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 トレイル達の目の前に現れたのは、あの黒魔道士の男であった。時計塔の中間にあるバルコニーに立って三人を見下ろしていた。


「これはこれは。現執行議員に、凄腕冒険者。それに我が出資者まで。皆さん揃って見学ですかな?」


 余裕と残酷性を混ぜた笑みを浮かべる男。


 トレイルとパーヴォンは警戒して男の一挙一動に目を光らせていたが、スティングは違った。


「き、貴様あっ! この裏切り者の嘘つきが!! 話が違うぞ!! ぼ、僕にまでモンスターが襲いかかってきたっ、あ、危うく殺されるとこだったぞ!」

「それはそれは。大変な目に逢いましたな」


 男は冷笑を浮かべるだけで、まともに相手する気配を示さなかった。


「ですが、素晴らしい体験が出来たでしょう? 大いなる魔の王が生み出した眷属の力。それによる恐怖という名の体感。貴重な経験ですよ」

「なっ······!」


 言葉を詰まらせ、口をパクパクと開口するスティングから目を離し、男がトレイルを見る。


「君の力は少しだけ拝見させてもらった。まさか、あの忌々しい邪神の力を持っているとは」

「邪神?」


 聞き返すトレイルに男はスッと目を細めた。


「君達が勇者と呼ぶ人間の事だ。今は死んでいるのは周知の通りだろう。彼こそこの世界が生まれ変わる希望を砕いた張本人だとも知らずに······」

「······と言うのが、浄化論者の言い分でしたね」


 パーヴォンが付け足すように言うと、男は頷いた。


「魔王が勝利していれば、世界は浄化され、新しく再生出来たのだ。にも関わらず勇者とか呼ばれる愚か者達のせいでその奇跡は絶たれた。これを悲劇と呼ばずにどうする」

「悲劇ってのは──」


 静かな声が男へ返される。


「そこから見える光景の事を言うんだよ」


 トレイルの眼に鋭い光が宿った。

 時計塔の周囲にも多くの“死”が残されていた。


「お前ら魔道士の大層な理想論なんざ知ったこっちゃねえが、この蛮行だけは見逃せないな」

「············憎々しいな」


 男にも殺気が宿る。


「力だけではなく、まるで生き写しだ。貴様はひょっとして······」


 そこまで言いかけ、男は首を振った。


「まあ、それはいいとしよう。どちらにせよ、貴様らはこのままここで死ぬのだからな」

「なっ!? ま、待てっ!? ぼ、僕はお前の客だぞ!? ま、まさかっ······!」

「現れよ! 灰色の戦神! フェンリル!!」


 男が天に向かって吠えると、どこからともなく凄まじいプレッシャーが迫った。


「!! 上だ!」


 トレイルが叫ぶのと同時に、時計塔の上から巨大な影が降ってくる。


「へ?」

「馬鹿!!」


 回避行動に移るトレイルとパーヴォン。全く反応しなかったスティングの腕をトレイルが引っ張る。


 三人が立っていた場所のすぐ目の前に影が落ちる。軽く地面が震え、砂煙が立ち上がる。


 その中に垣間見えたのは、二回りも三回りも巨大化し、茶色の体毛が白に近い灰色へと変わったデスウルフ。


 それはある意味、息をのむような美しく均等の整った四肢を持つ獣であり、物言わず佇む姿は彫刻か石像のようでもある。

 その眼は黄金色に輝き、体からは神々しくさえ感じる魔力のオーラを滲ませていた。


 暗く沈んだ死臭漂う町の中、時を刻む塔より降り立った灰色の狼。


 その神秘的な獣こそ、人々がワイバーンと並んで恐れる最強モンスターの一角。フェンリルであった。


「ひ、ひいいぃっ!? フェ、フェンリル!?」


 スティングの悲鳴がこだまする。

『空のワイバーン、地のフェンリル』と唄われるほど、その戦闘能力は驚異的である。


 トレイルも目を見張った。


「そんなモンまで用意してやがったか」

「フフ。美しいだろ? これこそ、魔王がその美しさに惚れて更なる力を与えられた聖獣だ」


 人を食らう事によって魔力を吸収し、長く生きたデスウルフがフェンリルとなる。

 故に、そのおおよその能力はデスウルフに近いが、魔力と生命力は比べ物にならない。


「さあ、フェンリルよ。魔の王への生け贄達の心臓を抉り出し、血を持って穢れを払え!」


『ウオオオォォォォォンッ······』


「パーヴォンっ、スティングを連れて逃げろ!」


 トレイルが叫んで一気に肉薄する。その速さは人間のものとは思えないほどであった。


 目にも止まらない速さでフェンリルの脇に滑り込み剣を構える。


 しかし──


『グルオオオッ』

「ちっ!」


 その動きを難なく捉えたフェンリルの前足が爪を振り下ろす。

 処刑人の斧のごとき凶器がトレイルの足下の地面を大きく切り裂いた。


「せっ!!」


 剣閃が幾重にも瞬く。

 半透明の風の刃がフェンリルを襲う。


 だが──


『ガルルルルッ』


 フェンリルの全身から淡い光が滲み出し、風の刃が四方八方に放たれた。


「っ!? くっ!」


 飛来する風の刃を辛うじて弾いていくトレイル。


 しかし、数で圧倒するフェンリル側の攻撃の全ては防ぎきれず、トレイルの頬や足が浅く切り裂かれる。


「くっ······」


「うわあああっ!?」


 さらに、後方からスティングの悲鳴が上がる。咄嗟に振り向くと、風魔法を食らったらしきスティングが地面に転び、それをパーヴォンが起こそうとしていた。


 しかし、トレイルに他人を心配している暇はなかった。自身にも攻撃が迫っているのだ。


 銀の刃が目にも止まらぬ速さで瞬き、襲い来る波状攻撃を空に散らせる。


『ガルルルルルルッ』


 そこへフェンリルが跳躍する。

 灰色の巨体は、その大きさからは想像がつかない程に俊敏な動きをし、一瞬でトレイルを間合いへと抱き込んだ。


『グアウッ』

「はあっ!」


 恐ろしい爪がトレイルの頭上へと迫ったが、それはすぐに虹色に輝く光の盾によって防がれた。


「おりゃあっ!!」


 同じ光を発する剣が閃いて、凶暴なアギトへと風を切る。


 しかし、その一刀はあっけなく避けられ、灰色のしなやかな着地が再び間合いをとる。


「流石に簡単にはいかないか」


 トレイルはピタリと正眼に剣を構えて力を溜めた。



「ふむ。簡単な相手ではないな。だが──」


 魔道士の男が空に両手を掲げる。


「我が眷属よ、我の声に応えよ、この地に集え。忌まわしき仇敵の遺志を継ぐ者をこの世から浄化するのだ!」


 男の声と共に、町中のあちこちからモンスター達の雄叫びが発せられ、軽い地響きが町を震わせた。


「フフ。町中のモンスター達を呼び寄せた。すぐにここへ雪崩れ込んでくるだろう。貴様らは数百体のモンスターと戦わなければならない」

「くっ、流石にヤバいか」


 トレイルは僅かに後ろを振り返った。パーヴォンとスティングはまだ逃げていなかった。いや、逃げられなかった。


「う、うわああぁぁっ、い、痛いよおっ! 痛いよおおおおおぉっ······ママっ、ママああ~!!」


 スティングの肩や脇腹、足から多量の出血があった。パーヴォンがヒールをかけていたが、傷が大き過ぎて治せない。


「くそっ」

「観念したまえ。貴様らはもう終わりだ」

「······そいつはどうかな?」

「なに?」


 そんな絶望的な状況の中でも、トレイルは不適に笑ってみせた。


「俺には頼もしい仲間が居るんでね。どんな場況でも、最後にどんでん返しの大逆転がある。ギャンブルってのはそういうもんだぜ」

「なに──」


 男が顔をしかめたその時であった。


「!!?」


 突如として、地面にいくつもの記号や模様が浮かび上がった。

 それらは苦しげにのたうち回る蛇のように揺らいでいたが、すぐに塵のように消えていった。


 それと同時に、フェンリルを始めとし、周囲に集まり始めていたモンスター達の挙動が変化した。


 隊列を組んでいた小型モンスター達は互いに共食いを始め、ジャイロックバードはオーガを振り落とした。


 モンスター同士の血と血がそこら中で飛び交いだしたのであった······。


お疲れ様です。次話に続きます。

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