3.1
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真下家にバイトに来てからすでに10日が過ぎようとしていた。
しだいにこの屋敷での生活にも慣れつつある。
あまりに奇妙な屋敷の造りにも最初は驚いたものだが、暮らしてみるとそれが巧妙に設計されていることに気づく。全ての部屋の窓が南側を向くように設計されており、しかも太陽の光をより多く部屋のなかまで行き届くようになっている。ただ、それぞれの部屋の角度や大きさがバラバラなこともあるせいか、一部だけが壁が厚かったり、スペースが無駄になっている部分があるようにも感じられる。特に階段を上がったところの文也の部屋の隣の壁は納戸の一つでも作れそうなほどに無駄に厚く造られている。
いったい誰がどのような意図をもって設計したのか興味が沸く。
生活のほうは快適そのものだった。だが、肝心の真下家のことについては未だに何の情報も得られてはいない。
この日も文也は退屈な時間を過ごしていた。午後になり、屋敷にいても何もすることがなく、気晴らしに商店街へと足を向けた。
(変だな……)
なぜだろう。不思議と懐かしい気分になる。
ずっと前にこれに良く似た町に住んでいたような感じがする。
きっと気のせいだろう。こんな商店街の景色、どこでも見ることの出来る光景だ。
当たり前の風景、当たり前の景色。高校を卒業後、上京してからいろいろなところに住んできた。それでもこれまでこんな感情が沸いてきたことはなかった。
ふと視線を感じて後ろを振り向いた。
途端にスーパーの駐車場で話している3人の主婦が慌てたようにそっぽを向く。
(何だ?)
わざと文也から視線を逸らしながら、コソコソと何か話をしている。そして、チラチラと時折視線を文也のほうに向ける。明らかにその視線の先に自分がいることは間違いない。
その時――
「ねえ」
ポンと肩を叩かれた。
振り返ると、真っ赤な髪をした20歳くらいの小柄な女性が立っている。黒いジーンズに黄色いトレーナーを着てスニーカーを履いている。学生のようにも見えるが、どこか若作りをしている気もする。
「何ですか?」
「あなた、真下さんのところに住んでいるの?」
丸く大きな瞳でジッと文也の顔を見つめて訊く。目の上のアイシャドーがやけに青く不似合いに見える。
「ええ……それがどうかしました?」
だが、その問いかけを無視して、女はさらに訊いた。
「お手伝いさんなの?」
「まあ、そうですね」
「名前は?」
まるで警察の尋問のようだ。
「三里文也ですけど……それが何か?」
「ねえ、真下さんって何者なの?」
「何者って……あなたこそ誰なんです?」
たまらずに文也が聞き返す。
「私は溝口弘子。向こうにあるアパートに住んでるわ。それより真下さんのことよ。幽霊屋敷って呼ばれてるでしょ?」
「幽霊屋敷? どうしてですか?」
「そんなの私が知ってるわけないじゃないの。私だって最近大阪から引っ越してきたばかりだもの。うちの旦那の仕事の都合で引っ越してきたんだけどね。勝手に一人で単身赴任ってやつをすればいいのにさあ。一人じゃ嫌なんだって。仕方なく一緒についてきてあげたのよ。情けないわよねえ……っていうかぁ、どうしてあんな男と結婚しちゃったんだろうって私自身不思議でならないわ」
「はぁ……」
一気にまくし立てる弘子を唖然として見つめる。旦那の転勤、ということは結婚しているということだろう。
「だからあなたに聞けばわかるかなって思って。ねえ、どうしてあの家って幽霊屋敷って呼ばれてるの? ひょっとしてオバケとか……出るの?」
「オバケは出ないと思いますよ。確かに建てられたのは古いみたいですけど、中はちゃんと綺麗にリフォームされていますし、そんなふうには見えませんよ」
「じゃあどうして幽霊屋敷なのよ?」
「知りませんよ。誰がそんなこと言ったんですか?」
「この辺の人たちみんな。皆、あなたのこと怪しんでるわよ」
さっきの主婦たちの視線を思い出し、そういうことかと納得する。スーパーのほうへ視線を向けると、すでにあの3人は姿を消していた。
「あなたは別に普通の人みたいねえ」
弘子はジロジロと文也を見つめた。
「当たり前じゃないですか」
「じゃああの家の人たちは? 普通の人間なの? 近所の人たちともまったく付き合いがないみたいね」
「どうしてそんなに気にするんですか? あなたに何か関係があるんですか?」
「退屈なのよねえ」
「退屈?」
「うん。私、引っ越してきたばっかで周りに友達いないでしょお。無理に近所のオバサンたちに合わせて井戸端会議やってるのもつまらないしさ。なんかおもしろいことないかと思って」
「それであの家のことを?」
「そ。なんか面白そうじゃない?」
「面白そうって――」
「とりあえず立ち話もなんだからさ。ちょっとお茶でも飲みましょうよ」
キョロキョロと周りを見回す。「あ、あそこがいいわ」
「いや……でも……」
主婦の退屈しのぎに使われては堪らない。
「いいから、いいから」
弘子はそう言うと、逃げようとする文也の腕を掴んで強引に喫茶店に向かって歩き始めた。
* * *
何の特徴もない店内にクラシック音楽が流れている。
店のなかにはスーツ姿の中年の男が座ってスポーツ新聞を広げているだけで、他に客の姿は見当たらない。カウンターの奥にいる店員二人もやたら暇そうに客のほうなど気にもとめずにずっと話しこんでいる。
弘子はナポリタンを黙々と食べ、文也はコーヒーを飲みながらその姿を眺めていた。
「何見つめてんの?」
顔をあげて弘子が言った。
「すごい食欲だなぁと思って。よくこんな時間に食べる気になりますね」
「ダメなの?」
「ダメじゃありませんけど」
「だってお腹減っちゃったんだもん。しょうがないじゃないの」
口の周りを赤くして弘子が言う。「それとも一日3食しか食べちゃいけないってルールでもあるわけ?」
「いや、べつに……」
「それよりさぁ、あなたあの家で何してるわけ?」
弘子は手を伸ばして紙ナプキンで一度口を拭ってから訊いた。
「何って……バイトですよ」
言葉を選びならがら答える。
「どんなバイト?」
フォークにパスタを絡ませながら弘子はジッと文也の顔を見つめた。
「えっと……」
つい話し出しそうになるのを文也は止めた。「どうしてそんなことあなたに話さなきゃいけないんです?」
「気になるのよ」
「だからってあなたに話す理由はありません」
「いいじゃないの、そのくらい」
まるで駄々っ子のようだ。「退屈なんだもん」
「もっと他にやることないんですか?」
「悪かったわね」
ふくれっつらで弘子は言った。「でもさ。サラリーマンの主婦なんてみんなそんなもんよ。時間を持て余してるの」
「だからって人んちのことに興味持たなくても」
「だって幽霊屋敷よ。興味持たないほうが不思議なくらいでしょ」
「弘子さん、子供いないんですか?」
「やめてよ、まだそんな歳じゃないわ」
眉間に皺をよせながら言う。
「そんな歳って……結婚してるんでしょ?」
「一応ねぇ。でも、まだ遊びたいもの。子供作ったら遊べなくなちゃうもんね。それにもうすぐ別れると思うし」
弘子はあっけらかんと笑った。
「別れるって……」
「なんか合わないんだよね。真面目で良い人なんだけどさ。それだけなんだよね。一緒に暮らしてても詰まんないのよ」
「だったらどうして結婚したんですか?」
「成り行きよ、成り行き。今の旦那に会ったのが前の彼と別れた直後だったのよね。あんまり寂しかったもんで誰でも良かったのよね。付き合って3ヶ月で結婚したんだけど、すぐ嫌になっちゃった。そもそも顔が苦手なのよぉ。なんか暑苦しくって……文也君みたいな旦那だったら良かったのかもね」
弘子はそう言ってマジマジと文也の顔を見つめた。
「冗談やめてくださいよ」
「冗談じゃないわよぉ。文也君、カノジョいるの?」
「いませんよ」
「好きな人とかは?」
なぜか、一瞬、沙織の顔が頭にちらつく。
「……いや」
「いないのね?」
弘子がパッと顔を輝かす。「それじゃ何の問題もないわ」
「問題ってなんですか」
「私と付き合ってみない?」
「じょ、冗談やめてくださいよ」
「あら、私本気よ」
ケロリとした顔で弘子は言った。
「旦那さん、いるんでしょ」
「別れるって言ってるじゃないの。心配しなくても大丈夫よ」
「心配なんてしてませんよ。だいたいどうしてそんな話になるんですか? そんな話するために俺を呼んだわけじゃないでしょ?」
どうにも弘子と話をしているとペースが狂う。
「そうよ。でもさ、文也君、あの家のこと全然教えてくれないじゃないの。それとも教えてくれる気になった?」
「それはダメです」
「ケチねぇ」
「そういう問題じゃないでしょ」
弘子はハハハと笑って皿に残っていたパスタをフォークで丸めとるとガバっと口に放り込んだ。
そして、モゴモゴと口を動かしながら――
「文也君って何歳?」
「25です」
「働かないの?」
必ず聞かれることで、もう慣れている。
「サラリーマンは性に合わないんで」
「どんな仕事なら合うわけ?」
そう聞いて水をゴクリと飲む。
「どんな仕事っていうか……」
「若いんだから夢とかあるんでしょ?」
「夢?」
その瞬間、フワリと羽ばたく羽根が脳裏に広がる。
(羽根……天使の羽?)
どうして今、それが頭に浮かび上がってくるのか自分でもわからない。
「やっぱ男は夢がなきゃ。夢、ないの?」
弘子の声で我に返る。
「さあ……それを探してるんです」
「へぇ。カッコいいじゃないの」
目を細めて弘子が笑った。




