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YAWARAMICHI  作者: ウィリアム・J・サンシロウ
白桜龍聖編
136/153

DEPRESSED・ガチションボリチンデンマル・懺悔の日々

ふとした瞬間に蘇り―――

身を蝕まれることになったとしても―――

君は柔道が楽しいか?

 2021年5月1日、土曜日の夕暮れ。

 公園では、小学生ほどの子供(じゃり)達が、奇声を上げながら駆け回っている。

 白桜(はくら)は鼻歌まじりに、夕陽が作り出した絨毯めいた長い影を、踏みしめるようにゆっくりと歩いていた。

 左膝の怪我はすでに完治しており、今日は念のための定期健診に向かっていたようで、口元がわずかに緩んでいることから、診断結果に何の問題もなかったことが伺える。

 診察のため部活動を早退していた白桜は、使い切れなかった体力が体内に燻っているのを感じながら、帰路を変更して近くの道場へと向かっていた。

 どうやら、自主練で足りなかった分を埋めるつもりのようである。


「ん~……? この近くにコンビニエンス道場ってあったっけ?」


(どうしよう……学校のトレーニング室使おうかな? ……秋沢(オニババア)先輩に見つかったら怒号(どや)されそうだからやめとこっと……)


「はぁ~……もう家で腕立てでもしてよ……」


「―――おらぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」


「……? あれ、この声って……」


 どこからともなく、熱を帯びた雄叫びが夕空に響いた。

 風が運んできたその声の方向へ視線を巡らせると、人影の少ない公園内に敷かれた畳の上で、白髪の混じる黒髪の青年がひとり、道着(まとい)姿で黙々と打ち込みを続けているのが見えた。

 張りつめた気配と、肩で荒く息を吐くその姿に引き寄せられるようにして、白桜はそっと足を踏み入れる。

 足音に気づいた青年は、道着(まとい)の袖で汗を拭いながら、静かに白桜の方へ(つら)を向けた。


「……あ!! 白桜君……」


「あぁ……罪炎(ざいえん)先輩、(おつかれさま)です。自主練ですか?」


「……まぁ、そうだね。夏の大会まで2か月くらいだし、ちょっと追い込もうかなぁって……白桜君は、病院帰り?」


「そ、そうですね……定期健診でした」


「そう……」


「……はい」


 互いに少しだけ言葉を交わしたあと、空気は一気に重くなり、2人の間に気まずい沈黙(スフィンクス)が落ちた。

 白桜は普段、先輩に対しても遠慮のない口調で話すのだが、罪炎だけには未だ敬語を崩せずにいる。

 それほどまでに、かつての加害者と被害者という関係は、2人の間に深く影を落としていた。

 罪炎もまた、白桜をまともに見られず、視線をわずかに逸らしたまま、風に揺れる木々の方へと泳がせている。

 耐え切れなくなったのか、先に沈黙(スフィンクス)を破ったのは罪炎の方だった。

 その声は途切れそうなほど細く、耳を澄まさなければ掬い取れないほど静かだった。


「……ねぇ、白桜君」


「は、はい? なんですか?」


「……ちょっと柔道やらない?」


「…………へ?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 罪炎の突然の申し出に戸惑いつつも、白桜は道着(まとい)に袖を通し、入念に身体をほぐしていった。

 何を思っての誘いなのかは理解(わか)らない。

 だが、もともと自主練をするつもりだった白桜にとって、それは悪くない提案でもあった。

 支度を終えた二人は、審判も観客(パンピー)もいない静寂(あおいろ)な空間で向かい合い、深く礼を交わす。

 やがて薫風を切るように踏み込み、互いの道着(まとい)へと手を伸ばした。

 誰の目にもただの練習試合と映るだろう――

 しかし、少なくとも片方にとっては、ある決意を胸に秘めたまま臨む、静かな始まりでもあった。


「こぉ"ぉ"ぉ"ぉ"い!!」


「……こい!!」


 両者は同時に左手を伸ばし、相手の右襟を鋭く掴み取った。

 体格では劣る白桜は、力比べになる前に主導権を握るべく、一瞬の迷いもなく自らの土俵を築きにかかる。


「No.49……縮嵐(しゃくらん)!!」


「……っ!!」


  突風に背中を押されるまま、白桜の身体が一歩、自然と前へ滑り出る。

 その力を逃さず、彼は予備動作すら見せずに足技へと転じた。

 ――風の圧を己の駆動力へと変換し、予備動作消す技。

 No.49縮嵐。

 風を背で受け止める姿を目の当たりにした罪炎は、目を細め、胸の奥で静かに感情を揺らしていた。


(……その技、先月の昇格戦が終わってから習得した技だったよね……そうか……もうそんなに使いこなせるようになったんだ)


「やぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ!!」


「……くっ!!」


(……ずっと頭から離れないんだ。もし俺が君を傷害(いわ)さなかったら―――白桜君は今頃、どういう戦い方をしてたのかなってさ。氷属性の戦いを極めてたのかな? 龍属性の……白龍(はくりゅう)呼応(こおう)を習得してたのかな? ……俺のせいで、遠回りばかりさせてる……)


「……No.83灰燼(かいじん)の構え」


 白桜の小内刈りが、罪炎の左足にかぎ爪めいて鋭く食い込み、それが畳からふわりと浮いた。

 普通ならば体勢を立て直し、足をついてから反撃に転じるであろう。

 だが罪炎は、その常識を静かに踏みつぶしていった。

 左足を着地させぬまま、腹の底から焦げつくような熱を立ち上らせ、その身すらも焦がし兼ねない烈火を身に纏ていく。

 体力を削る代償と引き換えに、肉体強化と技の威力を一気に引き上げる炎属性の技、No.83灰燼の構えを使用した彼。

 物寂しい虚ろな目をしながらも、彼は真正面からの殴り合いへと身を投じていくのだった!!

 

「っ!? 罪炎先輩……本気(マジ)ですね!!」


「……そりゃね。相手は白桜君なんだ……出し惜しみなんてしてられないよ……!! No.26……!!」


 罪炎の言葉に呼応するように、彼の左腕と白桜の右腕とを、灼熱の鎖が絡め取った。

 燃え盛る鎖は互いの手首から肘へと這い、逃走も後退も許さぬ枷として締め上げていく!!

 同時に、2人を中心とした円を描くように炎が渦を巻き始め、外界との境界を断ち切る結界めいた光景が広がっていた。

 白桜の左足を自身の左足で絡め取り、体ごと相手を畳へ叩き伏せようとする横捨身技。

 小内巻込みの派生技である、No.26火抗巻込(かきょうまきこ)みを、罪炎は繰り出していくのだった!!

 体と体がぶつかり合い、残るは押し込みだけという刹那。

 握っていたはずの道着(まとい)の布が、ふっと指先から消え失せた。

 視線を向けると、白桜の体は淡く透け、輪郭さえ揺らいでいる。

 己の肉体を霧めいて透過させる技。

 ―――No.44蜃気楼(しんきろう)

 その技によって、火抗巻込みを失中(すか)してしまい、罪炎の体勢が前へ傾いていく!!

 だが罪炎は距離を取ることなく、透過を解いた白桜めがけ、即座に前へと踏み込み、大内刈りを放つ。

 逃げるつもりも、守りに徹するつもりもない。

 正面からゴリ押しする覚悟だけが、畳の上に残されていたのだった!!


「っ!!」


「……蜃気楼。その技は1回使ったらしばらく使えないからね……今のうちに……!! ……あ」


 無理やり踏み込んだ罪炎の足技は、勢いこそあったものの、軸がぶれ精度を欠いていた。

 その影響だろうか。

 白桜は腰を深く落として身構えると、体格差をものともせず罪炎の猛威を受け止めていく。

 対する罪炎は、霧散したかのように勢いを失い、その隙を突くように、白桜は返し技へと転じる。

 刈られかけていた自らの右足で、罪炎の左足の内側を鋭く払う返し技。

 大内返しを浴びせていく白桜。

 力任せの攻めを、技と間合いの妙で受け流し、そのまま一本勝ちへと結びつけたのであった!!

 畳に背をつけた罪炎は、苦笑を浮かべながらもその巧みな技術を素直に称えた。

 

「……やっぱり柔道が技前(テク)いね、白桜君」


「へっへ~ん!! ()()()()()()()()!?」


「……」


(……敬語かぁ。ほかの人なら、もっと崩れた口調になるんだろうなぁ)


 言葉は通じている。

 けれど、その奥底では触れられない壁のような距離を、罪炎ははっきりと感じていた。

 自分の過ちが生んだ影を、逃げることなく背負っているからこそ、胸の奥ではじりじりと焼けつくような痛みが広がっていく。

 それでも今は、その痛みを言葉に変えることなく抱え込んだまま、白桜との会話を続けていくのだった。


「……? 罪炎先輩、どうしました?」


「……いや、なんでもない……ねぇ、白桜君」


「はい?」


「……夏の大会、絶対勝とうね」


「え? は、はい……」


「……それじゃ、俺は先に帰るね」


 練習試合に敗れたというのに、罪炎の表情(つら)には悔しさの影すら見えなかった。

 このまま不帰之客(さつまびきゃく)になってしまいそうなたたずまい―――

 意気(ガチションボリ)消沈(チンデンマル)の原因は、怪我をさせてしまったことなのだと、当事者である白桜には察せられる。

 だが、胸の内が理解(わか)ってしまうからこそ、どんな言葉をかければいいのかも理解(わか)らない。

 雄弁(おしゃま)は銀、沈黙(スフィンクス)は金とよく言うが、この状況でも黙ることがいいのかは、神のみぞ知る。

 無言(ロム)ったまま背を向けて歩き出した罪炎の後ろ姿を、白桜は見送ることしかできなかったのだった。

 

「……僕の怪我のことで悩んでる……よね? うぅ……やりづらい……うわぁどうしよう……」


「怪我ぁ……治ったみてぇだな?」


「っ!? 誰……あれ? 確か東京(あづま)湾で会った……」


 罪炎のことが頭から離れず思案していた白桜は、不意に背後から低く響くドスの効いた声音を投げかけられ、思わずその場で飛び跳ねる。

 振り返った先には、2人の成人男性が立っており、そのうちの1人が、猛禽めいた鋭い眼差しをこちらに向けている。

 黒のコートに身を包み、頭には高級ブランドのボルサリーノを深く被っていた。

 近づいただけでただならぬ気配を纏っているその男の(つら)を見た瞬間、白桜の胸奥で古びた記憶が静かに揺れはじめた。


「あぁ!! 九条(くじょう)刑事(デカ)だ!! ……え? なんでここにいるの? ……僕、なんかやらかしたの!?」


「……勘違いするなよ。逮捕(パク)りに来たんじゃねぇ。今日は現地調査でこの辺を捜査(あら)ってるだけだ……ついでだから少し話を聞きてぇんだが……時間はあるか?」


「え……まあ、少しなら」


「……話ってのは、かつて八百長(だきょう)問題を起こした審判寺四郎(しんぱんじしろう)についてだ。俺ぁ、あいつの所在を追ってるところでな。ここにいる審判寺五郎(しんぱんじごろう)さんにも協力してもらっている。込み入った話になるが……コーヒーでも飲みながらでいい。少し付き合ってくれ」

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