【第42話 イタタ】
どういう道を通って戻ってきたのか、覚えていない。
気づけば、工場の前だった。シャッターを押し上げる。黒のZRXを滑り込ませるように中へ入れる。
中に入った瞬間、力が抜ける。
「……大丈夫か」
健が息を切らしながら言う。
「病院、行こ」
慎二は首を振る。
「大丈夫や……」
声がうまく出ない。
「鼻が……痛い」
脇腹に手を当てる。鈍い痛みが広がる。
「……骨、折れたんちゃうか」
健が顔をしかめる。
「明日、病院行こて」
「……わかった」
慎二はその場にしゃがみ込む。
「とりあえず……ここで横にならせてくれ」
そのまま床に体を預ける。冷たいコンクリートが、背中に伝わる。
工場の中に、荒い呼吸だけが残る。
◆
その頃――
マンション前。悲鳴を聞きつけた近所の住人が、外に出ていた。ざわつく声。不安げな視線。
やがて、一台のパトカーが静かに止まる。赤色灯が、濡れた路面を淡く染める。
だが――そこには、もう誰もいない。
通報者から事情を聞く。断片的な話。男。悲鳴。争う音。
警官たちは周囲を見回す。だが、手がかりはない。
やがて、パトカーはゆっくりと走り去る。雨上がりの空気だけが、静かに残っていた。
◆
翌朝。
ソファーで目を覚ますと、工場の中は薄く明るくなっていた。シャッターの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
慎二は、昨日のままの体勢で横になっている。動かない。
「……おい」
返事がない。
「おい、大丈夫か」
体を揺らす。慎二の顔が歪む。
「……イタタ……」
ゆっくりと目を開ける。体を起こそうとするが、うまく動かない。健が手を貸す。肩を支える。ようやく、胡座をかく形で座る。
「痛いわ……」
脇腹に手を当てる。顔がしかめられる。
「今日は、仕事休むは」
少し間を置く。
「美容院やなくて……病院やな」
誰も笑わない。健が小さく頷く。
「わかった。九時にタクシー呼ぶ。一緒に行こ」
「……すまん」
慎二はソファーに体を預け直す。ポケットからタバコを取り出す。火をつける。
一口吸った瞬間――
「……イタタ」
顔をしかめる。
「あかん……脇腹にこたえるわ」
健が立ち上がる。
「コーヒー淹れたるわ」
工場の中に、朝の静けさが広がる。煙だけが、ゆっくりと上へ昇っていく。




