルドはピシャリと言った。「だが何人か村に残す必要があるだろう。あいつを狩りに行くなら」
「放っておくのは危険か?」
「⋯⋯⋯難しいな。山の奥で血の跡を見つけた」そしてぐるりと周囲を見渡す。「この村の人間じゃないだろう。だが体の一部が散乱していた」
長老たちが少したじろいだように見えた。周囲の村人たちからもざわめきが上がる。
「こういうことはよくあるの?」
タカオがそっと聞くと、ライリーは難しそうに眉根を寄せた。
「多くはないよ。年に数回さ。でも俺の親はそれが原因で死んだ」
タカオはぎょっとした表情でライリーをまじまじと見た。
「そんな話初めて聞いた」
ライリーの表情はよく分からない。どこか捉えがたい表情をしたあと、ふと口元を緩めた。
「君が来てからそんなに経ってないからね。ほら、今後の対応が決まりそうだ」
タカオが村長たちに視線を戻すと、村長は話し合いを終えてぐるりと村人達の方に体を向けた。長老たちが村人の輪の方へ下がっていく。
ガルドはしばらく黙って周囲を見渡した。その顔にはやや疲労の色があった。狩りから戻った男の疲労ではなく、村を守る者の覚悟が浮かんでいた。周囲が十分に静まるのを待つと、
「聞け!」
よく響く声がざわめきを完全に止めた。
「山で見つかったものは、我々の仲間ではない可能性が高い。しかし、それで安心する理由にはならない」
「奴が何であれ、腹を空かせているなら次に狙うのは我々だ」
村人たちの表情が硬くなる。
「自警団は今夜から交代で見張りにつけ。子供と老人は夜間、外に出るな。畑仕事も日が落ちる前に終えろ!」
淡々とした命令。しかし、その声には恐怖を煽る響きはなかった。
慣れているのだ。
この村では、危険は特別な出来事ではなく、生活の一部なのだ。
「アンヘル!」
村長が呼ぶと、毛むくじゃらの『熊人』、としか表現できない外見の若者が前に出た。
「自警団を集めろ。手が空いたものから武器庫で武器を配れ。他の者は片付けが終わったら、村役を俺の家に集めろ!」
短く返事をすると、熊人はさっと身を翻して、何やら周囲の人を呼び集めながらドタドタと走り去っていった。
そこからの村の動きは慌ただしかった。ガルドは長老を引き連れてまた会議を始め、農民は農具を片付けるために畑へ戻る。村で唯一の鍛冶屋は店先で矢や狩猟罠を準備し始めた。雑貨屋、肉屋、その他全ての様々な役割を持つ人々が、それぞれ迷うことなく持ち場へ散っていく。誰も指示を待たない。この村では、危険への備えもまた日常の仕事だった。
タカオもまたライリーの後ろについて準備を始めた。刈り集めた草を村の共有資産である畜舎へ運び、農具を片付け、広場に来られなかった者たちへ事情を説明する。
作業を続けながら、心のどこかで英雄になりたい自分が顔を出した。自分から自警団に加わり、怪物を倒す──そんな物語なら主人公らしい。だが現実は違う。弓の扱いなど知らない。下手をすれば味方を射る。あるいは真っ先に死ぬ。前に槍を持たせてもらった時は―――、石突きで他の村人の頭をしこたまどやしつけてしまった。ライリーは腹を抱えて笑った。
だからタカオは黙って草を抱え直し、ライリーの後ろを歩いた。
しばらく経って、夕日を背に、武装した一団は山へ消えていった。
その背中を見送りながら、タカオはこの世界では「夜を迎える」ということ自体が、一つの試練なのだと初めて理解した。
そして、
―――その夜は試練なんてものじゃ済まなかった。
また途中投稿。後でしっかり書き上げます。




