DISSATISFACTION・ゴテクサ・気遣い相手に届かず
兄弟の確執が表面化し―――
互いにすれ違いが生まれたとしても―――
君は柔道が楽しいか?
別れは唐突に訪れた。
胸を抉るような荒涼感な報せに、柔道部員達は言葉を失い、ただ互いの顔を見合わせる。
その輪の中には仁王吽錬の弟である仁王阿錬の姿もあり、彼自身も兄の転校を初めて知らされたかのように、言行狼狽さを隠しきれずにいた。
「はっ!? 兄貴、ど、どういうことだよ!?」
「え? 下の方の仁王先輩、何も知らなかったの?」
「あぁ……ってか白桜!! その言い方いい加減やめろって言ってんだろ!?」
白桜の問いかけに応じていた阿錬。
だが2人の意識はすぐに吽錬へと向かい、彼が口を開く瞬間を固唾をのんで見守っていた。
その弟の視線を受け止めながら、吽錬は金田一監督の傍らでどこか申し訳なさげに佇み、転校の理由を簡潔に語り始める。
「えぇー……両親が離婚することになってだな……話し合いの結果、俺は母親についていくことになった。住家も実家に戻るらしくてな……そこからここに通うには遠すぎる。それで、転校することになったんだ」
「……えぇ~? 仁王、この前言ってたこと、現実になっちゃたの~……?」
「あぁ……色々説得もしたんだが、空転だったな」
「え? 天方先輩、なんか知ってたんすか?」
「え~? あ……あぁ~……まぁ、話半分くらいにはね~」
「……俺、そんなこと一言も聞いてねぇんだけど? おい兄貴!! これどういうことだよ!? なんで俺以外の人間は知ってんだよ!? つかさ、父さんと母さんは俺に何か言ってなかったのかよ!?」
「あぁー……阿錬、それはだな……一応阿錬にも話すかどうか、3人で相談ったんだが……結局、俺の判断で止めておいたんだ……」
「はぁっ!? ……んだよ、いつもいつも俺には大事なこと隠してよぉ……!! いつまで俺を子供扱いしてんだよ!?」
「い、いや!! 子供扱いはしてないぞ!? ただこういうのはな、変に先走ると余計に不安を煽るだろ? それに最近お前、ちょっと反抗期気味だから……正直に話しても説得るとは……」
「あぁ!? 反抗期じゃねぇよ!! つか、それが子供扱いだっつってんだろが!! クソ兄貴が……俺より精悍いからって、あれこれ勝手に決めやがってよぉ!!」
「ちょ、いったんお前ら落ち着けぇや!!」
狐塚の制止の声も虚しく、苛苛りを露わにした阿錬は、さらに語気を強めて不平不満をぶつけ続けた。
家庭の事情を知らない周囲の部員達は、主将の狐塚を先頭に、素手喧嘩へと発展しないよう慌ただしく仲裁に入る。
それでも阿錬の勢いは収まる気配を見せない。
何事もなく別れられるはずがないと覚悟していた吽錬は、ただ気まずげに黙り込むこころばえを発揮していた。
やがて一通りの別れの言葉を述べ終えると、深く一礼し、その場を静かに後にする。
労いの声を掛ける部員達の中で、ただ一人、阿錬だけが忌々しげにその背中を見送っていた。
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2021年4月17日、土曜日の早朝。
昇格戦当日とあって、柔道家達の目覚めはいつも以上に早い。
聖鏡高校柔道部の面々も札幌の柔道タワーに集まり、柔道着を着衣て、試合開始までの時間を入念なウォーミングアップに費やしていた。
今回の試合のレギュレーションは例を見ないほど特殊なようで、運営がランダムに組んだペアが、会場内に数多く存在している。
白桜の組み合わせ相手は仁王阿錬だった。
彼はいまだ兄の転校に、憤怒を募らせており、隣で柔軟をしている白桜も声をかけづらい。
阿錬はしきりに目をこすり、眠気を引きずっているようにも見える。
白桜は、そんな様子を伺いながら、なるべく普段どおりの調子で会話を切り出そうとしていた。
「………」
「仁王先輩~……今日の昇格戦って、どんな感じになるの? 2人組ばっかだけど、団体戦とかあるのかな?」
「あぁ? 知らねぇよ……」
「仁王先輩~……なんか眠そうだけど、昨日寝れてないの~?」
「あぁ? ……あぁー……ちょっとやることがあってさ。寝る時間がいつもより遅かったんだよ」
「………………ねぇねぇ~仁王先輩~」
「あぁ? んだよ」
「……やっぱり反抗期なの?」
「ちげぇよ!! クソ……兄貴が余計なこと言いやがったから……!!」
不機嫌そうに左手で拳を握りしめた仁王。
白桜と向き合うと、毅然とした態度で口を開く。
昨日、住家に帰った際に両親から正式に離婚を告げられたこと。
そして現在、自分が暮らすマンションでは家具の搬入作業が進められており、その手伝いに追われていたこと――
それらを淡々と語る仁王の声が、静かに白桜へと届いていった。
「……昨日、住家に帰ったらさ、段ボールの山ができててよ。引っ越しの手伝いをさせられて、夜遅くまでかかったんだよ」
「それで眠そうなんだ」
「あぁ。つか信じられねぇ……離婚なんて大事なこと、今の今まで黙ってたなんてな」
「……仁王先輩、これからどうなるの?」
「大して変わらねぇさ。父さんが働いてるから収入の心配はねぇし。たまに夕飯作る手伝いするくらいだろ。柔道も今まで通り続けられるってよ」
「そうなんだ……えっと……」
「……兄貴のことか? あの野郎は母さんの実家に行くらしい。昨日、道場で話した通りだ。住家じゃほとんど口もきかなかったし、いなくなったところでどうってことねぇよ。母さんも……あの女は普通に面倒ぇし、いなくなっても問題ねぇよ」
「ふ~ん」
(あれ? なんか最後の方の発言、棘があったような……? 僕の気のせい?)
「はっ!! むしろ清々したぜ。兄貴っつ~姑めいた奴がいなくなったんだからな。レギュラー争いで一番の壁も消えたし? ……ま、転校のおかげで団体戦のレギュラーになれたなんて言われるのは癪だから、今まで以上に鍛えねぇといけねぇけどな。ちっ……住家でもアレコレ心配してきやがって、本気で過保護なんだよあの野郎……」
「……」
「あ? どうした白桜」
「寂しくなったら、いつでも懇談るよ?」
「なんでお前まで保護者面すんだよっ!? くぅ……俺、そんなに心配されるようなことしてっか……?」
今までの自分の言動を省みる仁王は、眉間にしわを寄せ、視線を宙にさまよわせていた。
その隣で腕を組む白桜もまた、彼の過去の振る舞いを思い返している。
やがて脳裏に浮かんだ記憶を、そのまま口にした。
「うぅ~ん……上の方の仁王先輩に投げ飛ばされたら、凄い顔で睥睨たりしたしぃ~」
「そりゃ、負けたら普通は苛苛るだろ」
「戯事られたら凄い逆上てたしぃ~」
「そりゃ、嘲弄られたら逆上るだろ」
「……」
白桜の脳裏に浮かぶのは、これまで幾度となく目にしてきた仁王兄弟のいざこざだった。
思い返せば、その多くは兄の言動に対し、弟が過剰に反応していた場面ばかりだ。
昨日、吽錬が語った通り――阿錬はまさに思春期の反抗期にあるように思える。
いちいち突っかかる言動が、兄にはいじらしく感じていたのだろうか。
仁王兄弟の行動原理についての疑念が解けた白桜。
安堵の笑みを浮かべながら阿錬へと視線を向け、甘言を一切含まない言葉を言い放って行った。
「やっぱ仁王先輩、反抗期じゃ~ん!! あっはっはっは……ぎゃぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!? 待って、待って!! 首絞めないでぇ……」
反抗期であることを認めまいとする阿錬は、顔に青筋を浮かべながら白桜の道着の襟を両手でつかみ、力任せに締め上げた。
血流を断たれた白桜の意識は急速に霞み、首は赤子めいて力なく揺れ始める。
その緊迫した空気を切り裂くように、会場のスピーカーから運営スタッフのアナウンスが響き渡った。
今回の試合の特殊なレギュレーションについても告げられながら――
『えー、これより30分後に試合を開始いたします。本大会の特別レギュレーションは――2対2で同時に戦う形式、いわばタッグ柔道となります! 選手の皆さまは準備って整えてお待ちください!!』




