【第20話 行くか】
次の日。健は時計を見た。
店の終わりに合わせる。それだけでいい。余計なことは考えない。考えすぎれば、動きが鈍る。
黒のZRXにまたがり、エンジンをかける。セル一発で火が入る。すぐに回転を落とし、音を抑える。乾いた振動が足裏に伝わる。
ゆっくりとクラッチをつなぎ、夜の路地へ滑り出した。
新御堂筋には入らない。淀川大橋を渡り、中津へ抜ける。昨夜、頭に叩き込んだルートをなぞる。信号の位置、詰まる場所、抜けるタイミング――身体が先に動く。
橋の上は風が強い。川面の匂いがわずかに上がってくる。
そのまま減速し、街へ降りる。
マンションの少し手前でスロットルを戻す。エンジンブレーキを効かせ、そのまま流すように通り過ぎる。視線だけを上に残す。
十階。
あの部屋は、まだ暗い。
一度、通り過ぎる。すぐに戻らない。
少し大きく回り、裏へ入る。昨日とは違う位置にバイクを寄せる。影の落ち方、街灯の角度、人の動線。すべてを重ねて、死角を選ぶ。
エンジンを落とす。
振動が消え、夜の音が戻る。遠くで車が一台通り過ぎる音だけが残る。
健はバイクを降り、ヘルメットを外さずに壁際へ身を寄せた。
視線を上げる。
十階。あの部屋。
呼吸を整える。吸って、吐く。余計な力を抜く。ただ待つ。
時間が伸びる。腕時計を見ることはない。体内で刻む。
やがて――
遠くに光が現れた。ゆっくりと近づいてくる。
タクシーだ。
速度を落としながら、マンションの前に滑り込む。シホが降りる。バッグを肩に掛け直し、慣れた足取りでエントランスへ向かう。
健はすぐには動かない。
一拍。呼吸と同じリズムで間を取る。
それから静かに位置をずらし、視界を確保する。
シホが中へ入る。ガラスの扉が閉まる。
数秒。
エレベーターが動き出す。
一階。二階。三階。止まらない。四、五、六。七、八。九。
そして――
十階。
止まる。
わずかな間。あの部屋に灯りが入る。一瞬遅れて、ふっと明るくなる。
人が入った灯りだ。
健は目を細める。
確認は、もう十分だ。
視線を外さず、そのまま数秒だけ置く。他の動きはない。気配も変わらない。
「……行くか」
小さく呟く。
声は、ほとんど音にならなかった。




