【第2話 名前だけ、頭に残る】
翌日の昼前。
シャッターの音で分かった。
「おぉ、けんちゃん」
慎二や。手には缶コーヒーを二本ぶら下げている。
「ほら」
一本、投げてよこす。健は受け取った。
「分かってたけどな」
「何がや」
「返しに来るの」
慎二は笑う。
「ちゃんとしてるやろ」
クラウンは、何事もなかったみたいに元の場所に戻されている。傷もない。
それが、余計にあかん。
「今から仕事か?」
「おぉ。まだ酒残ってるわー」
健は顔をしかめた。
「飲酒運転はやめとけ」
間。
「大丈夫や。昨日は代行呼んだ」
当たり前みたいに言う。健は何も言わんかった。
慎二はコーヒーを一口飲んでから、軽く手を上げた。
「ほな仕事行ってくるわ」
「今日は遅番や」
それだけ言うて、くるりと背を向ける。足取りは軽い。何もなかったみたいに。
健はその背中を、黙って見送った。
◆
美容室は、昼の光が入って夜とは別の顔をしていた。
「副店長」
若いスタッフが小声で寄ってくる。慎二はハサミを動かしたまま、顔も上げん。
「店の前に派手な女の人がいて、中をずっと覗いてるんですけど」
「怪しくないですか?」
慎二は鏡越しに視線を向けた。
店の前。派手な女が、ガラス越しに中を覗いている。
見覚えのある顔やった。
「……あぁ」
小さく息を吐く。
「知ってるわ。入れといて」
スタッフは少し安心した顔で、女を招き入れた。女は店内を見回してから、待ち合いのソファーに腰を下ろした。少し浮いている。せやけど、帰らへん。
慎二はそのまま手を動かし続ける。
「はい、こんな感じでどうですか」
客が頷く。会計へ回す。ようやく手が空いた。
「お待たせ」
椅子に座らせて、クロスをかける。コームを手に取って、髪を軽くすくいながら全体を見る。
「どんな風にしよか」
「昨日みたいなんでええ?」
「今日はな、もうちょいボリューム出して。ここ巻いてほしいねん」
慎二は一瞬だけ止まる。
「……お蝶夫人か」
「何それ」
「ほなデビか」
「デビは嫌やで」
肩をすくめる。
「まぁええ」
ドライヤーのスイッチを入れる。風の音が、会話を一度切った。
風が少し落ち着く。慎二は何気なく聞いた。
「今日はどっか行くん?」
女が鏡の中で目を合わせる。
「マキちゃんの誕生日やねん。そやから、うちも負けんように」
言い方は軽い。けど、目は違った。
「えー。誕生日って、なんや。花とか風船とか送ったりするやつかいな」
「そんなんちゃうって。そんなんじゃ終わらん」
間。
「どんなもんなん」
女は少し笑った。
「この前な、ナンバー2の、のぞみさん。一晩で五千万やで」
慎二は一瞬だけ止まる。
「えー。ほな、ナンバーワンの自分やったら、いくらぐらいになるん?」
女は吹き出した。
「アホか。うちはベストテン、ギリギリぐらいやわ」
軽い返しやった。せやけど——
「で」
慎二は何気なく続ける。
「ナンバーワンて、何て言う子なん?」
女は少しだけ考えて——
「……ミカさん」
あっさりやった。
「ふーん」
慎二はそれ以上聞かへん。ハサミを動かし続ける。
ミカ。
名前だけ、頭に残った。




