DEPRESSED・ガチションボリチンデンマル・懺悔の日々
ふとした瞬間に蘇り―――
身を蝕まれることになったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
2021年5月1日、土曜日の夕暮れ。
公園では、小学生ほどの子供達が、奇声を上げながら駆け回っている。
白桜は鼻歌まじりに、夕陽が作り出した絨毯めいた長い影を、踏みしめるようにゆっくりと歩いていた。
左膝の怪我はすでに完治しており、今日は念のための定期健診に向かっていたようで、口元がわずかに緩んでいることから、診断結果に何の問題もなかったことが伺える。
診察のため部活動を早退していた白桜は、使い切れなかった体力が体内に燻っているのを感じながら、帰路を変更して近くの道場へと向かっていた。
どうやら、自主練で足りなかった分を埋めるつもりのようである。
「ん~……? この近くにコンビニエンス道場ってあったっけ?」
(どうしよう……学校のトレーニング室使おうかな? ……秋沢先輩に見つかったら怒号されそうだからやめとこっと……)
「はぁ~……もう家で腕立てでもしてよ……」
「―――おらぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
「……? あれ、この声って……」
どこからともなく、熱を帯びた雄叫びが夕空に響いた。
風が運んできたその声の方向へ視線を巡らせると、人影の少ない公園内に敷かれた畳の上で、白髪の混じる黒髪の青年がひとり、道着姿で黙々と打ち込みを続けているのが見えた。
張りつめた気配と、肩で荒く息を吐くその姿に引き寄せられるようにして、白桜はそっと足を踏み入れる。
足音に気づいた青年は、道着の袖で汗を拭いながら、静かに白桜の方へ顔を向けた。
「……あ!! 白桜君……」
「あぁ……罪炎先輩、乙です。自主練ですか?」
「……まぁ、そうだね。夏の大会まで2か月くらいだし、ちょっと追い込もうかなぁって……白桜君は、病院帰り?」
「そ、そうですね……定期健診でした」
「そう……」
「……はい」
互いに少しだけ言葉を交わしたあと、空気は一気に重くなり、2人の間に気まずい沈黙が落ちた。
白桜は普段、先輩に対しても遠慮のない口調で話すのだが、罪炎だけには未だ敬語を崩せずにいる。
それほどまでに、かつての加害者と被害者という関係は、2人の間に深く影を落としていた。
罪炎もまた、白桜をまともに見られず、視線をわずかに逸らしたまま、風に揺れる木々の方へと泳がせている。
耐え切れなくなったのか、先に沈黙を破ったのは罪炎の方だった。
その声は途切れそうなほど細く、耳を澄まさなければ掬い取れないほど静かだった。
「……ねぇ、白桜君」
「は、はい? なんですか?」
「……ちょっと柔道やらない?」
「…………へ?」
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罪炎の突然の申し出に戸惑いつつも、白桜は道着に袖を通し、入念に身体をほぐしていった。
何を思っての誘いなのかは理解らない。
だが、もともと自主練をするつもりだった白桜にとって、それは悪くない提案でもあった。
支度を終えた二人は、審判も観客もいない静寂な空間で向かい合い、深く礼を交わす。
やがて薫風を切るように踏み込み、互いの道着へと手を伸ばした。
誰の目にもただの練習試合と映るだろう――
しかし、少なくとも片方にとっては、ある決意を胸に秘めたまま臨む、静かな始まりでもあった。
「こぉ"ぉ"ぉ"ぉ"い!!」
「……こい!!」
両者は同時に左手を伸ばし、相手の右襟を鋭く掴み取った。
体格では劣る白桜は、力比べになる前に主導権を握るべく、一瞬の迷いもなく自らの土俵を築きにかかる。
「No.49……縮嵐!!」
「……っ!!」
突風に背中を押されるまま、白桜の身体が一歩、自然と前へ滑り出る。
その力を逃さず、彼は予備動作すら見せずに足技へと転じた。
――風の圧を己の駆動力へと変換し、予備動作消す技。
No.49縮嵐。
風を背で受け止める姿を目の当たりにした罪炎は、目を細め、胸の奥で静かに感情を揺らしていた。
(……その技、先月の昇格戦が終わってから習得した技だったよね……そうか……もうそんなに使いこなせるようになったんだ)
「やぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ!!」
「……くっ!!」
(……ずっと頭から離れないんだ。もし俺が君を傷害さなかったら―――白桜君は今頃、どういう戦い方をしてたのかなってさ。氷属性の戦いを極めてたのかな? 龍属性の……白龍の呼応を習得してたのかな? ……俺のせいで、遠回りばかりさせてる……)
「……No.83灰燼の構え」
白桜の小内刈りが、罪炎の左足にかぎ爪めいて鋭く食い込み、それが畳からふわりと浮いた。
普通ならば体勢を立て直し、足をついてから反撃に転じるであろう。
だが罪炎は、その常識を静かに踏みつぶしていった。
左足を着地させぬまま、腹の底から焦げつくような熱を立ち上らせ、その身すらも焦がし兼ねない烈火を身に纏ていく。
体力を削る代償と引き換えに、肉体強化と技の威力を一気に引き上げる炎属性の技、No.83灰燼の構えを使用した彼。
物寂しい虚ろな目をしながらも、彼は真正面からの殴り合いへと身を投じていくのだった!!
「っ!? 罪炎先輩……本気ですね!!」
「……そりゃね。相手は白桜君なんだ……出し惜しみなんてしてられないよ……!! No.26……!!」
罪炎の言葉に呼応するように、彼の左腕と白桜の右腕とを、灼熱の鎖が絡め取った。
燃え盛る鎖は互いの手首から肘へと這い、逃走も後退も許さぬ枷として締め上げていく!!
同時に、2人を中心とした円を描くように炎が渦を巻き始め、外界との境界を断ち切る結界めいた光景が広がっていた。
白桜の左足を自身の左足で絡め取り、体ごと相手を畳へ叩き伏せようとする横捨身技。
小内巻込みの派生技である、No.26火抗巻込みを、罪炎は繰り出していくのだった!!
体と体がぶつかり合い、残るは押し込みだけという刹那。
握っていたはずの道着の布が、ふっと指先から消え失せた。
視線を向けると、白桜の体は淡く透け、輪郭さえ揺らいでいる。
己の肉体を霧めいて透過させる技。
―――No.44蜃気楼。
その技によって、火抗巻込みを失中してしまい、罪炎の体勢が前へ傾いていく!!
だが罪炎は距離を取ることなく、透過を解いた白桜めがけ、即座に前へと踏み込み、大内刈りを放つ。
逃げるつもりも、守りに徹するつもりもない。
正面からゴリ押しする覚悟だけが、畳の上に残されていたのだった!!
「っ!!」
「……蜃気楼。その技は1回使ったらしばらく使えないからね……今のうちに……!! ……あ」
無理やり踏み込んだ罪炎の足技は、勢いこそあったものの、軸がぶれ精度を欠いていた。
その影響だろうか。
白桜は腰を深く落として身構えると、体格差をものともせず罪炎の猛威を受け止めていく。
対する罪炎は、霧散したかのように勢いを失い、その隙を突くように、白桜は返し技へと転じる。
刈られかけていた自らの右足で、罪炎の左足の内側を鋭く払う返し技。
大内返しを浴びせていく白桜。
力任せの攻めを、技と間合いの妙で受け流し、そのまま一本勝ちへと結びつけたのであった!!
畳に背をつけた罪炎は、苦笑を浮かべながらもその巧みな技術を素直に称えた。
「……やっぱり柔道が技前いね、白桜君」
「へっへ~ん!! そう思いますよね!?」
「……」
(……敬語かぁ。ほかの人なら、もっと崩れた口調になるんだろうなぁ)
言葉は通じている。
けれど、その奥底では触れられない壁のような距離を、罪炎ははっきりと感じていた。
自分の過ちが生んだ影を、逃げることなく背負っているからこそ、胸の奥ではじりじりと焼けつくような痛みが広がっていく。
それでも今は、その痛みを言葉に変えることなく抱え込んだまま、白桜との会話を続けていくのだった。
「……? 罪炎先輩、どうしました?」
「……いや、なんでもない……ねぇ、白桜君」
「はい?」
「……夏の大会、絶対勝とうね」
「え? は、はい……」
「……それじゃ、俺は先に帰るね」
練習試合に敗れたというのに、罪炎の表情には悔しさの影すら見えなかった。
このまま不帰之客になってしまいそうなたたずまい―――
意気消沈の原因は、怪我をさせてしまったことなのだと、当事者である白桜には察せられる。
だが、胸の内が理解ってしまうからこそ、どんな言葉をかければいいのかも理解らない。
雄弁は銀、沈黙は金とよく言うが、この状況でも黙ることがいいのかは、神のみぞ知る。
無言ったまま背を向けて歩き出した罪炎の後ろ姿を、白桜は見送ることしかできなかったのだった。
「……僕の怪我のことで悩んでる……よね? うぅ……やりづらい……うわぁどうしよう……」
「怪我ぁ……治ったみてぇだな?」
「っ!? 誰……あれ? 確か東京湾で会った……」
罪炎のことが頭から離れず思案していた白桜は、不意に背後から低く響くドスの効いた声音を投げかけられ、思わずその場で飛び跳ねる。
振り返った先には、2人の成人男性が立っており、そのうちの1人が、猛禽めいた鋭い眼差しをこちらに向けている。
黒のコートに身を包み、頭には高級ブランドのボルサリーノを深く被っていた。
近づいただけでただならぬ気配を纏っているその男の顔を見た瞬間、白桜の胸奥で古びた記憶が静かに揺れはじめた。
「あぁ!! 九条刑事だ!! ……え? なんでここにいるの? ……僕、なんかやらかしたの!?」
「……勘違いするなよ。逮捕りに来たんじゃねぇ。今日は現地調査でこの辺を捜査ってるだけだ……ついでだから少し話を聞きてぇんだが……時間はあるか?」
「え……まあ、少しなら」
「……話ってのは、かつて八百長問題を起こした審判寺四郎についてだ。俺ぁ、あいつの所在を追ってるところでな。ここにいる審判寺五郎さんにも協力してもらっている。込み入った話になるが……コーヒーでも飲みながらでいい。少し付き合ってくれ」




