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【第62話 前へ進む】

弁護士は時計に目をやり、ゆっくり立ち上がった。

「では……行きますか」

静かな声だった。

「自首は、早ければ早い方がいい」

健も立ち上がる。足に、わずかな重みを感じる。

「示談の金は、用意できそうですか?」

「……はい」

短く答える。

「百万円」

弁護士は頷く。

「分かりました」

書類をまとめながら続ける。

「それと、今回の弁護料ですが」

顔を上げる。

「島田先生から事情は聞いていますので、百万円の一割——十万円で、結構です」

健は一瞬、言葉を失う。

「……ありがとうございます」

深く頭を下げる。弁護士は軽く手を振る。

「いいんですよ」

扉の方へ歩きながら言う。

「今は、それより大事なことがありますから」

健は無言で頷いた。

もう、後戻りはできない。そのことだけが、はっきりしていた。

タクシーがゆっくりと止まる。

「着きました」

運転手の声。健は窓の外を見る。

大阪府警本部。

無機質な建物が、夜の中に静かに立っている。

料金を払い、ドアを開ける。外の空気は、思ったより冷たかった。

しばらく、その場に立つ。見上げる。高くそびえる建物。

(……ここか)

逃げようと思えば、まだ間に合う。振り返れば、いくらでも道はある。

だが——

健は一歩、前に出た。隣に弁護士が並ぶ。

「行きましょう」

健は小さく頷く。二人は建物の中へ入った。

二十二時。受付の警察官が顔を上げる。

「どうしましたか?」

弁護士が一歩前に出る。

「自首です。手続きをお願いします」

一瞬、空気が止まる。

「あ……はい。少々お待ち下さい」

内線を取り、短くやり取りをする。

「こちらへどうぞ」

奥へ案内される。足音が廊下に響く。小さな部屋に通される。

「今、課長がこちらに向かってますので、少しお待ちを」

健は頷き、椅子に腰を下ろした。手のひらに汗がにじむ。

やがて、ドアが開く。数人の刑事が入ってくる。一人が前に出る。

「お待たせしました。どういったご用件でしょうか」

弁護士が答える。

「本日、自首のために来ています。事情聴取には、私の同席をお願いします」

刑事の表情がわずかに変わる。

「……申し訳ありませんが、今回の事情聴取については、弁護士の同席はお断りさせていただきます」

空気が張り詰める。弁護士が健を見る。

健はゆっくり頷いた。

「……大丈夫です」

弁護士は小さく息を吐く。

「分かりました」

「落ち着いて、正直に話しなさい」

健は頷く。

刑事が言う。

「では、こちらへ」

健は立ち上がる。

振り返らない。そのまま、前へ進む。

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