【第55話 もう、引き返すことはない】
二十一時。会議室には、昼とは違う緊張が満ちていた。長机を囲む捜査員たちの顔には、疲労と、わずかな高揚が混じっている。
「各班、報告を」
本部長の低い声が、静まり返った室内に落ちる。
最初に立ち上がった刑事が、資料をめくる。
「グランドエステートと南方で引っ掛かったクラウンですが——」
一瞬、間を置く。
「所有者と連絡が取れました」
視線が集まる。
「名義は、高橋太」
「本人の話では、該当時期は車検と修理に出していたとのことです」
小さくざわめきが起こる。
「その間、代車として使用していたのが——」
資料に視線を落とす。
「マークXです」
本部長が顔を上げる。
「車検先は?」
「淀川自工です」
その瞬間、別の刑事が小さく声を漏らす。
「……この前、行ったとこや」
空気がわずかに重くなる。
「続けます」
別の班が引き継ぐ。
「淀川自工。経営者は、松本健、三十八歳。父親から工場を引き継ぎ、現在は一人で経営。両親ともに他界しています」
本部長が腕を組む。
「工場の中はどうや」
「一般的な整備工場と大きな差はありませんでしたが——」
言葉を選ぶように続ける。
「黒のバイクが一台、確認されています」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……バイク」
誰かが呟く。
「ファミーユでも、ナンバー偽造のがあったな」
「車種の特定、急げ」
「はい」
本部長は短く指示を飛ばす。
「明日、もう一回行ってこい」
視線が移る。
「次や」
橋本がゆっくり立ち上がる。
「キャバクラ班です」
資料を開く。
「南方のフラッシュバックのシホ——本名、山下さんですが、事件の三週間前、誕生日の話をする客がいたとのことです」
言葉が、少しずつ重なっていく。
「二人組。一人はおとなしく、もう一人は、よく喋る」
会議室の空気が、はっきりと変わる。
橋本は続ける。
「ゴールドスターで、美容室マシェリの副店長と同行していた人物の確認を取ります」
「なお、副店長は本日休みで接触できていません」
本部長が小さく頷く。
「林の件は」
「……関連店舗も含め、明日当たります」
再び沈黙。
本部長が、机に指を軽く打ちつける。
「……揃ってきたな」
低い声だった。
「クラウン。マークX。淀川自工。二人組。誕生日狙い」
一つ一つ、言葉を置いていく。
「線は繋がっとる」
誰も異論はない。視線が鋭くなる。
「後は——」
わずかに間を置く。
「詰めるだけや」
「……はい」
声が揃う。
その瞬間、会議室の空気が決まった。
もう、引き返すことはない。
◆
各班の報告と、明日の動きの確認を終えた頃には——時計は、すでに二十三時を回っていた。
会議室を出ると、廊下の空気がやけに軽く感じる。
「……疲れたのぉ」
高橋が首を鳴らす。
「まだキャバクラ、やってるな」
窓の外をちらりと見る。
「どうする?」
橋本が小さく息を吐く。
「今日は帰ろうや。洗濯もん、溜まってるし」
高橋が頷く。
「そうやな」
少し間を置いて、高橋が続ける。
「もう目の前やし。後は証拠集めや」
橋本が短く返す。
「せやな。ほな、飯だけ行こか」
高橋が苦笑する。
「この時間で?」
橋本は迷わない。
「ラーメンか。牛丼でもええで」
高橋が少し考える。
「……いや。餃子とビールやな」
橋本が笑う。
「OKラーメンやな」
二人は車に乗り込む。夜の道路は空いている。街灯が一定のリズムで流れていく。
ラーメンキング。橋本はチャーシュー麺と半チャーハン。高橋は餃子とビール。
湯気が立ち上る。
橋本が箸を割る。
「……明日やな」
高橋が短く頷く。
「朝イチでマシェリや」
橋本がニヤリとする。
「橋やんと、どっちが口が立つんやろな」
高橋が静かに笑う。
「楽しみやな」
軽口の奥に、確信があった。




