3.ヘンダーソン
軌道エレベーターの巨大な構造が、目の前にそびえていた。下方には旧式の貨物ドッグや、使われなくなった船舶修理施設が点在する。エレベーターシャフトから伸びる巨大な影が、町を暗く塗りつぶしていた。
『目標地点に近づきました。本日はご利用ありがとうございます。コロニー移送サービスを今後とも宜しくお願いいたします。つきましてはサービスの満足度を測るためのアンケートにご協りょ⋯⋯⋯』
ボビーは乱暴に音声案内を停止した。
高度の下がったタクシーの車窓から、半裸のモデルが踊る立体ホロ広告や、神経端末越しに視界へ割り込んでくるさらに下品なVR広告が、緩やかに上へ流れていった。車体越しに聞こえる広告音声もひどく耳障りだ。
さらに降下。呼んだときと同様に、フロートタクシーはふわりと着地した。車内の音声案内がまた余計なことを言い出す前に、ボビーはさっさと降りた。
この辺りはまだスラムの入り口に過ぎない。危険すぎる場所へ踏み込むつもりはないが、少しばかり刺激を味わいたい労働者たちが雑踏をつくっていた。とはいえまだ午前11時だ。こんな時間から遊び歩いている連中に、真っ当な市民はあまりいない。
神経端末の拡張現実機能をオフにする。表向き存在しない店ほど、AR地図からは丁寧に消されている。入口を見つけるには、自分の目で探すしかない。目障りな広告もまとめて消え、ようやく街の輪郭が見えた。
広告に隠れていたレンズのない監視カメラや、建物の間で煙を上げる保安ポッドが、そこかしこに転がっていた。この辺から、管理社会からこぼれ落ちた者たちの領域が始まる。ボビーの場合はここまで極端じゃない。好きじゃないだけだ。そういう性分に産まれた。それだけのことだ。
目抜き通りを外れ、さらに細い裏路地へ入る。すると、ようやく目的の店が見えてきた。《スクラップ・リンク》。表向きはAI製品の修理を専門にしている。
ボビーは殴りつけるようにドアをノックした。ドアの上部に設置されたセキュリティカメラが動き、施錠機構がガチャリと音を立てた。そのままドアを開ける。
「やあ坊主。今日はどうした」
こざっぱりした白髪交じりの短髪に、油で汚れた作業着。少し意地の悪そうな笑みを浮かべた五十がらみの店主が、二重扉の奥に寄りかかって、いつもの調子で声をかけてきた。
「仕事だ。商売の調子は?」
「上々さね。最近新しいサービスを始めてね。そっちの稼ぎが良い」
「へえ、どんな。いや、やっぱりいい。どうせロクでもないことに決まってる」
ひひひと嫌な笑いを浮かべると、店主は店の奥を親指で示した。
「どうせデータサルベージでもしに来たんだろ。それとも別件か?」
店の奥に促されながら、ボビーは首を振った。
「ヘンダーソンに用がある。あのキチガイじみた並列起動AIに」
狭い入口を抜けると、外観からは想像もつかない広い商品陳列スペースが広がっていた。分解された神経端末、AI用記憶素子、製造元を削り落とした演算モジュール、識別番号を消された宇宙艦規格の戦術AIコア――違法と知りながら見て見ぬふりをするしかない品々が、雑然と積み上げられていた。油とオゾンの匂いが鼻につく。
この奥の施錠された扉を抜けると、今度は機械部品が床にまであふれた作業部屋へと続いている。ケーブルレス化と旧時代の配線接続が混じり合う、グロテスクな機械の集合体。六十四基のAIコアが静かに振動する。
センサー類で周辺情報を察知すると、卓上サイズの立体ホロディスプレイに怒ったプードルの顔が映し出された。むき出しのスピーカーからキンキンした声が漏れる。
「こんにちはロバート・レーン。それに店長も」
「やあ、ヘンダーソン」
ボビーが挨拶を返すと、店主は店の方に移動しながら、少し大きめの声で釘を差した。
「またあとでな。支払いを忘れるなよ」
「分かってる」
ボビーはヘンダーソンに向き直った。といっても、こいつと喋る時はどこを見たら良いのかいつも迷う。ディスプレイのプードルを見れば良いのか、それともこいつの目である光学センサーか、あるいは一塊になったAIコア群。少し迷った末に、いつものようにプードルへ視線を向けた。
「情報を探してる。研究教育船アカデミア号についてだ」
「一致。研究教育船アカデミア号。船籍番号BC-AR-1037-0021。本コロニー標準時897.37キロ秒前に消息消失。照会対象は当該船舶で間違いありませんか」
怒ったプードルが、ほんの少し胸を張ったように見えた。
ヘンダーソンは、そこらの管理AIよりずっと出来がいい。初めて会った人間なら、こいつが本当に意思を持っていると勘違いするだろう。だが違う。こいつは会話の文脈と表情データを組み合わせ、その瞬間に最もらしい反応を組み立てているだけだ。ボビーだってそんな事はわかっていた。しかし人間の根源的な本能が、ヘンダーソンへの態度を、いつの間にか人間やペットに向けるそれのようにしてしまう。
「よし、いい子だ。そいつに妙なことが起きてる」
「詳細を」
「アカデミア号が消えた瞬間、交通管制AIやその他の管理AIとの通信は切断されている」
「通常の通信断ですね」
「違う。切断ログの後にも交信履歴だけは15分くらい残ってる」
「通信内容が存在しない?」
「そうだ。時刻だけある。データだけ綺麗になくなってる」
プードルの耳がぴくりと動いた。
「矛盾しています」
「だろ?」
「通常の通信断であれば、通信終了時刻が記録されます。通信内容が削除された場合は、削除履歴または整合性異常が検出されます。ですが、『交信は継続していた』『内容だけ存在しない』という状態は、一般的な障害では説明できません」
ボビーは腕を組んだ。
「俺もそう思った。だから、お前に聞きに来た」
数秒の沈黙。
六十四基のAIコアが低く唸る。
「可能性は三つ」
プードルが前足を一本立てた。
「第一。通信記録そのものが改竄された」
もう一本。
「第二。通信内容のみを記録するストレージが物理的に損傷した」
三本目。おい、犬に前足は3本もない。気持ち悪い見た目だ。
「第三。通信ハブ側には完全な記録が残存している可能性があります」
「通信ハブ?」
「船舶間通信は通常、双方だけでなく中継ハブにも複製されます。交通管制AIの記録が欠損していても、通信ハブが正常なら復元できる可能性があります」
ボビーは少し考え込む。
「そのハブはまだ残ってるのか?」
「稼働中です。もし通信ハブにも同じ欠損が確認された場合、記録媒体の異常ではありません」
「どういう意味だ?」
「誰かが個別の記録を削除したのではなく、『通信という事象そのもの』を隠蔽した可能性が高くなります」
「……そんなことができるのか?」
「理論上は可能です」
「ハブへの閲覧権限は?」
「ありません」
「予想どおりだ」
プードルは当然という顔をした。
「一般照会権限ではアクセスできません」
「つまり」
「不正侵入が必要です」
ボビーは苦笑した。
「お前、その言い方好きだよな」
「法的表現を用いました」
「ハッキングだ」
「一般には、そのように呼称されます」
ここでリスクについて考える。ボビーは顎に手を当てた。
「侵入できるのか」
プードルは即答した。
「可能です」
「即答するな」
「訂正します。技術的には可能です」
「その違いは?」
「成功率と生存率は別問題です」
ボビーは眉をひそめた。
「生存率?」
「通信ハブは重要インフラです。侵入検知は非常に高性能です」
「追跡されるってことか」
「はい」
プードルの耳が少し伏せられる。
「検知確率は?」
「算出不能」
ボビーは鼻で笑う。
「便利な言葉だな」
「便利ではありません」
プードルは即座に否定した。
「未知の対象を既知として扱うことは、解析AIにとって重大な欠陥です」
「つまり分からない」
「はい」
数秒の沈黙。
六十四基のAIコアだけが低く唸っている。
「ですが、一つだけ断言できます」
「何だ」
「もし通信記録が意図的に消去されたのであれば―――」
プードルの表情が消えた。
怒った顔でも、得意げな顔でもない。
ただ無機質な犬の顔。
「それを実行した主体は、交通管制AIより上位です」
「自治政府か?」
「断定できません」
「じゃあ何だ」
「私には階層構造の公開された情報までしか見えません」
ボビーは眉をひそめる。
「公開されてない情報もあるのか?」
「公開された階層構造モデルを論理的に考えると、上位に情報統合主体が存在する可能性があります。その情報統合主体は、自分が存在することすら下位AIへ通知しません」
部屋が静まり返る。
「各AIは、自分より一段上と一段下しか知りません。上位階層へ向かう通信経路も、要求のたびに再構成されます」
「⋯蟻の巣だな」
「近い構造です」
ボビーは苦笑する。
「その統合情報主体は権力の中枢にいる権力者だろうか、行政執行機関の長とか?」
「可能性はあります。しかし統合した情報を処理する能力で考えれば、人間であるよりは上位のAIであると考えたほうが自然です。また市長や市の行政機関のアクセスログを読む限り、彼らのアクセスは階層構造のかなり下位との通信しか確認されていません」
「つまり、人間が通常利用しているAIは、全て下層に位置している可能性が高いわけか。では上位AIが存在する可能性はどの程度の確率なんだ?」
「私の推論モデルでは、存在しないと仮定した場合の方が矛盾が増加します」
プードルは静かに続けた。
「統合対象の規模から逆算すると、公開管理AI級の演算能力では処理が追いつきません。したがって、その主体がAIであるならば、人間が一般に認識している管理AIよりも高性能な設計である可能性が高いと推定されます」
一瞬間があき、プードルはさらに続けた。
「その仮説を検証するため、私は公開されている全管理AIの通信様式を解析しました。しかし、その全てが『誰か』へ報告している形跡だけは残っています」
「その"誰か"ってのは……」
「到達先は存在しません」
「……?」
「通信経路だけが存在します」
ボビーは言葉を失った。人間が運用しているシステムなのに、人間には何も見えていない。
ヘンダーソンは最後に、淡々と告げる。
「ロバート」
「何だ」
「通信ハブへの侵入は、記録を読む行為ではありません」
「⋯⋯⋯」
「あなた自身が、上位システムから観測される可能性があります」
一旦途中まで。また後で続きをあげます。
7/14 21:04
追記
一旦ここで締めたほうが良いと結論しました。
会話内容をAIに検証してもらい、途中の会話をよりSFとして合理性の高い会話に差し替えました。




