06 ある侯爵令息の独白
※侯爵令息スヴェン=ブレンドレル視点
エステル=リューブラン男爵令嬢について、語るとするならば。
彼女は貴族の娘として振る舞いが洗練されていると言い難いが、とても素直で明るい少女だった。多少の不作法も愛嬌として許してしまえるような、ちょっとアホ……もとい、天真爛漫さがあった。
そしてそれ以上に、彼女と一緒にいることは心地よかった。
俺、スヴェン=ブレンドレルは侯爵家の跡取りとして、幼い頃より厳格に躾けられていた。子供であれば甘える対象である優しい母は、当時は静養で離れて暮らしており、我ながらその重圧に押し潰されなかった事を褒めてやりたい。
しかしその重みも、エステルと出会った頃から不思議と軽くなった。
エステルは、俺自身でも気づかなかった、欲しかった言葉をくれた。傍にいてくれるだけで安らぎ、その笑顔に癒やされた。
彼女が側にいてくれるなら、どんなことだって出来る気がしたものだ。
けれど、彼女は一年近く前の出来事ですっかり変わってしまった。
もう俺のことを名前では呼んでくれない、慇懃なほどに丁寧な挨拶をしてくる少女へと。
季節が変わり、高等科の一年次が始まった頃、俺に声をかけてきたのは、どんな時も凛とした姿を崩さない、見知った公爵令嬢だった。
「ご機嫌よう、スヴェン様。今、お時間はありまして?」
「ああ、ご機嫌麗しゅう、セヴリーヌ嬢。とくに用はないので大丈夫だが」
取り巻きの無い彼女は珍しい。もしかしたら、俺が一人になった事を見計らって話しかけてきたのだろうか。まあ同級生同士、話をすることに何もおかしなことはないだろう。彼女の雰囲気も相まって話に割り込んでくる者はいない。
いつもはっきりした物言いをする彼女にしては、少し声のトーンを落とした問いかけだった。
「単刀直入に申し上げますわね。エステル=リューブランさんのご様子は如何ですか」
ああ、本当に単刀直入だな。このまっすぐで高潔なところが、多くの女生徒達に畏れられ、慕われる理由にちがいない。とくに隠す気も無かったので、俺は声を落としつつも問いに正直に答える。
「大人しくしてるけど、本人はいたって普通に元気だよ」
「左様でございますか」
「気になるなら、君も話しかけてみればいいじゃないか」
「……別に、わたくしには用はございませんから」
ツンと澄ました返事は、人に誤解を受けることも多いだろう。まあ、俺に話しかけてきた心境を考えると、それも180度意味が変わるのだが。
「君が彼女に気をかけてくれると、まわりの態度もまた少し変わると思うがな」
「わたくしは以前、彼女に自身の行動の意味を何度も問いかけましたわ。それが今の状況に繋がったのならば、もう何も話すことはありません」
ぴしゃり、と言い放つ。訊くことを終えた公爵令嬢は颯爽と去って行った。
けれど今、腫れ物のような扱いを受けているエステルだが、以前に起きたような苛めは全くない筈だ。
俺自身もよく学習したので、教室内である程度、彼女に矛先がいかないように意識を逸らしたり、親しい友人へのフォローなどを行った。
しかしそれだけでは手が回らない部分、女子への根回しはセヴリーヌ嬢が行っているのではないかと確信している。
それに、俺はエステルに請われ、話しかけるときは諜者ばりに隠れて接触していた。それに気付くということは、セヴリーヌ嬢がエステルをかなり気に掛けているということだ。
去年、彼女自身は堂々と注意をしていただけで、全くいじめに荷担していなかったらしい。しかし、その引き金になってしまったということに、色々思うところがあるのかもしれない。
──いいや、責任の一端というならば、俺はセヴリーヌ嬢の比ではない。
嫁入り前の女性への頻繁なアプローチが世間ではどういった目で見られるのか、という想像力に欠けていた。そして俺自身よりも、爵位が下であるエステルの方に風当たりが強くなるということを。
辛い目にあっていた彼女を上手く庇うことが出来なかったのは、自身の未熟さ以外の何物でも無い。
それと当時は、まあ、その……ライバルが多かったので、色々と躍起だった、のだ。
エステルは髪を切った翌日、学院を休んだ。
その次の日からは普通に授業に出ていたが、短くなった髪と、胡乱な目をした彼女に、何か出来るものはいなかった。
心配になって近寄ろうとした時に、彼女が此方へと向けた瞳は忘れようがない。拒絶されたのではなかった、いいや、助けられなかったことをいっそ憎んでくれた方が楽だったのに。
ただ無感情に、たまたま顔を向けた方向に俺がいた、それだけの視線。
光のない深すぎる海色は、諦めたような、全てに納得したような、心の見えない瞳。
自らに誰も近づかないよう幕を張り、それでいて邪魔にもならないように。そんな生き方を彼女は選んだのか。
「ブレンドレル様、話しかけて下さるのはどうか最低限にしていただけませんか」
それ以降も、何度か他愛もない用件で声をかけ続けたのは、俺自身の我が侭だ。
出来るだけ事務的に短く済ませはしたが、ある日、小声で申し訳なさそうに言われた。エステルと二人で話していると、どうしても周囲からの視線を集めてしまう。
また苛められることはなかったとしても、彼女の起こした出来事は同じ教室の生徒だけでなく、他の教室や、別年次まで噂として広まっていた。
中にはどうなったらそうなるんだ、という尾鰭が独自進化を起こしたような内容まである。彼女はその噂に俺が巻き込まれることを憂慮しているのだろう。
「わかった、人前ではお前とは出来るだけ接触しない。だが人前でなければいいのだろう?」
「え、あ……まあ、はい……?」
我ながら強引に取り付けたものだ。以降、やれ食事はちゃんと摂っているのか、やれ家族に連絡をしているのかだの、口喧しくした。
うるさく思ってくれれば、それでいい。
ずっと共にいられなくてもいい、欲しい言葉をくれなくてもいい。
これは、彼女が独りではなく、誰かと縁がつながっていることを理解させるための、ささやかな儀式なのだから。
そんな都合の良い言い訳で、今も、彼女とのわずかな時間を作り続ける。




