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【第56話 考えとくわ】

バン、バン——

シャッターを叩く音が、朝の空気を震わせる。

「すんません」

「松本さん」

「開けてもらえますやろか」

健の背筋に、冷たいものが走る。

(……終わった)

身体の奥が、じわりと固まる。

(……もうあかん)

小さく息を吐く。

「……はい」

シャッターを持ち上げる。ガラガラと重い音が響く。

立っていたのは、見覚えのない男二人。スーツ。無表情。

「すんません、営業前に」

淡々とした声。

「昨日、聞き忘れたことと、ちょっと確認したいことがありまして」

「……はい」

健は視線を外さない。

「えー」

手帳が開かれる。

「高橋太さんいうお客さんから、クラウンの車検と修理、受けはりましたよね」

一瞬だけ、間。

「あ……はい」

「そのクラウン、修理中に、どこか行きはりましたか?江坂とか、南方とか……中津とか」

心臓が、強く鳴る。

(あかん……読まれとる)

健は、わずかに眉を寄せる。

「……なんでです?」

刑事は表情を変えない。

「いやね、詳しいことは言えんのですが、ある事件を調べてましてね。そこで高橋さんのクラウンが引っ掛かりまして」

言葉は柔らかい。だが、逃げ場はない。

「確認したら、その時期は、ここに修理に出してた言うてたもんで」

健はゆっくり頷く。

「そうですか。修理して……走行確認で、うろうろはしましたけど」

刑事は軽く頷く。

「そうでっか」

そのまま、視線が工場内をなぞる。油の匂い。工具。ドラム缶。一瞬だけ、スプレー缶に目が止まる。

だが——何も言わない。

「それと、クラウンの代車に、マークX出してましたよね」

「はい」

「今はどこに?」

「あぁ……」

健が少し間を置く。

「もう車検通すのもあれやから、廃車にしました」

「どこに出しました?ご自分で?」

「いや、不要のタイヤとか引き取ってくれる外国人の業者ですわ」

刑事の目が、わずかに細くなる。

「それ、どこか教えてもらえます?」

「電話番号しか知らんのです」

「ほな、それを」

メモを取る音だけが響く。

ふと、視線が奥へ流れる。黒のバイク。

「あ。そのバイク、カワサキのZRXいうやつやんね。かっこええですね」

健は答えない。

刑事は手帳を閉じる。

「ほな、他も回りますんで。ありがとうございました」

二人は背を向ける。シャッターが閉まる。その音だけが、やけに重く響いた。

シャッターが閉まる。鈍い金属音が、朝の空気に沈む。

二人は、しばらくその場に立ったまま動かない。

やがて——一人が小さく言う。

「……決まりやな」

もう一人が、短く頷く。

「あぁ」

視線は、閉じられたシャッターのまま。

「後は——」

わずかに間を置く。

「固めよ」

それだけ言って、二人は歩き出す。背中に、迷いはなかった。

同じく十時前。

美容室〈マシェリ〉は、開店前の準備に追われていた。床を掃く音。ドライヤーの試運転の音。鏡に反射する白い光。

その中に、場違いな二人が入ってくる。

「朝からすんません」

スタッフが顔を上げる。

「はい?」

「えーと……副店長さん?」

「そうですけど」

「私ら、こういうもんです」

手帳が開かれる。

——事前に、チェーン店の本部に当たりを取っていた。

——副店長の名前も、そこで押さえている。

「おたくが、金本慎二さんで?」

慎二は一瞬だけ目を細める。

「そうですけど」

軽く笑う。

「……手帳屋さん?」

「そうそう、お一つどうですか?」

軽口で返す。だが、目は笑っていない。

「いや、ちょっと聞きたいことありまして」

慎二は時計を見る。

「あぁ……十時から予約あるんで」

「それまでなら」

余裕を崩さない。

「すんません」

刑事は頷く。

「十三の飲み屋さん。ゴールドスター。行きはったこと、ありますよね?」

慎二は少し考えるふりをする。

「ゴールド何とか言う店の名前は覚えてませんが、女の子がいてる飲み屋には、行ったことありますね」

「そこ行くときって、お一人ですか?」

「一人の時もあるし、二人や複数の時もありますね」

「ミカ言う子、覚えてません?」

「さぁ……酔ってまうんで名前までは」

「そうでっか。飲みに行くのは、十三だけですか?」

「だいたいこの辺やね」

「南方へは?」

「たまには行くかな。二次会三次会やと、どこ行ってるか分からんなるんで」

軽く笑う。

「そうでっか」

「尼にも行ったりします?」

「どうやろ。その場のノリやら連れて行かれて、そこが尼やったとかはあるかも」

「ほーう、そうでっか」

それ以上は踏み込まない。

「ほんなら、また分からんことあったら寄せてもらいます」

「はい」

慎二は軽く頭を下げる。

二人が店を出る。扉が閉まる。

その瞬間——店の空気が、ほんのわずかに変わった。

店を出る。ガラス扉が静かに閉まる。外の空気は、思ったより冷たい。

二人はしばらく歩く。言葉はない。

やがて——高橋が口を開く。

「……旗判定やな」

橋本が鼻で笑う。

「黒か白かのか」

高橋は少し考える。

「橋本と金本の、喋り対決」

橋本が小さく笑う。

「ほぉ。僅差で……勝ってないかな」

わずかに間。高橋が首を振る。

「ドローやな」

橋本が肩をすくめる。

「あいつも、口から産まれとる」

二人は同時に笑う。だが——笑いは、すぐに消える。

次にやるべきことは、もう分かっている。

店から少し離れたところで、橋本が携帯を取り出す。

「本部に一本、入れとこか」

高橋が頷く。

「あと、尼の店も聞いとこ」

コール音。数回鳴って、繋がる。

「はい」

橋本が口を開く。

「おお、お疲れさんです」

少し間を置く。

「……そうか」

表情が変わる。

「わかった」

短く言って、通話を切る。

高橋が顔を見る。

「どうや」

橋本はポケットに携帯を戻す。

「阪神尼崎。ドルチェビータ。千秋や」

高橋が小さく頷く。

「……まだ早いな」

橋本が空を見上げる。昼の光が、まだ真上に差し掛かったばかりだ。

「吹田戻って。報告書書いてから行こか」

高橋が返す。

「……尼」

二人は歩き出す。次の場所は、もう決まっていた。

淀川自工の健は——

「あかん……」

健は携帯を握りしめる。

「うちに、今日も警察来た」

画面に打ち込む。送信。すぐに続ける。

「自首しよ」

既読は——付かない。

時間だけが、静かに過ぎていく。工場の中は、やけに広く感じる。

やがて——携帯が震える。着信。

「……慎二」

すぐに出る。

「おお」

いつもの声。

「うちの店にも来たわ」

健は目を閉じる。

「……そうか」

言葉が、重くなる。

「もう諦めよ」

少しの沈黙。健は続ける。

「日本の警察、なめたらあかんて」

息を吐く。

「今なら……やり直せるって。な」

電話の向こうで、わずかな間。

「……そうやな」

慎二の声は、少しだけ低い。

「考えとくわ」

健は強く言う。

「ほんまやぞ」

返事はない。ただ、通話だけが続いている。

ぷるるるるる

「はい」

「あ、急ぎで相談したい事があります。本日でしたら何時頃にお時間ありますか?」

「はい」

「はい」

「分かりました」

「1人ひょっとしたら2人になるかもです」

「はい、よろしくお願いいたします」

ツーツーツー

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