26話 リムリアス姫 ①
関東平野に夜の帳が下りようとしていた。
筑波ハンター都市に警報が鳴り響き、スタンピードの発生時に取るべき行動が行われている。
街に混乱は見られない。
住民の全てがスタンピードが何なのか骨の髄まで理解しているからだ。
人々は年に数回行われる避難訓練の通りに思慮整然と所定のシェルターに入って行く。
地球が異世界と融合して約200年。
現在日本に暮らす日本人の全ては異世界地球で生きる事を選んだ者達の末裔なのだ。
魔獣の恐ろしさも、変質した地球で暮らす不便も覚悟の上だ。避難に文句を言う者や列を乱す者はいないし、いれば愚か者、又はテロリストとして排除される。
ドラゴンの飛来から始まった武蔵大森林のスタンピード。
全体の規模こそ大きくはないが、東の筑波ハンター都市に向かう集団と、南の首都東京に向かう集団に分かれて進撃を続けている。
航空自衛軍は大陸に追い払ったドラゴンへの警戒で戦力の大半が出払っている。こういう場合、単なるドラゴンの気紛れではなくデファ星人の破壊工作の可能性があるので気を緩めないのだ。
また、多数の戦闘機で武蔵大森林のスタンピードを攻撃した場合、魔獣の殲滅速度は上がる。しかし一方では、騒ぎによって広範囲の魔獣にまで混乱が波及、スタンピードが拡大する実例が過去にあるので航空機の投入は限定的にせざるを得ない。
従ってスタンピード対応の主力は陸上自衛軍と陸戦を主とするハンター達となり、筑波ハンター協会事務所『筑波』は元宇宙巡洋艦の特性を活かして緊急時には司令部兼、ハンター協会職員やハンターの家族達の避難所となるのだ。
◇◇◇◇◇
鈴木カンナ(14)が避難バスに乗って『筑波』に到着した時、両親の鈴木宗矩とキャサリンはスタンピード対応で出撃中だった。
ショートカットで活発。ボーイッシュな美少女カンナは貴重品の入った避難用クマさんバックを抱えて他の避難者と共に艦内に入る列に並び、不安な気持ちに耐えて両親の無事を願う。
(お父さん、お母さん、無事に帰って来て)
Sランクハンター『大鷹の宗』を父母に持ったカンナは、祖父母が居なくなってからというもの緊急時には常に孤独であった。
数年に一度は日本の何処かで発生するスタンピード。
街に脅威が迫っている。それは両親が街を守る為に出撃しているという事。
カンナは避難警報を1人で聞き、1人で避難バックを持って自宅の戸締まりをして、1人で避難バスに乗って、1人で『筑波』の避難室で唇を噛み締める。
不安な時、両親に側にいて欲しい時ほど一人きり。
それが当たり前なカンナの日常。
両親はカンナを命懸けで守る。だがそれは、カンナ一人を守る為の戦いではない。
両親は筑波ハンター都市の全てを守っているのだ。
日本の全てを守っているである。
カンナただ一人を守る者などいない。
カンナは大多数の中の一人であって、誰かの大切な一人ではない。
思春期の複雑な少女はそう悩み、やがて心に黒い靄を生んでしまう。
黒い靄は寂しがり屋だ。
一人は嫌い。一人は怖い。一人は辛い。
愛情を求めて肉体の全てを黒く染めてしまう恐ろしい靄。
やがてカンナを悪い道へ引き込んでしまう靄だ。
(筑波にはリムがいるはず。リムと一緒なら寂しくない)
しかし魔王リムリアスとの出会いはカンナの体内に巣食った黒い靄を簡単に晴らしてしまった。ほんの数日間。時間に直せば数十時間だけの交流が、孤独な少女の心を眩い光で照らしたのである。
今までとは違う。カンナは胸を躍らせて『筑波』艦内に入ろうと足が早くなる。心は軽い。不安も恐怖もない。不思議な事に、同じ歳であろうリムリアスに温かな抱擁力を感じる。まるで歳上の頼れる大人といるような気持ちになる。リムリアスといれば万事うまく行く。スタンピードなどすぐに収まって、両親も笑顔で帰って来る。
(絶対にそう! 根拠はないけどリムと一緒だと力が湧いてくるんだから!)
カンナは魔王リムリアスを思いながら、ふと隣の駐機場に目をやった。
そこでは多数の戦闘車両が暖機をおこなっている。
これからスタンピード対策に武蔵大森林に出撃するのだ。
何人ものハンターや職員が忙しく走り回り、魔力エンジンのアイドリング音は五月蝿くて不快。
(五月蝿いなんて思ったら駄目だよね。ハンターさん達は命を懸けて街を守りに出撃するんだから)
ハンターは軍隊とは別枠で魔獣を狩る魔獣の専門家。
自衛軍がデファ星人の攻撃や外国からの侵略を防ぐ盾だとするならば、ハンターは国内で暴れる病原菌や寄生虫を退治する免疫抗体である。スタンピードが起こればハンターは自衛軍と協力して事態の収拾に当たる。むしろ魔獣対応に限って言えばハンターが主体である。
(あれ? 見間違いかな? リムがいる)
出撃間近のハンターの中に、ドレスとアクセサリーで着飾ったお姫様が混ざっていた。
場違い過ぎてカンナ以外の避難者もお姫様に注目する。
薄暗がりの中、カンナは自身の目で見た真実と、まさかと思う心の狭間で2度見3度見して、魔王の存在を認めて確信に至る。
「リム! リム! 何やってるの!」
カンナは避難者の列から飛び出して魔王に駆け寄った。
「カンナ! なぜここにいるのだ!」
魔王はカンナを抱きとめ、2人は両手を強く握り合って顔を突き合わせる。
「こっちのセリフだよ! スタンピードが発生してるのに、ハンターさんに混ざってどうしたの? それにその格好、場違い感が半端ないんですけど」
「むう。これは着替える暇がなくてな。我も恥ずかしいのだが、今は時間が惜しいのでいかんともし難い」
シルク素材のワンピース型ドレスと本物の宝石や貴金属で作られたアクセサリー。女の子なら憧れて然るべきお姫様の姿に、カンナは驚き目を奪われた。
「本当のお姫様みたい」
「お姫様呼びはやめて欲しい。もうウンザリだ」
魔王は困った顔で自傷気味に微笑む。
憂いを帯びた儚い目元、乙女のカンナでも心臓が高鳴り顔も耳も赤くなるのを感じる。
これほど美しい姫である。人の注目を集めないわけがない。避難者達は遠巻きに魔王を観察して、スマホで撮影する者までいる始末だ。
「リムは避難しないの? それともお姫様だから別の場所に避難するの?」
カンナは『筑波』に来れば魔王に会えると考えていた。
魔王と二人一緒なら怖くて憂鬱な避難時間も耐えられると思っていた。
なのに現場に来てみれば、魔王はお姫様の装いでハンター達と共に何処かへ行こうとしている。
状況だけ見れば、高貴なお姫様は一般人とは別枠で守られている。そんな風に見える。
カンナの胸は言い知れぬ想いでズキリと痛んだ。
「カンナ、我は所用があって行かねばならぬ」
「所用って何よ? 私達とは違う、もっと遠くて安全な場所に避難するの?」
カンナは魔王の手をより強く握る。
自分とは違うお姫様に対する嫉妬心。
それから魔王を何処にも行かせたくない幼い独占欲。
そんな少女の気持ちを知ってか知らずか、魔王もカンナの手を強く握り返した。
「すまぬ。詳しくは話せぬ。だが我は、カンナをおいて逃げたりしない」
「それって……」
カンナは魔王の瞳を覗き込んだ。
よく知る目だ。両親と同じ目だ。ハンター達が魔獣被害から街を守る時、例外なく同じ目をしている。
「うそ? なんで? なんでリムが?」
カンナは言葉ではなく、直感で魔王がこれから何をしようとしているのか理解した。
「カンナ、これは親友のカンナだから話す。他には秘密だぞ」
「リム?」
「我には特別な力がある。その力を使えば多くの者を救えるのだ。だから我は、自分の成すべき事を成すために行く」
「や、やだよ」
(両親と同じだ)瞬時に理解したカンナは魔王の胸に飛び込み、両腕を背中に回してキツく抱いた。
「意味が分かんない! 駄目だよリム! 私達は子供だよ? 子供が危ない事をしたら駄目なんだよ? 行ったら駄目だよリム! 何処にも行かないで私と一緒にいて!」
何となく、子供ながら察する事はある。
いや。感受性豊かな思春期の少女だからこそ分かるのもかもしれない。
カンナは両親だけではなく、親友まで魔獣に奪われるのが耐えられなかった。
街を守るため。それはカンナを守る事でもある。
両親はそう言う。
カンナを一人残して、誰を、何を、何から守ると言うのか。
「艦内に入ろうリム! 一緒に、早く!」
カンナは魔王の手を引いて艦内に引きずり込もうと頑張った。
魔王はスラリとした細い脚と細い腰で踏ん張る。
筋肉の欠片も見当たらない細腕で必死に抵抗する。
2人の力比べは圧倒的にカンナが有利である。
「待ってカンナ! マジでタイム! 痛いから、本当に痛いから〜!」
魔王は魔王に有るまじき悲鳴を上げた。
「ご、ごめん。大丈夫、リム?」
「うむ。まぁ、大丈夫。……たぶん」
魔王は少女に腕力で負けたのがショックだ。
「とにかく、もう行かねばならぬ。これは人命に関わる事なので、早ければ早いほど良いのだ」
「……なんでリムが」
カンナの目に涙が溜まる。
なぜ? と言う疑問を何度も何度も脳内で繰り返して、世の中の理不尽を恨む。その想いは強く表情にも現れて、可愛いカンナをブサイクにしてしまう。
「カンナ。勇気が出るおまじないをしよう」
魔王は今にも泣き出しそうなカンナの頬を両手で包み込み、それから唇を近付ける。
チュッ♡ オデコに一回。
チュッ♡ チュッ♡ 両の瞼に一回ずつ。
チュッ♡ チュッ♡ 左右の頬に一回ずつ。
そして……
チュッ♡ 唇と唇が軽く触れ合う。
「つっっ〜〜!!」
カンナは驚きでバッ! と身を引いた。
両手で口を隠して、顔も耳も全身が茹でダコの如く赤くなっている。
(ふぁ! ふぁ! ファーストキス!!!)
魔王はカンナの初めてを奪ってしまった。
「来週末は2人でTENZIKUに焼肉ランチへ行こう。良いな」
ファーストキスの次は焼肉ランチ。ムードもヘッタクレもないのだが、美貌の魔王に誘われれば嫌とは言えない。カンナは真っ白になった思考と真っ赤になった体で「うんうんうんうんうんうん!」とヘッドバンギング。
そんな乙女なカンナを他所に、魔王の下へエミリオとピーターが来る。
「お〜お〜、美少女達が百合百合しているな〜。若さって羨ましい〜」
「リムちゃん! 女の子同士なんて良くないよ! キスなら僕と沢山しよう!」
ロリメイドなのに年寄り臭いピーターはメイド服のまま。
百合否定派のエミリオは戦闘服に着替えてライフルを肩に掛けている。
「はわわわわ! みっ! 見られてた!」
カンナは穴があったら飛び込みたい。
「ピーター、この娘はカンナ。我の親友だ」
魔王はキスなど意に介さない。何故なら魔王国の文化では親しい者同士なら性別関係なくチュウするからだ。
そして恥ずかしさで死にそうなカンナの背中を押し、悪気はないけど空気読めない感じでピーターに紹介する。
「鈴木カンナ様ですね。私はリムリアス姫様の専属メイド、藤ピーターと申します。以後お見知りおきを」
ピーターがカーテシー。
カンナは固まって「はわはわ」言っている。
「せ、専属メイド? ひ、姫様?」
魔王の美しさはある種異常とも言える。カンナも誰も彼も、魔王は良い家のお嬢様であろうと推測していた。
女神の如き美貌、優雅で流麗な所作。これで一般人なら、一般人の概念を根底から正さねばならない。
「り、リムはやっぱりお姫様なんだ!」
カンナは魔王と手を繋ぎ直し、上から下までマジマジと視線で舐め回す。
「断じて姫ではない。ピーターが勝手に言っているだけだ」
「で、でも、専属メイドって!」
「まぁ、専属メイドは否定しない。ピーターは確かに我の専属メイドだ。……ウザいけど」
ウザいの部分は小声で呟いた。だがピーターは聞き逃さない。
「姫様、スタンピードが片付いたらよ〜く話し合いましょうか」
ピーターは笑顔だが目が全く笑っていなかった。
底知れぬ深淵を覗き込む、そんな瞳でジット見つめられると思わず避けてしまう魔王なのだ。
「そ、それよりもだ! 陸上自衛軍との調整はついたのか?」
魔王は露骨に話を逸らした。
「お父さんから陸上自衛軍にヒーラーの派遣を伝えたら、是非にと返答が返って来た。ただし」
エミリオはヤレヤレのポーズ。
ピーターは不愉快な表情でむくれる。
「問題か?」
「問題とは言えない。ただ高レベルのヒーラーが2人いるなら、実績のあるピーターさんは東京の防衛に回して欲しいと言われた」
スタンピードは東と南の二手に分かれており、防衛上の優先度で言えば首都東京が一番だ。陸上自衛軍も大半が東京防衛に旧埼玉方面に展開するという。
本来ならば藤家相談役で聖女の異名を持つピーターにご出馬など願えないのだが、本人から申し出てくれるなら最大限活用したいという話。
「俺は姫様と離れたくないのに、福次ちゃんめ、この貸しは大きいぞ」
ピーターはエミリオを睨む。
「ごめんなさいと言っておきます。でも後方での治療だけですから、悪い話ではないでしょう。自衛軍も藤家は高レベルのヒーラーをまだ隠し持っていたのか、次代の聖女かと盛り上がっていたそうです。藤家の発言力が増々高まりますね」
「姫様をスタンピードの本体に派遣するよりは良いが……」
「はい」
「命に代えても姫様を守れよロリコン小僧」
「必ず」
2人の会話を聞いて魔王は申し訳ない気持ちになった。
自分の我儘から始まった医療派遣。
犠牲者の存在を割り切ってしまえば、ピーターも魔王も出しゃばる必要など無く、スタンピードはいずれ自衛軍とハンターによって鎮圧される。しかしそれでは魔王の気が収まらない。
(救える生命を見捨てるなど出来ぬのだ。我の力で誰かを守れるなら力を使いたいのだ。それが見知った気の良い者達なら尚更)
魔王の気持ちは顔に出ていたのかもしれない。
ピーターは魔王に寄り添い、他の者に聞こえないよう耳元で囁いた。
「姫様の性分は良く理解しているぜ。馬鹿みたいに優しい姫様だから、俺もセレンティアスもユートも大好きなんだ」
「……ピーター」
「尻拭いも臣下の務めだ。やりたい様にやれよ。そしてな、いよいよ危なくなったら迷わず魔法をぶっ放せ。後の揉み消しは藤家が権力と財力を使ってなんとでもするから、とにかく無事でいてくれよな」
それだけ告げると魔王の頬にキス。
魔王もキスを返し、カーテシーで別れの挨拶。
ピーターは護衛と共にリムジンに乗って去って行く。これからヘリで東京に向かうのだ。
「リムちゃん、ハンター部隊は準備万端だよ。僕らも行こう」
エミリオはセカンドカーである軽装甲車の助手席ドアを開けて魔王をエスコートする。
「少し待ってくれエミリオ」
「うん? 良いけど」
「カンナ」
「ひゃい!」
魔王は出発前に再びカンナの手を握り、瞳を合わせた。
「我のベッドを温めておいてくれ。帰った時、カンナの香りがすると安心して眠れるからな」
「!!!!!」
完全な口説き文句。14歳の少女には刺激が強すぎる。
「クマのバック、可愛いな。我も欲しい、お揃いにしよう」
「はわわ! はわわ〜!」
カンナは百合ワールドに捕らわれてフリーズした。
本当は健全な男女のやり取りなのに、傍から見れば百合百合しい。
「では行くぞ! 我が騎士エミリオよ!」
「了解。シートベルトをして、ヘルメットも被って」
「む? ヘルメットとな。これは兜か? ずいぶんと軽いな」
「リムちゃんはヘルメット初めて? こうやって被って、顎の所で固定して、これで良し」
「かたじけない」
全ての準備を終え、エミリオはインカムで全車に通達。
「皆んな、僕らのお姫様は最高レベルのヒーラーだ。土手っ腹に穴が開いても生きていれば治してくれる。安心して魔獣を狩りまくれ!」
インカムに「おぉぉ〜!」と鬨の声が返る。
エミリオの軽装甲車を先頭にして、十数両の軽戦闘車両と戦車と補給物資を満載した装甲トラックが夜の街を武蔵大森林に向かって走り出した。
「リム、無事に帰って来て」
カンナは恋をした乙女の心地で魔王を見送る。
けれどこれは百合ではない。
魔王は美少女だが紛れのない男の子だ。
罪作りな魔王であるが、性別的に間違った事はしていない。
もしも誰かに罪があるとすれば、それは魔王をお姫様扱いするピーターであり、魔王を美少女にした神だろう。
◇◇◇◇◇
スタンピードから負傷者を救出して筑波ハンター都市を防衛する使命を負ったエミリオとハンター部隊。
これから陸上自衛軍と合流して、狂乱状態の魔物の群れと決死の戦いをする英雄達。
そんな英雄達の活躍を、チバラキTVとチバラキ新聞の記者が同行取材している事を魔王は知らない。
知らないから、これから起きる魔王の活躍が、日本中に知れ渡るなど想像の埒外であった。
仕事やプライベートの関係で投稿出来ない日もあります。
読んで下さる方達には申し訳ありません。
どうか見捨てず今後ともよろしくお願い致します。




