PARADISELOST・シツラクエン・崩壊する家庭
家庭が冷え切り修復されず―――
転校することになったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
『次のニュースです。本日、4月8日木曜日、株式会社文藝夏冬の代表取締役社長である噂江広霧氏が、脅迫罪および偽計業務妨害の容疑で逮捕られました。検察によりますと、噂江氏は以前からも同様の犯行を繰り返していたとされ、本人も容疑を認めているということです。この事件は―――』
どこかで鳴り続けるラジオが、本日のニュースを通行人の耳へと届けていた。
この日は聖鏡高校の入学式。
普段よりも人通りは多く、昨日、白桜達との戦いに敗れた男の末路が、街行く人々に広く知れ渡っていく。
人知れず繰り広げられた戦いの当事者達は、放課後になると道場に集まり、新入部員を交えた練習を始めていた。
白桜もまた、自主的な参加から正式に部員となり、その意気揚々さがあふれる輪の中心に立っている。
いま彼は狐塚と乱取りを行い、身につけたばかりの柔皇の技を試している最中だった。
「うりゃぁぁぁ……あれっ?」
「……甘いなぁ、白桜。噂江は欺瞞せても、ウチには通用せんわ。その様子やと……幻術はまだまだやな」
「えぇ!? なんでぇ!?」
「技を身につけるだけなら、誰にでもできるんよ。せやけどな、それを試合で自在に使えるかは別の問題やねん。幻術自体は、高校柔道でも使い手はぼちぼちおるんやで?」
「え? そうなの?」
「せや。けど、幻術使いとして名が知れとるんは、ウチと蒼海の花染くらいやろ? ……なんでやと思う?」
「うーん……?」
「単純に扱いが難しいんよ。幻術ちゅうのはな、将棋と囲碁を同時に行う行為に等しいねん。普通に戦うのでさえ頭を使うのに、そこから更に考えることが増えてみぃや。練習やと盤面は止まっとるから落ち着いて考えられる。けどな、試合はそうはいかへん。時間も相手も動き続けとるんやで? 並の人間が、切羽詰まった場面でそんなごちゃごちゃ考えられるかいな? 風属性は相手を欺瞞すぶん、思考が複雑になりやすいねん。今の白桜やったら……まぁ、混乱って自滅するのが関の山やな。せやから大人しく来年まで待っとき」
「はぁ~い……」
試合中に自身の欠点を告げられ、悄気た様子の白桜。
試合時間4分の戦いを終えた彼は、狐塚に一礼すると、試合会場内を後にする。
そのままの足で道場の隅に置いてあった自分の水筒を手に取ると、水分補給をしながら、先ほどの練習試合の反省を行うのだった。
「む~……」
(やっぱ流石に間に合わないかぁ~……あと3か月ちょっとだもんなぁ。ま、ほかの技はけっこう形になってきたし、とりあえず良しとしとこっと~!! ……駄目だ、やっぱ不安になってきた。本番、これでほんとに勝てるのかな? ……金田一監督には諦めろって言われたけど……白龍の呼応、ちょっとだけでも練習してみようかな?)
数か月後に控えた公式戦を見据えながら、自分の立ち位置を見つめていた白桜。
強敵達がひしめく夏の舞台で、本当で勝てるのか――その不安に突き動かされ、彼はかつて監督から習得を諦めるよう告げられたNo.96白龍の呼応の練習に手を伸ばそうとしていた。
誰か手伝ってくれる人間はいないかと視線を巡らせた白桜は、ふとマネージャーの秋沢の姿を見つける。
そして訓練の付き添いを頼もうと、そろそろと歩み寄っていった。
「ねぇ~秋沢先輩~~~ちょっといい~?」
「駄目や」
「僕まだ何も言ってないんですけどっ!? ……あのさ、白龍の呼応って技、あるでしょ? 僕、それを使いこなすための特訓を、ちょっとだけやりたいんだけどぉ~……」
「……前に金田一監督と話して、習得は諦めるって決めとったやろ。駄目や、約束は約束や」
「熱望!! 練習終わりに一回だけ試すだけ! もし僕が倒れたら、そのときの補助役になってよぉ~……」
「駄目や」
「むぅ~!! 狭量!! 安本丹!! せっかく手伝ってくれたら、円山のどらやき屋を紹介してあげようと思ったのにぃ~!!」
「……白桜、今なんて言うた? 円山のどらやき屋やと……!?」
まともに相手をしていなかった秋沢の反応が目に見えて変わる。
狙い通りの展開に内心ほくそ笑む白桜は、たたみかけるように秋沢を掻乱っていく。
「僕の実家、和菓子屋じゃん? そのどらやき屋の店主と、僕のおじいちゃんが仲良しなんだよね。僕が頼めば、あの限定品、取り寄せてもらえるかもしれないよ?」
「…………ふん。なんやアンタ、ウチを見くびっとらへんか? そんな賄賂で釣られるわけ……」
「毎週取り寄せてもらえるよ?」
「ま、毎週やと……!? くっ……!」
食欲と理性のはざまで揺れる秋沢。
顔には出さぬものの、その胸中は相当に悩ましいに違いない。
握りしめた左拳は力を帯び、爪が肌に深々と食い込んでいた。
やがて、1分間の沈黙を破り、座ったままの目つきで口を開く。
その声音には、迷いを振り切った者の開き直りだけが宿っていた。
「……交渉成立やな」
「うん、理解った!! そういうことで、よろしく熱望!!」
(やった!! やった~大成功!! こっちの京都弁クソ容易~い!!
互いに表情を崩さぬまま、無言りつつ握手が交わされる。
その異様な光景が、練習試合の最中に罪炎の視界へと飛び込んだ。
一瞬だけ目の前の相手から意識が逸れるが、すぐに気を取り直し、試合へ集中を戻す。
彼の脳裏には、かつて怪我を負わせた記憶が常に巣食っていた。
罪悪感を抱えつつも、今はただ一心不乱に、己の実力を高めることだけに心を注いでいく。
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白桜達が条約締結を進めていたその頃、別の場所では仁王吽錬と天方が乱取りに臨んでいた。
大柄な二人の激しいぶつかり合いは、周囲の視線を奪うほど迫力に満ちていたが、天方の表情にはどこか物足りなさが漂っている。
乱取りの時間が終わり、部員達が次の相手を探し始める中、天方は仁王へと問いを投げかけた。
「ねぇ~仁王~今日風邪でも引いてんの~? なんかピリッとしてないって言うかさ~」
「ん? あぁ……風邪とかではないんだが……」
「ん~? 言いづらいことな感じ~?」
「まぁ、そうだな……なぁ天方、お前、口は堅い方か?」
「どうだろうね~……俺、頭は賢いから、漏らしちゃいけない情報くらいは区別つくよ~」
「そうか……なら話すが、阿錬だけには絶対に知られないようにしてくれ」
「了解~」
「……家族のことなんだがな。冷戦家庭で、離婚するかもしれないんだ」
「……ま?」
「あぁ。夜中にな、たまたま聞こえてきたんだ。両親がリビングで向き合って話し合っていて……トイレに起きた時、寝ぼけながら耳にしたんだが……現実かどうかは理解らない」
「現実なら、大変だね~」
「そうだな。離婚しないように、俺も上手く立ち回るつもりだが……もし何かあったら、阿錬のことを頼むぞ」
「えぇ~……? 一生の別れみたいに聞こえるんだけど~?」
「いやいや、もしものことがあったらって話だ」
冗談めかして天方へ頼みごとをした仁王。
そのときの彼には、それが現実で一生の別れに繋がるとは想像すらできなかった。
悲報が届いたのは、2021年4月16日金曜日の放課後。
翌日に恒例の昇格戦を控えた道場で、監督の金田一が部員全員を集め、仁王吽錬を傍らに呼び寄せる。
残念さを隠しきれぬ面持ちで、彼は静かに口を開いた。
「えぇー…………今日は、残念な知らせじゃ。仁王吽錬が――聖鏡高校を転校することになった」




