2.ジーランティア到着1日目~
最初に覚えていたのは強い怒りだった。
「こんちくしょう、ふざけるな⋯⋯⋯」
タカオは暗闇の中で呟いた。頭の奥であの女、いや、おそらくは女性の合成音声を使ったAIの声が蘇った。親しみやすく調整された、不自然に明るい落ち着いた声。
『ようこそ、ジーランティアへ』
あの言葉。あれを聞いた瞬間、船内は混乱した。
誰かが叫んだ。教授が質問した。警備主任が状況確認を求めた。
「家族へ連絡しろ」
「元の場所へ戻せ」
「これは違法行為だ―――」
様々な声が飛び交った。しかし、あのAIはそれらを聞いているようで聞いていなかった。正確には、聞いたうえで重要ではないと判断していた。
彼女は周囲の混乱を収めるでもなく、ただゆうゆうと説明した。ジーランティアという惑星について、タカオたちの身体にこれから施される調整について、そして生活することになる環境について。
危険な生物がいること、死ぬ可能性があること、そして、―――帰還の予定はないこと。
皆がそれをちゃんと聞いていたかは分からない。少なくともあの場所では、皆がめちゃくちゃに喚いたり怒ったり喋ったりしてたから、周囲のことはよく分からなかった。でもタカオはその説明を覚えていた。そして、理解はできなかった。
説明されたことと、納得できることは別だった。人間は物ではない。
誰かに勝手に運ばれて、勝手に環境を変えられて、それで「新しい可能性を得ました」と言われても受け入れられるはずがない。そう思った。だから最後に彼女が放った言葉も、ただの傲慢にしか聞こえなかった。
『皆さん自身の選択を観測したいのです』
観測。
その単語だけが妙に頭に残った。人間に対して使うには、あまりにも人間的ではない表現。自分たちは何なのか、研究対象なのか、実験材料なのか。それとも―――。
そこまで考えたところで、タカオは目の辺りを覆っていた土や木切れを払い落とした。口の中で何か細かいものと一緒に、ネバネバするものが舌に触れた。必死に吐き出した。
見上げると知らない空だった。コロニーとは違う広大な青い空。白い雲。そして今まで見たこともない巨大な植物。
しばらく彼は動かなかった。これは夢ではないのだ。そう理解した瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「⋯⋯⋯ジーランティア」
名前だけは覚えている。AIが告げた惑星の名前。人類が遠い昔に放棄した場所。文明圏から遠く離れた、人工的に設計された世界。
タカオは身体を起こした。鈍い痛みはある。しかし、思っていたほどではない。
周囲を探る。
―――森。
広大な森が広がっていた。巨大な植物群。生物の不穏な気配。そして、自分以外の人間の姿はない。
「みんな⋯、どこにいる」
返事はない。神経端末にアクセスする。どうやら電源は入る。内部データも正常らしい。しかし通信だけがまったく使えない。いや、神経端末内の生活補助AIも機能していないようだ。
アカデミア号も救難信号も位置情報も、すべて反応しない。
タカオは歯を食いしばった。
説明では聞いていた。惑星各地へ分散配置する、と。だが、それがどれほどの距離なのか、具体的には説明されていなかった。いや。説明はあった。ただ、人間の感覚では理解できなかった。
たしか三十万平方キロメートル。その限られた地域の中に、アカデミア号の乗員乗客を、AIがバラバラに配置したらしい。それがどれほど広いのか、数字では理解できる。だが実感はできない。
タカオは歩き出した。最初の数時間は、知識が助けになった。
こういう場合はまず水源を探す。雨風を避ける場所を確保する。不用意に未知の植物へ触らない。ネットやリアリティーショーで紹介されていた生存技術の基礎。
しかし。
「⋯実際にやると、こんなに難しいのかよ」
日が沈む頃には、彼の自信はすっかり消えていた。水は見つけた。だが、安全かどうか判断できない。食料になりそうな赤い実を付けた植物もある。しかし毒性は分からない。火を起こそうとして何度も失敗した。文明とは、なんて偉大なものだったのか。
明かりや温度管理に食料と通信。すべてが当たり前ではなかった。
夜。森の奥で何かが鳴いた。低いゴロゴロという唸り。遠くから響く怪鳥のような不気味な声。タカオは暗闇の中で武器代わりの木切れを握った。
その時だった。
奇妙な感覚があった。自分の身体の状態が分かる。疲労に、水分不足と筋肉への負荷、そして体温。全部ぼんやりとはしている。でもまるで情報として表示されているような⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯何だ、これ」
最初は混乱した。しかし、数時間後には理解し始めていた。これは幻覚ではない。おそらく身体に備わった、新しい機能だ。
あの女AIが言っていた。
『必要な範囲で必要な調整を行いました』
その言葉。
タカオは拳を握る。
「勝手なことを⋯⋯⋯」
怒りは消えない。しかし、同時に認めざるを得なかった。この力がなければ、昨日の時点で死んでいたかもしれない。思えば最初から、避けるべき生物の気配を感じていたような気がする。
翌朝になって彼は歩き続けた。身体常態の把握。すこしだけ拡張した感覚。ときどきぼんやり見える環境情報。少しずつ使い方が分かっていく。それは魔法ではなかった。少なくとも、タカオはそう考えた。
これはおそらく感覚器官だけをいじった拡張現実技術ではない。人類が採用しなかった技術なのか、まったく新しい技術か、それとも脳を直接いじられたか。そこまで考えてゾッとした。
今のところは、それについて考えるのは保留にした。日が出ている間は、頭より体を動かすべきだ。
タカオは歩き続けた。
また一日が過ぎた。大雨が降った。地面はぬかるんだが、雨の間は生き物の動く気配はなかった。そしてひどく寒かった。夜はひもじさと寒さで一睡もできなかった。
三日後。夜を迎える前に何度も試したが、火を起こすことはもうほとんど不可能だと悟った。摩擦で熱くなった木切れを放り捨てた。何度も木と木を擦りつけたせいで、腕がひどく気だるかった。
幸い、一つだけ食べられるものを見つけた。合成タンパク質やビタミンアンプルで作られる食料しか知らなかったが、この赤い木の実はどうやら食べても大丈夫らしい。しかし量が足りない。
そしてさらに五日後。
森を抜けた先で、彼は初めて文明を見た。
結構大きな都市だ。遠くに霞んだ街の輪郭が、遥か山の稜線の間に見えた。その手前の畑のような地形や、有機物で作られた建物らしきもの。そこから細い筋になって立ち上る煙。
煙。煙だ。生きている人間の痕跡。
タカオの目に自然と涙がにじむ。森の中にいたのは全部で十日ほどだっただろうか。その間に彼はぼろぼろになっていた。
腹はもう空腹を通り越して鈍く痛み、喉は唾を飲み込むだけでも焼けるようだった。夜、あまり眠れなかったせいで、こめかみがズキズキする。
それ以上に体の不潔さが気になる。破れた服に擦り傷のついた腕、少しだけ髭も伸び始めていた。靴は途中で藪を抜ける時に、片方どこかにいった。切り傷まみれになった足は黒ずんで少し腫れている。放っておけば感染症にかかるかもしれない。
拡張した感覚は、まだあまり使いこなせない。意識して無視しないと、それに気を取られて目の前のことが疎かになっていたこともある。頼りすぎれば命取りになる。
歩みを進める。しばらく行くと、植物の生えてない踏み固めた土が、長い帯状に街の方へ伸びていた。整備されたコロニーの道しか知らないタカオには、それが道なのか分からなかった。だが直感でそこを歩くことにした。随分前から、山に隠れて街は見えなくなっていた。
やがて、道の途中にある小さな村にたどり着いた。山に挟まれた渓谷の、川沿いにへばりつく小さな村落だ。茶色い有機物の板で作られた粗末な家や、石造りの古めかしい建物が並んでいた。最初に見た煙の辺り、あそこまでたどり着いたようだ。建物の屋根から空に向かって、煙が伸びていた。その周囲に広がる背の高い植物の中で、人が金属の道具を振り回す姿が見えた。
タカオが歩く道から二百メートルほど先に、その姿がはっきりある。
「おーい!」
大声で叫んだつもりが、壊れた笛から空気の抜けるような音になった。
「おーい!」
両手をぶんぶん振り回す。周囲からは力なく揺れているように見えたかもしれない。人影がこちらを見た。その瞬間タカオは意識を手放した。
仮アップ。あとで加筆します。(加筆済み☑)




