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【第33話 ドルチェビータ】

二日後の夜。

阪神尼崎の駅前は、ネオンと人の熱気で満ちていた。呼び込みの声。笑い声。湿った空気が、まとわりつく。

その中を、慎二と健はゆっくり歩いていた。

目当ては決まっている。だが、急がない。店ではなく、人を見る。流れを見る。客層。入り方。出てくる時間。

「……この辺やな」

慎二が小さく言う。健は答えない。視線だけが、周囲をなぞる。

やがて、一際明るい場所で足が止まる。案内所。人の出入りも多く、声もよく通る。

「……あそこで聞くか」

健が短く言う。

二人はそのまま歩み寄る。

「いらっしゃいませ」

スタッフがすぐに笑顔を向けてくる。慎二が軽く顎を上げる。

「この辺で一番デカくて、流行ってるキャバってどこ?」

スタッフは迷わない。

「ご案内できますよ」

健が口を挟む。

「安くなるん?」

「交渉できます」

間髪入れずに返る。慎二が頷く。

「ほな、よろしゅう」

スタッフはすぐに電話をかけ始める。短い会話。手際がいい。

しばらくして、二人はビルの前に立っていた。上を見上げる。

「ドルチェビータ」

ビルの下に着くと、すでにウェイターが待っていた。

「お待ちしておりました」

頭を下げる仕草も無駄がない。二人はそのまま中へ通される。

エレベーターに乗り込むと、わずかな沈黙が落ちた。上昇する振動。その中で、慎二が何気なく聞く。

「ここのナンバーワンって誰?」

「うーん……千秋さんですかね」

「へぇ」

興味があるのかないのか分からない返事。健は横で黙って聞いていた。

扉が開く。音と光が一気に押し寄せてくる。甘い香り。グラスの音。

二人はソファへ案内された。

「こちらへは初めてですか?」

「前に仕事の付き合いで来たかなー」

慎二は曖昧に答える。

「ちょっと覚えてなくて」

「誰か気に入った子とか覚えておられますか?」

「とりあえずフリーで入るわ」

一拍も置かずに続ける。

「ナンバーワン回してやー」

その言い方は軽いが、狙いははっきりしていた。

しばらくして、女が一人テーブルに来る。焼酎のセットを持っている。

「いらっしゃいませ、サキです」

「よろしくー」

「水割りでいいですか?」

「おお」

氷の音が小さく響く。

「私もいただいていいですか?」

「どうぞ」

健は何も言わず、チャームに手を伸ばした。

「では、カンパーイ」

「はいはい」

慎二がグラスを合わせる。

「ルネッサーンス」

サキが吹き出した。

「あはっ、古っ」

「もう古いんかーーい」

笑いが広がる。その軽さに、店の空気が馴染む。

遅れて、もう一人。健の横に静かに座る。

「千秋です」

その瞬間、空気がわずかに変わる。慎二も、健も、それを言葉にはしない。

「私もいただいていいですか?」

「どうぞ」

健の視線が、自然と落ちる。

千秋の足。細く、無駄がない。足首に、ぐるりと巻き付くタトゥー。ほんの一瞬、目が止まる。

理由は分からない。だが、引っかかる。

「今日はお仕事帰りですか?」

「そや」

「お客さんは油仕事されてるんですか?」

そう言いながら、千秋の指が健の指に触れる。なぞるように。ほんの一瞬。

健の動きが止まる。だが、何も言わない。

「もうー、そこ」

慎二が笑う。

「ええ雰囲気やんか。指名するか、タケシ」

「……どっちでも」

「どっちでもはないやろ。女の子かわいそうやんか」

「ごめんやで、こいつ慣れてなくて。魔法使いやで、ハリポタや」

「あはっ」

笑いが戻る。

「……指名します」

健が言う。

千秋が少しだけ目を細める。

「えー、嬉しい」

サキが立ち上がる。

「お兄さんはどうします?」

「どうしよっかなー」

「もーう、そろそろ代わらないかんから。また呼んで下さいね」

軽く頭を下げ、席を離れる。

少し間ができる。音だけが戻る。

そこへ、別の女が入ってくる。

「どうも、サクラです」

若い。その一言で、慎二の中で位置づけが決まる。

「かわいい。学生さん?」

「違いますよー」

慎二は笑いながら続ける。

「さっき店員さんにナンバーワンの子付けてって頼んだから、サクラちゃんの事やってんね」

その瞬間。千秋の目が、ほんの一瞬だけ開く。すぐに戻る。

健はそれを見逃さなかった。

サクラは少しだけ照れたように笑った。

「もーう、私なんか全然」

軽く手を振る。そして、小さな声で付け足す。

「横の千秋さんがナンバーワン」

慎二は「ああ」と頷き、わざとらしく驚いた顔をした。

「えー、そうやったんやー」

視線を千秋に向ける。

「通りで、納得やわー」

千秋は何も言わない。ただ、グラスに口をつける。その仕草が、妙に落ち着いている。

慎二はそのまま続ける。

「ほんならサクラちゃんはナンバーツーか?」

サクラが困ったように笑う。

「いやいや……」

曖昧に否定する。

そのやり取りを横で見ながら、健は黙っていた。

慎二はグラスを揺らしながら、ふっと口を開く。

「おっちゃん、占い得意やねん」

軽い調子。サクラが食いつく。

「ほんまですか?」

慎二は頷く。

「サクラちゃんって誕生日いつ?」

「四月の二十一日です」

「牡牛座か」

すぐに返す。

「安定を好むけど……」


「ちょっと冒険したいと思ってる」

サクラの目が少し開く。

「えー、当たってるかも」

嬉しそうに笑う。慎二はそのまま続ける。

「あと……」

少しだけ間を置く。

「男に尽くしすぎて、飽きられたりするタイプやな」

サクラの表情が一瞬固まる。

「えっ……」

すぐに笑う。

「なんで分かるんですかー」

慎二は肩をすくめる。

「当たってるやろ」

軽く言う。サクラは小さく頷く。

「……当たってます」

その声には、少しだけ本音が混じっていた。

慎二はグラスを口に運ぶ。氷が静かに鳴る。

「男はな……」

ぽつりと続ける。

「飽きるもんなんや。尽くされると最初は嬉しい。でも、それが当たり前になる。感謝も薄くなる」

言葉は淡々としている。

「そのうち身内みたいになってな」

少しだけ笑う。

「愛から情に変わる」

サクラの表情が少し曇る。慎二は視線を上げる。

「安定求めるから、牡牛座は」

静かな一言。少し重くなった空気を、慎二はすぐに崩す。

「どや」

グラスを軽く持ち上げる。

「俺と冒険しよかー」

サクラが吹き出す。

「もーう」

笑いながら肩をすくめる。空気が戻る。

慎二はその流れのまま、さりげなく続ける。

「で、誕生日とかって、お祝いしてもらえるん?」

サクラは少し考える。

「うん」

「この前とかどうやったん?」

「あ、一応してもらえたよ」

少し嬉しそうに笑う。

「でも……」

指を折るように続ける。

「常連さんらがボトル入れてくれたり、シャンパン開けてくれたり、花くれたり。プレゼントももらったかな」

慎二は小さく頷く。

「えー、そんなんや」

そして、何気ない調子で言う。

「だから、この辺……ブランド買取の店が多いんやな」

一瞬だけ、サクラが止まる。

「もーう」

すぐに笑ってごまかす。

「そんなんせえへんよ」

少しだけ強く言う。

「大事に持ってる」

慎二はニヤッとする。

「使ってるとは言わん(笑)」

サクラが笑う。

「あはは(笑)」

その横で――

千秋は変わらず静かだった。だが、グラスを持つ手が、ほんのわずかに止まる。

ほんの一瞬。

健はそれにも気づいていた。

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