04 踊り場にて会話はおどる
私は髪をバッサリ切ったが、通う学院は全寮制だったので、親に私の状況を知られることはなかった。
といっても長期休みには帰らねばならず、最初に私の髪型を見た時の両親の顔は、こう、なんともいえず、親不孝でごめんなさいと土下座をしたい気持でいっぱいになった。
兄弟にもとても心配をされたが、二番目の兄様だけは指を指して大笑いをしてくれた。まあ、お楽しみいただけたようで何よりです。
そして次の長期休み、同じく短いままの髪で帰省した私を迎えた我が家は、葬式のように暗かった。『妹が弟になったな!』と大笑いしていた二番目の兄様を除いて。
家族には申し訳ないのだが、残念ながら学院を卒業するまでは髪を伸ばす気は、ない。
高等科から入学した生徒達も、ようやく学院に慣れようという頃。季節は春から初夏に変わって、私も教室の空気として慎ましやかに過ごしていた。
そんな私の少ない楽しみのひとつ、お昼のごはん。午前の授業が終わり、心持ち早足で学院食堂へと向かう。
さすが高い学費をとっているだけあって、献立はどれもクオリティが高い。日替わり定食を持ち帰り用の折り詰めにして貰って、どこか静かなところで食べよう。
「……アレ。ねえ、ちょっとキミ」
階段の踊り場を通り、下へ降りていこうとした時。聞き覚えのない声は、私の背後から聞こえた。授業終了とともに教室を出たので、まわりに生徒達はまだ多くない。あたりで振りむいたり応えた者はいないようだ。
そうなると、私を呼び止めたのかもしれない。振り返ると、声の主と視線が合った。
見知らぬ男子生徒はネクタイの色をみるに、どうやら高等科の二年次のようだ。私の短い髪を見てほんの少し眉を顰めたが、別に慣れているのでどうということもない。
整った顔立ちなのに、どことなく遊んでいる風の上級生は少し無遠慮な視線を投げかけてきた。
「……ふーん?」
「ええと。何でしょうか、先輩」
「……へー、そう。キミが、ねえ」
値踏みをするような物言い。一体彼が何を思っているのか、何のためにきたのか大体想像はつく。なので相手が満足し、何か行動を起こすまで私は大人しく待っていよう。
「いやあ、ゴメンゴメン! なんか噂に聞いてたのとイメージがちょっと違うというか……、いや、うん、キミとちょっと話しをしたかったんだ」
「そうですか」
噂、というのは私が『何人もの上級貴族のお坊ちゃんを手玉に取った悪女』といったところだろう。こうして興味本位で接触してくる人も、たまに現れるのだ。
「まあ、いいや! 一緒に昼ご飯でも食べて話そうよ。キミといるときっと楽しいんだろうね!」
「ごめんなさい。お断りします」
「そっか、じゃあ食堂へ……って、……へっ?」
私への噂には『尻軽』という尾鰭でもついていたのだろうか。彼は外見に自信があったのだろう、断られたことにかなり驚いていた。
私のつれない態度に意地になったのだろうか、軽く頭を下げてその場から去ろうとした私の前に回り込んできた。
「何でさ、昼飯くらいいいだろ。最近まわりに男いないらしいし、寂しいんじゃないの?」
……噂の尾鰭は一体どんなことになっているのか。いや、知らないでおいた方が精神衛生上よさそうだ。残念ながら私はビッチではなく、ただのぼっちなのだけれど。
「ああ、もしかして……昼飯だけじゃなく、もっと別のことがイイってこと?」
私が動きを止めていたせいで、妙な誤解をしたらしい。この真っ昼間、しかも階段の踊り場でそんなことを考えるのはどうかと思う。ここは王国の未来を担う若者達が集う、学びの園。よこしまな考えは捨て、勉学に励んでほしいものだ。
──あいたっ、去年の自分に突き刺さった、あいたたっ。
などと、思案と自分へのダメージで沈黙をしていると、いつのまにやらヨコシマな先輩は私へと近づいていた。薄い笑みを浮かべてこちらを見下ろす姿は、顔が整っていることもあってなかなか様になっている。
私は顔を上げてしっかりと視線を合わせた。口を開こうとした私の脳裏には、三つの選択肢が浮かんでいたからだ。
今、彼が一番喜ぶであろう台詞を言うのは、容易い。
恥じらいをこめた言葉を返せば、尻軽の噂とのギャップに驚き、私により興味を持つだろう。
三択について、私には以前よりひとつの疑問があった。
好意を受けるための最適解があるのなら、わざわざ三つも選択肢をつくらず、一つだけでよいのではないか。だが残り二つは存在し、私にはどれをも選択する自由がある。
というか、おひるごはん。食堂で人気のデザートは早い者勝ちなのに。
「ねえ、どうし……」
「先輩、『鼻毛でてますよ』」
────────。
時が、止まった。
そう、選択肢には好感度が下がるであろうものが、存在する。
大体が、これを言うのはちょっとどうか、という内容なのですぐに判る。多分最後のひとつはごく当たり障りのない返答なのだろう。
私とてあまりひとに不快な思いはさせたくないのだが、この先輩は少々しつこそうなので言わせてもらった。
だが、私はどうやら下手をうったらしい。
ヨコシマ先輩は自身の顔を手のひらでおさえ、羞恥と怒りの色に染まる。空いた方の手でガッシと肩を掴まれ、痛い。
「……バッ、馬鹿にしやがって……!!」
何かを喋ると余計逆上しそうなので言えないが、馬鹿にしているつもりは毛頭なかった。
彼の名誉の為にも言っておくが、別に鼻毛など出ていない。残念ながらそれは伝えられずに終わりそうだが。
ここまで腹を立てるとは、もしかして過去に鼻毛関係で何かあったのだろうか。心の傷を抉ってしまったお詫びに、張り手の一つくらいは甘んじて受けよう。そろそろ人通りが多くなってきたので、早くしてくれると嬉しいのだが。
私だって痛いのは好きじゃない。やがてくるであろうビンタに備え、身を竦ませる。
けれど痛みが襲ってくることはなく、大きな衝撃音だけがあたりに響いた。
私を撲とうとしていた先輩の側頭部が、べしんと、大きなてのひらではたかれたのだ。ただそれだけなのに、私の肩を掴んでいた先輩は勢いよく横に転がった。人体って意外と、軽い。
視界が開けた先に立っていたのは、大きな熊。
……違う。
森の中でヒグマに遭遇してしまったような気持ちになっただけで、目の前にいるのは人間、上級生とおぼしき男子生徒だ。
とにかく、背が高い。これは長身のスヴェンよりもたぶん拳ひとつ分は高い。正直、先輩に続いて私も叩かれると思った。視線だけで人が殺せそうな三白眼、不機嫌そうに歪められた口に、獰猛な牙が覗いても驚かない。
「……こンなとこで道塞いで騒いでんじゃねーよ」
「何す……、っ……ひっ、ベルツ……!」
上級生同士、顔見知りだったのだろうか。文句を言おうとしたヨコシマ先輩は、その顔を見ただけで、叩かれた痛みも私のことも忘れたかのように、踊り場から走り去った。なんと見事な逃げ足だろう。
その場に私と熊だけが取り残される。
こちらをちらりと見た熊先輩の顔がわずかに歪んだ。この髪に対しての不快感か、それとも噂を聞いていたのか。何か言われるのかと思ったら、場所の空けた踊り場を通りぬけてゆく。というよりも、元々学院の踊り場は狭くない。
これは助けて貰ったことになるのかな、などとぼんやりしている間に彼の背中は遠ざかっていた。




