【第29話 二柱リフト】
その足で、慎二は自転車に跨った。
朝の空気が、まだ少し冷たい。ペダルを踏むたびに、昨夜の残りが体の奥で揺れる。
頭のどこかに、あのライターが引っかかったままや。それでも考えるのをやめる。
今は、先のことや。
ハンドルを切り、健の工場へ向かう。
シャッターは半分開いていた。中から、金属音がかすかに漏れている。慎二はそのまま中へ入る。
油の匂い。見慣れた空気。
「おはようさん」
声をかける。健は手を止めず、軽く顎を引くだけで応じる。
慎二は周りを見渡す。一瞬、目が止まる。
「あれ」
少しだけ間を置く。
「ヴィッツも、マークXも……処分したんか」
健はようやく手を止める。
「……ああ」
短く答える。
「しといた」
それ以上は言わない。
慎二は少しだけ眉を寄せる。
「大丈夫なんか」
低く聞く。
「アイツら」
健は肩をすくめる。
「たぶんな」
何でもないように言う。
「いざとなったら、日本語よくワカリマセン言うやろ」
軽く吐き捨てる。
慎二は小さく息を吐く。笑うでもなく、納得するでもなく。ただ、そこに立っていた。
工場の中に、しばらく静けさが落ちる。
やがて慎二が、壁にもたれながら口を開く。
「で……どこに隠す?」
健は工具を拭きながら、顔も上げずに答える。
「困ったのー」
少し間を置く。
「あんな大金、持ち歩けんし」
慎二は鼻で笑う。
「何か物に変えるか」
軽く言う。
その言葉で、健の手が止まる。ゆっくり顔を上げる。
「……俺は」
一拍。
「工場のリフト、買い換えたい」
慎二が顔をしかめる。
「リフト?」
「二柱リフト」
淡々と続ける。慎二は少し考える。
「なんぼすんねん」
健は短く答える。
「二百万あれば」
一瞬の沈黙。慎二が吹き出す。
「……五、六個買えるやんけ」
笑いながら言う。健は何も言わない。ただ、もう一度工具に手を伸ばす。
その横顔は、冗談を言っている顔ではなかった。




