2話
気配がした。同時に強い殺気も感じる。
魔王の脳は即座に反応して意識を覚醒させた。
たとえ美少女。いや。美少年の体に戻ろうと、努力を重ねて培った戦闘スキルまでは失われていない。
それから高等回復によって苦痛から解放されていたのも大きい。今なら眠っていても敵性存在の気配を見逃さないし、ある程度は魔法で戦える。
巨木の窪みに体を丸めたまま細く目を開ける。
浅く呼吸をして敵を目で探す。
しかし周囲は暗闇に覆われていて視覚は役に立たなかった。眠っている間に真夜中になっていたのだ。即座に集中力を聴覚に切り替え、昆虫の交尾音すら見逃さずに探る。
(おそらく左前方3〜40メートル先に潜んでいるな。上手く風下をとって匂いが漏れないようにしている。さて、相手は魔獣か人か)
肉体に魔力を帯びて、体内に魔力結晶(魔石)を持った魔獣と言う存在が在る。人類に対して非常に好戦的であり、魔王国の大陸に普通に生息する日常的な脅威。
人族との戦争で捕らえた捕虜から得た情報によると、魔獣は人族の大陸にもいると言う。大海にもいると言う。しかし生息する魔獣の種類は大陸によって異なるので、仕留めれば大陸を特定する手掛かりにはなる。
また相手が人であった場合はもっと楽に情報が手に入る。生け捕りにして聞けばいいのだ。抵抗しても魔法でちょちょいとやればよい。それに人なら食料を持っている可能性が高い。捕虜にすれば持ち物は魔王の物である。当然の権利である。もうお腹が空いて背中とお腹がくっつきそうなのである。
人であって欲しい。そう願い、探索の風魔法を小声で発動した。
「風探索」
風と意識を同調させて周囲にある物体を触る。これで物体のおおよその形、質感、生物か否かが分かる。熟練者になれば広範囲の詳細な探索も可能であり、もちろん魔王は熟練者の部類だ。
(形はウサギに似ている。だが大きい。今の我より大きい。それに牙と爪も鋭い。こいつは肉食の魔獣だな)
残念ながら人ではなく魔獣だった。魔王を獲物と狙い、襲うタイミングを見計らっている様子。
(魔獣なら殺してしまおう。待ってやる義理もなし)
風探索を維持しつつ、同時に土魔法で大人の親指大のどんぐり型弾丸を生成する。それを風魔法と火魔法を合わせた3属性混合魔法で撃ち出すのだ。魔獣の位置は把握済み。風魔法よる誘導もある。短距離なら九分九厘外さない。
「弾丸射出」
発動呪文を紡ぐ。
弾丸は木々を躱して巨大肉食ウサギの頭部目掛けて亜音速で飛翔。その速度だとソニックブームによる破裂音も起きないので、回避どころか迫る弾丸を感じる事さえ不可能だろう。刹那の静寂の後、左前方から小さな乾いた音が聞こえた。土の弾丸がウサギの頭部を爆散させた音だ。
「よいしょ。食べられる肉だと良いんだが」
立ち上がって仕留めた魔獣を確認するため移動する。
暗闇の中、火魔法で小さな明かりを付け、魔物の死体を照らすのだ。
(見事に頭の上半分が吹き飛んだ)
魔獣の体は魔王よりも大きい。
残された下顎にはびっしりと鋭い牙が生えている。
前後4本の脚には猫科猛獣もかくやあらんという爪が飛び出している。
(ビッグラビットに似ているが違う。見たことのない魔獣だ)
魔王は為政者として魔王に相応しい知識を求められる。
魔族大陸に生息する魔獣の知識は網羅している。
故に目の前に横たわる魔獣が未知の存在であると確信が持てた。
(ここは魔族大陸ではない。人族の大陸に飛ばされたとすると厄介だ)
希望の一つは消えた。これから困難な旅が始まるなと、溜め息をつく。
(悩んでも仕方ない。せっかくだから解体して食べてみよう)
肉食獣の肉は美味しくないのが常だ。それでも背に腹は代えられない。腹が減っては何とやら。
「土錬成ゴーレム腕」
地面から土で作られた巨大な手が生えて巨大肉食ウサギの後ろ脚を掴んで持ち上げた。
「石包丁」
続けて鋭いナイフを作り出し、手馴れた様子で捌いていく。
魔王選抜試験の為に身に着けたサバイバルスキルだ。
「くっ! 腕力が全然足らん! やり辛い!」
なんとか解体を終える。次は乾いた落枝を集めて魔法で着火。しばし待って火の勢いが落ち着き、木が炭へと変わると肉の一部を枝に挿して焼き始める。
「むう。匂いがなんかもう……」
微妙な感じである。食欲はそそられない。魔王就任後は王宮で美食三昧だったので、舌が肥えてしまっているのだ。
程良い焼き加減となり、念のため聖魔法の浄化を掛けてから噛りつく。栄養補給が最優先だ。
「うっ。うぅん。モニュモニュ。あ、不味い」
硬い。アクが強い。せめて塩が欲しい。
無いもの強請りをしながら満腹になるまで肉を咀嚼し続けた。
◇◇◇◇◇
森に朝日が射し込む。生き物が活動を始めてにわかに森が騒がしくなる。夜中に栄養補給を済ませた魔王も行動の時だ。
「張り切って行ってみよう! まず目指すのは周囲を見渡せる高台。人里を探すのだ。えいえいお〜!」
声に出して自らを勇気付ける。
右の拳を天に突いて覇王のポーズ。
ちっこい男の娘が世紀末覇者の真似とか、可愛さしかないのだ。
そして30分後………
「もうらめぇ〜! 足が痛くて歩けない〜!」
あひる座りでへたり込み、少女の様に愚痴を零す。
貧弱過ぎて可愛さしかない。
どうやら魔王の魂は若返った肉体に引っ張られ始めているようだ。口調や仕草など、可愛さ成分が自然と漏れ出しているので間違いない。
(2キロも進んでいない。このままでは一生を森暮らしで終わってしまうぞ)
魔王は良い策はないかと考えた。お腹が満たされているので良い策が出そうだ。きっと大丈夫。
30分後……
「そうか! 土錬成で高い足場を作れば良いのだ!」
その程度の事をやっと閃く。
得意げに「我凄い、天才」と自画自賛する姿は、もう可愛さしかない。
「では早速」
あひる座りのまま両手を地面についた。
「土錬成ゴーレム腕! 我を乗せて最大まで伸びよ!」
地面から太く逞しい土の腕が生える。手のひらに魔王をすっぽりと包んで乗せ、天に向かってグングンと伸びてゆく。
「えっ? えっ? はわ! はわ! ちょっと待って!」
5メートル。10メートル。15メートル。20メートル。
最大まで伸びよと命じたので、魔王の想定を超えて伸びていく。
「きゃぁぁ〜! 怖い怖い! もう止まれ〜!」
50メートルで緊急停止命令。ゴーレム腕の成長はようやく止まった。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ。目を開けるのが怖い〜」
実は高所恐怖症な魔王。
上空の強風に流される長い黒髪、固く瞳を閉じて半泣きした顔が、もはや可愛さしかない。
「下を見なければ良いのだ。大丈夫、我なら出来る。きっと出来る。遠くだけ見て、下は見ない……」
男は根性と度胸。出産の痛みに比べればなんて事はない。
意を決して薄めを開けた。
「ふぁぁ〜。しゅごい……」
東と南には予想通り雄大な平野が広がっていた。森や平原である。
北東には小さくないが大きくもない山が見える。山脈と言える程ではない。平野の中にポツンとそびえている。
山の周囲は広大な平地である。確かではないが、一部は人の手によって開拓されているように見える。
「たぶん人の営みがある。きっと街がある」
南北に流れる大きな川も見える。小さな川もいくつも見える。遥か東の先に、海か或いは巨大な湖らしき物もボンヤリと見える。水資源が豊富な土地のようだ。
そして決定的な人工物を見つけるに至る。
「道と橋だ! 大河に大きな橋が架かっているぞ!」
魔王の心臓は期待と不安で鼓動を速めた。
(この地から単独で脱出して魔族大陸に戻るのは難しい。誰かの助けが必要だ。かと言って、敵である人族の支配地域なら協力者を得るなどとても……)
不安が募る。けれど諦めるなど論外。
情報を求めて他にも360°見回す。
北と北西と西には山脈が連なっている。相当な距離が離れているのにかなり大きく見える。標高が数千メートルとか、山脈の長さが数百キロメートル以上とか、そんなレベルだ。
遠く南西に目を向けると、ひときわ巨大な山が見えた。
それは山脈ではなく、ただ一つの山として大地に鎮座していた。頭に雪の帽子を被り、雲のケープを纏っている。まるで神の住まう城。もしくは神そのもの。
「なんて美しい」
高さの恐怖も忘れて、しばらく魅入ってしまう。
「世界は広いのだな。人間の争いなど馬鹿らしく思える」
一時的に視野が広がると、哲学的な思考に捕らわれる。それが人間。
「骨が折れそうだけど橋を目指してみるか……」
以前の体なら楽勝だった。今は困難しかない。
ゴーレム腕をゆっくり縮めて地面に着地すると、頬に手を当てて深い溜め息をつく。魔王にあるまじき態度であるが、やらずにはいられない。魔王だってストレスがたまるのだ。どうせ誰にも見られていないのだから、たまには良いだろう。
◇◇◇◇◇
その青年は狩りの途中だった。
コンバットヘルメットから覗く金髪。
肩に掛けたアサルトライフル。
背が高く、胸板が厚く、ボディーアーマーを着ているので輪を掛けて逞しく大きく見える。
それに顔がイケメンだ。甘く優しげのある、ムカつく程のイケメンである。性別問わず人気を得るタイプに違いない。
そんな金髪イケメン青年は相棒である一人乗り戦車、MBT2199の砲塔に腰掛けてインスタントコーヒーを飲んでいた。大森林の西を眺めて小休止の最中である。
狙う獲物はメガナウマン象。体長は10メートル、体高は5メートルをゆうに超え、体重は数十トンの象に似た魔獣だ。
大質量で押してくる強敵だが、肉質が柔らかく、臭みもなく、旨味が強いので食用として人気が高い。成獣を一頭仕留めれば、大人1人が3カ月は遊んで暮らせる金が手に入る。なので群れからはぐれたメガナウマン象の目撃情報があると、腕に覚えのあるハンター達はこぞって狩りに出る。
しかし生身で戦える相手ではない。安全に戦うには戦闘車両や戦闘機が必要だ。もしくは人数を集め、重装備で集団火力を叩き込む。そうでなければ甚大な被害を生み出す災害級の魔獣なのだ。イケメン青年は自前の戦車を所有しているから単独で戦えるが、普通の事ではない。彼は特別であった。
ステンレス製のカップに口を付け、インスタントコーヒーにしては悪くない味のそれを一口。
「ふぅ」と息を吐くと、突如MBT2199に搭載されたサポートAIがヘルメットのインカム越しに警告を発した。
『緊急警報。高出力の魔力を検知致しました。戦艦級魔力。繰り返します。戦艦級魔力です』
「おわぁ! なんだ」
戦艦級魔力とは、宇宙戦艦を1時間稼働するのと同等のエネルギー量である。
「戦艦級だと! デファ星人の軍が攻めてきたのか!」
『不明。デファ星人の兵器は感知されておりません。警戒。警戒。警戒』
デファ星人とは、金髪イケメン青年が属する集団と長く戦争状態にある異星人勢力である。
しかしその話は今は置いておこう。
『20時の方向。距離約30キロメートル。来ます』
金髪イケメンは戦車の内部に飛び込んだ。一人乗りであり、広いとは言えない操縦席に座り、備え付けられた映像パネルを覗き込む。
「いったい何が?」
MBT2199に搭載された望遠カメラは映像を捕らえた。
巨木の様に太く巨大な人の腕が地面から生えて、空へ向かって伸びていく様子。常識では考えられない出来事に青年は息を呑んだ。
『報告。謎の腕の組成は森の土です。戦艦級の魔力で形作られていると推測されます』
「土だと? どんどん伸びていく、どこまで伸びるんだ?」
それは一分に満たない時間であった。やがて土の腕はピタリと成長を止め、金髪イケメン青年は好機とばかりに最大望遠で腕の一番先、手の部分を映す。
見間違いでなければそこに人らしき影が見えたからだ。
「ぶっ! 美少女だ! 手のひらに美少女が乗っているぞ!」
50メートル程の高さ。その天辺に黒髪の美少女が1人、怯えた様子でへたり込んでいるではないか。
『肯定。生命反応あり。外見的特徴から人類の少女であると推測されます』
「デファ星人の新兵器に捕まったのかもしれない。助けに行く!」
『肯定。要救助案件と認めます』
MBT2199のエンジンが唸る。魔獣の体内から取れる魔石を燃料とする魔法エンジンだ。
人の手の入っていない原生林の中を、木々を躱しながら最適解のルートで進む。全てはサポートAIがあればこそ出来る芸当である。
「目標までの到着予想時間は?」
『要救助者まで推定……』
AIが報告しようとしたその時、映像パネルに映された巨大な土の腕がゆっくりと萎み始めた。
「あっ?」
『警告。魔力反応急速に減少。要警戒』
「訳が分からない。とにかく美少女の安否が最優先だ。急ごう」
『了解』
金髪イケメン青年とMBT2199は魔王目指して突き進むのであった。




