【第41話 行くぞ】
両手に花。もう片方に、大きめのヴィトンのボストンバッグ。
「あれや……」
次の瞬間、慎二が地面を蹴る。一気に間合いを詰め、千秋の腕を掴む。バッグを引き寄せる。
だが――千秋は離さない。指に力が入る。体ごと引かれるのに、踏ん張る。
「離せや!」
「いやっ!」
甲高い声が、夜に弾ける。
「あんたー!」
その一声で、空気が変わる。
慎二の動きが、わずかに鈍る。その背中に――
ドンッ。
鈍い衝撃。体の芯に響く。前へつんのめる。
「何しとんじゃボケがー!」
振り向くより早く、脇腹に蹴りが入る。えぐるような一撃。息が潰れる。
「っ……!」
次の瞬間、ヘルメット越しに叩き込まれる衝撃。骨に響く鈍い音。視界が揺れる。
さらに――顔面に、熱を伴った痛み。地面が近づく。
気づけば、仰向けに転がっている。濡れたアスファルトが、背中に冷たい。
「おんどれ、何もんじゃ!」
低く、腹の底から響く声。
「ボケこら!」
慎二は歯を食いしばる。ポケットに手を突っ込む。レンチの冷たい感触。
目の前に立つ男。大柄。肩幅が広い。短く刈り込まれた頭。
振りかぶる。そのまま、右のスネへ叩き込む。
ガンッ――
骨に当たる硬い手応え。
「何さらすんじゃボケが!」
次の瞬間、蹴り返される。左足が、容赦なく顔面に入る。視界が白く弾ける。音が遠のく。
息が整わない。空気が足りない。
そのまま押し倒される。重さがのしかかる。動けない。馬乗り。完全に抑え込まれる。
「こら……」
胸ぐらを掴まれる。顔が引き寄せられる。
「面、見せんかい」
◆
健はバイクの陰で、携帯を握り続けていた。
既読が付かない。
「あかん……気付いてくれ」
そのとき――
悲鳴が、夜を裂いた。
顔を上げる。マンション前。車のドアが乱暴に開く。見覚えのある男が、飛び降りる。
「あかん……」
考えるより先に、体が動く。バイクから転がるように降りる。濡れた路面で足がわずかに滑る。それでも止まらない。
距離は、十メートルもない。一気に詰める。
視界の先。慎二が押さえ込まれている。今にも馬乗りにされる体勢。
背中に手を回す。スパナの冷たい感触を握る。迷いはない。
「あんたー!」
その声に、男が振り返る。その瞬間――
踏み込む。全体重を乗せて、スパナを振り抜く。
ゴンッ――
鈍い音。硬い手応えが、腕に残る。
スポーツ刈りの体が崩れる。その場に、うずくまる。
「行くぞ!」
慎二の腕を掴む。重い。力が抜けている。肩を貸す。引きずるようにして走る。
振り返る。足音は――来ていない。
それでも止まらない。バイクまで戻る。濡れた路地に、息だけが荒く響く。




