05 モットーは清く目立たず慎ましく
踊り場での出来事から、一日が経った。
今、廊下の先に見えるのは遠目からでも目立つ華やかな姿。すらりと伸びた長身と整った顔立ちだけでなく、爽やかで紳士的な性格が、多くの男女を惹きつけるのだろう。彼、スヴェンが一人でいる姿をあまり見たことはなく、今日も友人達と歓談しているところだった。
私はいつものように存在感のないまま歩いてゆく。彼は私に気付いたようだが、そのまま何事もなくすれ違う日常。だが彼らの会話が途切れた瞬間、くるりと振り返って声をかけた。
「ブレンドレル様、こちら落とされましたよ」
スヴェンへと白い絹のハンカチを差し出した。彼は一瞬驚いたような顔をするが、じっと視線を向ける私に気付いたようで。
「……ああ、ありがとう」
ひとあたりのよい微笑みを浮かべ、ハンカチを受け取ってくれる。彼にもわかったのだろう、それが私のハンカチだということを。
用は終わったとばかりに、私はその場を立ち去ってゆく。スヴェンの傍らにいた友人達からの視線は感じていたが、すぐに私のことなど忘れ、元の話題へと戻っていった。
「エステル? いるのか?」
いつもの人気の無い教室で一人待っていると、小さく名前を呼ばれた。扉を開け、声をかけてきたのは先ほどすれ違ったスヴェンだ。
ハンカチに『予定がなければ、放課後空き教室へ来て欲しいです』という旨の手紙を挟み込んでおいたので、ここを訪れてくれたのだ。
「ごきげんよう。ご足労おかけして申し訳ございません、ブレンドレル様」
まずは挨拶とお詫び。皆に慕われる彼をこうして呼び出し、時間を使わせるのは本当に申し訳なく思う。だから用件は出来るだけ早く、簡潔に済ませた方がよいのだ。
「……まったく、珍しくお前から呼び出されたかと思えば。それと、ほら」
取り出されたのは先ほど渡したハンカチだ。別にそんなもの後でもいいし、いっそ捨ててくれたって構わないのに。
スヴェンが私の右手を取る。それは以前、優しくエスコートしてくれた時のように、優雅で。
そっと手のひらにハンカチを乗せられるまでの、その短い間で、私をお姫様の気分にさせるなんて、何というテクニックか。
いいや、ただ几帳面なだけだろう、ハンカチは私のもとに返ってきた、それだけだ。
「ありがとうございます」
「……ん。それでどうした。何か困ったことでもあったのか?」
少し黙ってしまった私の様子に、心配そうな目を向けてくる。いえ、この部屋が少し暑いだけです。
気を取り直し、聞きたかったことを問うてみる。
「はい、ええと。ちょっとお伺いしたいことがありまして。ベルツという名か姓かの、二年次の男子生徒をご存じではありませんか」
先日に階段の踊り場で出会った熊、もとい先輩のことを聞いてみた。友人のいない私には上級生の情報など入ってこないし、二年次の教室の方へ行くと、またヨコシマ先輩に会いでもしたら、面倒なので断念した。
そうすると、聞ける相手といえば交友関係の広いスヴェンくらいなのだ。ぼっちの弱点は、多い。
「……ベルツ?」
「ああ、ご存じなければよいのですけど」
「いや、知っているが。というか、何故そんなことを聞く? 彼に何かされたのか?」
心配してくれるなんて、スヴェンはなんと優しいことか。だが別に何かをされた訳ではないし、されていたら今頃私は生きておらず、凄惨な死体として発見されていただろう……って、違う、別にヒグマの話ではなかった。
「いいえ、むしろ助けていただいたので」
「助け……って、じゃあ別の誰かに何かされたのか? 何をされたんだ! 大丈夫だったのか? 怪我は?」
……あれ。なんだか今日は妙に、話が進まない気がする。
無事です、元気です、たいしたことじゃありません、と説明とアピールに時間を割くことになった。さすがオカン、過保護が過ぎる程だ。
そうしてなんとか、スヴェンから聞き出した話は以下のとおり。
──三白眼の熊、改め、シーギス=ベルツ先輩。
彼は王国の軍をまとめるベルツ将軍家の三男坊だった。
人となりは、おおよそ外見のイメージそのまま。良くも悪くも自分の感情に素直なので、手も足も頭突きも出やすい男。
その為まわりには恐れている者も多いようだが、家柄がよいこともあっておおっぴらな文句は出にくい。粗暴ではあるが、弱い者を虐げることはないようだ、とも。
あと全然気が付かなかったが、私も今まで姿を見る機会はあったらしい。他年次にはさすがに気を払っていなかった、無念。
私のことは偶然助けた形になっただけかもしれない。
いや、でも階段の踊り場なんてそんな狭い訳でもないし、わざわざヨコシマ先輩をはったおす必要もない筈だ。
単に気が向いただけにしろ、なんにしろ、いい年してお礼の一つも出来なかったのは恥ずかしい。ただ問題として二年次にも噂が回ってるとすると、下手な接触は迷惑になってしまうだろう。
「なあ、エステル」
「……っ、あ、はい?」
思案の海に沈んでいたので、思わず返事が上擦ってしまった。顔を上げてみれば、スヴェンがこちらをじっと見ていた。一体どうしたのかと、続きを促すように首を傾いでみせる。
「そろそろ、こうして隠れずとも外でも普通に話していいんじゃないか?」
「え、無理です」
私が即答をすると、スヴェンは恒例のため息をつき呟いた。
「もう大丈夫だと思うんだがな……」
確かに、彼にはこうして余計な手間や時間をかけさせている。だが二年次にまで噂になるような私とただでさえ派手なスヴェンが話していればとても目立ってしまうだろう。そうすると、スヴェンや、また別の誰かに迷惑をかけるのではないか。
本来ならばこうして話すこともしないほうがいいはずなのに、私は彼の厚意に甘えてしまった。
「ごめんなさい」
「? 何がだ。お前は別に、なにも悪くないだろう」
意味がわからない、という顔をしながらも彼の声音は、優しい。
いいえスヴェン、私は悪いのです。




