UNBELIEVABLE・シンジー・回帰する次元
何度追い詰めても倒しきれず―――
信じられない執念を垣間見たとしても―――
君は柔道が楽しいか?
間もなく蛇島の背中が畳に触れようとしていた。
飛翔する水しぶきが、白桜の勝利を祝福するかのように輝きを放つ。
観客の誰もが、試合の結末を確信していた。
――白桜を除いて。
死に体となったはずの黒衣の柔道家。
その瞳はなおも濁らず、獲物を射抜く蛇めいて白桜を見据えている。
その異様な光を前に、白桜の胸に走ったのは、歓喜ではなく警鐘だった。
(……え? まだやる気なの……? だってもう投げられる寸前……)
「No.86……零境っ!!」
なんたる光景、吃驚仰天!!
今まさに倒れかけていた蛇島の体が、ノイズめいた歪みとともに瞬時に立ち戻る。
崩壊したはずの姿勢が、時間そのものを巻き戻したかのように、瞬時に正常な態勢へと復元されていくのだった!!
――態勢が崩壊した瞬間にのみ発動可能な、己の肉体を正常域へと強制回帰させる技。
No.86零境。
白桜が死力を尽くして剥奪た重心を、蛇島は力ずくで剥奪返したのだった!!
驚天動地な光景に、白桜の瞳がかすかに震える。
白桜は今、衰弱者になりながらも迫りくる蛇島の姿を、鮮明に見据えていたのだった!!
「まだ……手札持ってんの!?」
「ぜぇ……!! ぜぇ……!! わ、るい、かよっ!? 」
「くぅ……No.」
「牛歩いっ!!」
強引に再開された試合。
白桜は動揺を押し殺し、泡食で気を引き締め直す。
だが、その一瞬の隙を突くように、執念さで突き動かされた蛇島の両腕が、白桜の道着を鷲掴みにした!!
持ち返される前に畳みかける怒涛の猛攻。
水が足場を覆い、飛沫が視界を乱す中、蛇島は水を裂きながら白桜の軸を足技で切り崩していく。
防戦一方を悟った白桜は、己の肉体を一瞬だけ透過させるNo.44蜃気楼を発動。
技を失中した後に反撃に移ろうとしたのだが、蛇島の途切れることのない連撃が、その反撃の目すらも容赦なく摘み取っていったのだった!!
「はぁ……く、このぉ!!」
(この人、もう限界点来てんじゃないの!? なんでまだこんなに動けんのさ!? 何かカラクリが……)
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"!!」
「っ!!」
(違う……完全に気力だけで戦ってる……!! 夢でしょ……夏の新人戦から怪我が明けて、死に物狂いで鍛えて来たのに……まだこんなに差があんの!?)
「あ……」
「やぁ"ぁ""ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"ぁ"!!」
自身の許容量をはるかに凌駕する猛攻。
気づけば白桜の身体は水面の上へと浮かび上がり、蛇島の背に担がれたまま、地面へ叩きつけられる寸前だった。
一時は優勢に立っていた白桜達だったが、蛇島の常軌を逸した執念と粘りが、流れを再び呑み込み、形勢をひっくり返していた!!
審判の手が静かに真上へと伸びる。
その瞬間、試合の行方を決定づける判定が下され、会場全体が大きなどよめきに包まれたのだった!!
「一本ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"ん!!」
「うぉ……!? 現実かよ、あの蛇島ってやつ!! 1対2から逆転しやがったぞ!?」
「信じられねぇ……相手は白桜と仁王だぞ!? どうなってんだよあいつ……」
観客が喧々囂々する中、蛇島は静かに一礼し、試合場を後にした。
待合スペースへ歩みを進め、椅子に腰を下ろすと、荒れた呼吸をどうにか整えようとする。
しかし息はなかなか戻らない。
そのとき、鶸茶色の髪に黒いマスクをした男が、足音も小さく蛇島のそばへ近づいてきた。
男は右手に酸素ボンベめいた器具を、左手にメモ帳を握っている。
酸素ボンベを蛇島に差し出すと、同時にメモ帳を開き、そこに記された言葉を無言ったまま見せた。
『酸素ボンベ。それと無理しすぎ』
「ぜぇ……ぜぇ……ゲホゲホ!! じ、神宮寺先輩、酸素ボンベ……あ、感謝っす……」
『それで……どうだった?』
「そうっすね……1対2って状況もあったんすけど……思った以上に手札を切らされたって感じっすね」
『そう……あいつらと俺達の実力、思った以上に差が縮まって来たってことだね』
「まぁ……認めたくないっすけどね」
『……あの技、相手に見せちゃってよかったの? 禁制はされてないけど……』
「……まだ未完成だからいいっすよ。完成すれば別物になりそうですし。それに……」
『?』
「ああいうやつに負けるとか、俺のプライドが許さないんで」
『……そうだね。まぁ、今後はもう少し自分の体を大事にしてね? ヒサ姉、憤怒になっちゃうから』
「うぅ……!! まぁ、それもそうっすね……」
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蛇島と、その仲間と思しき男が人目の少ない場所で反省会をしている一方で、敗れた白桜と仁王もまた、試合会場を後にし、先ほどの試合を振り返っていた。
そこへ監督の金田一や主将の狐塚が合流し、夏の大会で最大の脅威となるであろう黒衣の柔道家――蛇島の戦いぶりについて、淡々と分析を重ねていく。
「あぁ~もう!! 負けちゃったんだけど!?」
「ほれ白桜!! ぐずついてないで、反省会するぞい!! ……まず確認じゃが、あの蛇島って男が使ってた技……ワシらが使う技とは何か違うよな?」
「ん~? ん~……練度は違うね、確実に」
「じゃろうなぁ……さっき狐塚と話してな、その話題になったんじゃよ。どうもな、あの黒い柔道着の集団が使う柔皇の技は、ワシらのとは規格が違うみたいなんじゃよ」
「えぇ!? 金田一監督、それどういうこと!?」
「……皮は同じじゃが、中身が違うってことじゃ。鍛え方の差もあるじゃろうが、それにしても奴らの技は性能が格段じゃ。この謎を解かん限り、勝ち筋は薄いのう……」
「うえぇ~……? 現実でぇ~……?」
「おまけにじゃ。足場を水で満たすあの謎の技……ENoかどうかは知らんが、まだ隠し玉を持っとる可能性が高い。底が見えん以上、対策も立てづらくなってきたわい……」
頭を抱える金田一の横で、白桜もまた肩を落としていた。
解けぬ難問を前に鉛筆を止めた受験生めいて、聖鏡高校柔道部の背には、重すぎる課題が圧し掛かっている。
新米の苦情対応である。
誰も余計な言葉を発することなく、道着を畳み、汗を拭い、淡々と撤収の作業を進めていた。
天方も他の部員と同じく片付けに取りかかっていたが、不意に鳴り響いたスマホの着信音に手が止まる。
左手でスマホを取り出し通話に応じると、その相手は――つい先日、転校していったあの男だった。
「もしも~し~上の方の仁王~どうしたの~?」
『おう、天方!! 久しいな、元気にしてたか!?』
「久しいって……昨日ぶりでしょ~? んで、用件は~?」
『あぁ、それなんだが……阿錬の様子はどうだ?』
「阿錬~? 別になんとも……あぁ~いや? ちょっと気が立ってる感じはあったかも〜さっきタッグ柔道でリヴォルツィオーネの蛇島に負けた時も、なんか考えてるっぽかったし〜」
『そうか……まああれだ。邪魔じゃなければ、阿錬のことは気にかけてやっててくれるか? あいつ、無茶しないか心配でな……』
「はいはい~理解ってるよ~俺も最高学年だし~その辺は気にかけとく~」
『助かる。悪いな』
「いいよいいよ~知らない仲じゃないんだし~……んでさ、仁王。昨日聞きそびれたんだけどさ~仁王ってどこの高校に転入したの~?」
『ん? あぁ、言ってなかったな、そういえば……俺は―――』
「…………………………え? 現実~? うわっ北海道大会の決勝で当たりそうじゃん、そこ~」




