2.3
午後5時。
いつものように部屋を出ると2階に向かい、小雪の部屋のドアを叩く。
すぐにドアが開き、小雪が顔を出した。
「どうぞ」
姉の沙織に似た澄ました顔で文也を迎え入れる。
文也の部屋よりも広い8畳で、そこにベッドと机、プラズマテレビにステレオなどが並んでいる。部屋は几帳面に片付けられ、とても小学生の部屋とは思えない。時代が違うのか、それとも家庭環境が違うのか自分の子供の頃とはとても比較にならない。
「今日は何からやりますか?」
小雪は机の前に座って訊いた。机の上には教科書が積まれている。
「宿題はないの?」
小雪の隣に座りながら訊く。机の横には赤いランドセルが掛けられ、ランドセルには猫の格好をしたアニメのキャラクターの人形がぶらさがっている。
「算数の宿題があります。さっき終わらせておきました」
「それじゃ今日やった授業のなかでわからないことは――」
「ありません」
ここに来てからずっとこの調子だ。
「そっか……それじゃ問題集でもやろうか」
「はい」
そう言うと問題集を開き、文也の指示も待たずに問題を解き始める。
毎日がこの繰り返しだ。家庭教師といいながら、ほとんど授業らしい授業など一度もやったことがない。
文也はその小雪の姿を眺めながら声をかけた。
「小雪ちゃんって頭良いね」
「そうですか」
問題集を解きながらそのまま答える。それでも誉められたことに少しは嬉しいのかその横顔にわずかに笑みが浮かんで見える。
「学校じゃ頭良い方でしょ?」
「普通ですよ」
「これじゃ俺、クビになっちゃうんじゃないかな」
「大丈夫ですよ、先生は」
小雪は問題集から顔を上げて文也のほうを見た。
「どうして? だって小雪ちゃん、ぜんぜん家庭教師なんて必要ないじゃない」
「だって先生は私の家庭教師以外にも仕事あるでしょ?」
「それがあんまりないんだよなぁ。たまに烏丸さんに買い物頼まれたりするけどさ。ほとんど一日中暇にしてるんだよ」
「暇なほうがいいじゃないですか」
「あんまり暇すぎるのもちょっとね」
「私の代わりに学校に行ってくれればいいのに」
「僕がランドセル背負ってかい?」
「途中で警察に捕まっちゃうね」
ケラケラと明るく笑う。
「そういえばさ、小雪ちゃんのお父さんってどんな仕事してるの?」
文也は何気なく家族のほうに話を向けようとした。
だが――
「どうしてですか?」
途端に小雪の表情が硬くなった。
「別に理由があるわけじゃないんだけど……なんとなく」
「ふぅん。じゃ、教えません」
さっきまでの笑顔は消えり、小雪は再び視線を問題集へ戻した。
(またか……)
これまでもそうだった。何気ない話題には懐っこく話をするものの、家族のことになるとコロリと態度を変える。
「どうして? 教えてくれたっていいじゃん」
「理由もなく他人のプライバシーを訊くもんじゃないですよ」
ツンとした態度で小雪は答えた。
「プライバシーね……」
明らかに家族のことが話題になるのを嫌っている。「でも、そんなこと言ってたら何の話も出来ないんじゃないかな。あんまり堅苦しく考えないでさ」
するとピタリと小雪の持つシャープペンの動きが止まった。
「どうして先生とそんな雑談しなきゃいけないんですか? 授業だけじゃダメなんですか?」
不愉快そうに文也のほうを上目遣いで見る。
「いけないことはないよ。でも、せっかくこうして知り合ったんだから仲良くなれたほうがいいじゃないか」
「仲良くなりたいんですか?」
「そりゃあ仲が悪いよりは良いほうがいいんじゃない?」
「先生は授業を教えるのが仕事でしょ? 仲良くなる必要なんてないと思います」
「そりゃそうだけど――」
「じゃ、いいじゃありませんか。先生、私、勉強したいんですけど」
文也の言葉を遮るように小雪は強い口調で言った。
「……ああ」
小雪からならば何か情報を得ることも出来るかとも思ったが、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
文也は黙って小雪が問題集を解くのを眺めているほかなかった。




