【第3話 戻られへん】
その日の夜やった。
工場のシャッターは半分だけ開いている。外は静かやのに、中だけ金属の音が響いていた。
健は一人で作業を続けていた。油の匂いが、いつもより重い。
足音も立てずに、慎二が入ってきた。
「まだやっとんのか」
「仕事や」
顔も上げん。しばらく、音だけが続く。慎二は壁にもたれた。
「なぁ」
軽い声や。健は手を止めん。
「なんや」
「ええ話あるで」
その言い方で分かる。ロクな話やない。
「いらん」
即答や。慎二は笑う。
「まぁ聞けや」
間。
工具の音が止まる。健はゆっくり顔を上げた。
「……なんや」
慎二は少しだけ前に出る。
「一晩で五千万や」
静かやった。
「は?」
「キャバや。ナンバー2でそれや」
軽く言う。健は何も言わん。言葉が出てこなかった。
「でな、場所も分かってる。流れも分かってる」
一歩近づく。
「いけるやろ」
健はゆっくり首を振った。
「アホか。そんなもん、手ぇ出したら終わりや」
慎二は笑う。
「終わらんて。一回や」
軽い。軽すぎる。
「やめとけ」
小さい声やった。せやけど、本気や。
「……運転だけでええ」
慎二が言う。健は顔を上げた。
「なんやて」
「手ぇ出さんでええ。乗せて、流すだけや。それぐらい、できるやろ」
健は黙る。
分かっている。それが一番あかんやつや。
「……無理や」
口ではそう言う。せやけど——声が弱い。
慎二はそれを見逃さん。
「けんちゃん」
出た。その呼び方や。
「一回だけや。終わったら終わり。それでええやろ」
健は目を逸らした。
頭の中で、何かが揺れている。分かっている。戻られへん。せやのに——
「……ほんまに一回やぞ」
小さく言うてしまった。
慎二は笑った。それで十分やった。
◆
「……で」
慎二が軽く続ける。
「送迎車や。尾けてほしいねん」
健は眉をひそめる。
「は?」
「店から出るやろ。そのあとどこ行くか見るだけや」
やってることは違う。
「アホか。そんなもんバレたら終わりや」
健はすぐ返した。せやけど——工具には手が戻らへん。頭の中で、考えてもうてる。
やったらあかん。せやのに——
「……車やと目立つな」
ぽつりと出た。
慎二は黙って聞いている。口を挟まへん。
「バイクの方がええ。距離取れるし、何かあったとき逃げやすい」
言いながら、健は分かっていた。自分で言ってもうてる。
「……工場のやつ使うわ」
最後まで言ってしまった。
もう、戻られへん。
慎二はゆっくり笑った。健はもう、慎二の顔を見られんかった。




