【第51話 ガラス一枚】
翌日の夕方。
橋本と高橋は、十三の雑多な通りから少し外れたコインパーキングに車を滑り込ませた。エンジンを切ると、外のざわめきが一気に流れ込んでくる。
「行こか」
二人は車を降り、東口へ向かって歩き出す。ネオンが点き始め、呼び込みの声が飛び交う。昼と夜が混じる時間帯。
「どこの美容院やったかいな」
橋本が辺りを見回す。
「ちゃんと店の名前、聞いといたらよかったのぉ」
高橋が苦笑する。
「まぁええ」
橋本は肩をすくめる。
「後であの女に聞こ」
ゴールドスターの前まで戻る。まだ営業前。看板の灯りだけが浮いている。二人は壁にもたれ、出勤してくる女を待つ。
「しかし」
橋本が看板を見上げる。
「ゴールドスターって、相撲取りが喜びそうな店やな」
高橋が吹き出す。
「実はな」
橋本が続ける。
「高校の時、相撲部屋にスカウトされたことあんねん」
「何で行かんかってん」
「可愛がりが怖いやん」
高橋がすぐ返す。
「どの顔が言うんや」
橋本が笑う。
「高やんはどない思う」
少し真顔になる。
「今回のヤマ。トクリュウか、単独か。それとも模倣犯か」
高橋は腕を組む。
「どれも可能性あるな。トクリュウみたいな素人さもあれば、狙いを見定める、プロっぽさもある。真似して失敗したんかも知れんし」
橋本が小さく頷く。
「難しいのぉ」
そのとき——
「あ、来たで」
一人の女が店の前に現れる。昨日のキャバ嬢だった。
「こんばんは」
橋本が軽く手を上げる。
「昨日はありがとうな」
「あ、昨日の刑事さん」
女が笑う。
「今日は遊びに来たん?」
「指名してや」
橋本が両手を上げる。
「いやいや、僕ら薄給やから、こんなとこよう来れんねん」
女が笑う。
「ほんなら、どうしたん?」
橋本は少しだけ声を落とす。
「昨日の話の続きやねんけど。ミカさん、三十五歳やったって言うてたやろ」
「それがどないしたん?」
「店では二十六って言うてたやん」
女が頷く。
「うん、この前誕生日って言うてたで」
橋本が目を細める。
「あれって……事件あった日やったよな」
「そうやで」
女が首をかしげる。
「何か関係あるん?」
橋本が笑う。
「いや、たった一日で九つも歳取って、可哀想やな思てな」
「何それー」
女が笑う。
橋本はそのまま続ける。
「それとや。その美容師の副店長、どこの店やったかいな。言うてくれてたやろ」
女がすぐに答える。
「あぁ、マシェリやん」
橋本が手を打つ。
「おお、それや。ありがとうな」
軽く手を上げる。
「ボーナス出たら寄らせてもらうわ」
女は笑いながら店の中へ入っていく。
橋本と高橋は顔を見合わせる。
◆
「ちょっと、マシェリ見に行こか」
橋本が顎で東口の方を示す。
二人は人混みを抜け、商店街を外れる。一筋奥に入ると、急に人通りが減る。ネオンの明かりも少し弱くなる。
その先に——
「……あれやな」
ガラス張りの美容院。
《マシェリ 十三店》
看板の文字が、白く浮かんでいる。
「十三店って書いてあるな」
橋本が目を細める。
「何店舗かあるんかいな」
店の前で足を止める。窓越しに中を覗く。明るい店内。鏡の前に並ぶ椅子。ドライヤーの音。
その中に——
「あの男かいな……」
一人の男が動いている。鼻にカットバン。短く刈った髪。体つきは無駄がない。
「ボクサーみたいやな」
高橋が小さく言う。
橋本は黙ったまま、しばらく見ている。距離は、ガラス一枚。
だが——まだ踏み込まない。
「話、聞きたいけどな」
橋本が視線を外す。
「南方も行かなあかんし」
少し考える。
「……今度にしよか」
高橋が頷く。
二人はその場を離れる。背中に、店の光を感じながら。
コインパーキングへ戻る。キザシに乗り込む。エンジンをかける。車はゆっくりと動き出す。
淀川通りへ出る。街灯が流れていく。
「ちょっと遅なったな」
橋本が時計を見る。
「営業、始まってるな」
車はそのまま、南方へ向かう。




