2.2
電車を降りると駅ビル内の喫茶店へと向かう。
午後1時に青島と会う約束をしてある。
青島とはあの日以来1度も会っていない。何度か電話してみたが、青島も忙しいのか電話に出ることはなかった。昨夜、珍しく青島のほうから文也に電話が入り、今日の昼に出てくるように連絡があったのだ。
日曜の昼時ということもあって、やけに人の数が多い。カップルや家族連れが手を繋ぎあって歩いている。
ふいに誰かの視線を感じて振り返る。だが、そこに見知った顔は見つけられない。いや、誰か知り合いがいたとしても、これだけの人数のなかから瞬時に見つけることなど出来ないだろう。
ふと可笑しさがこみあげてくる。
(自意識過剰だな)
きっと警察の仕事をしているという気持ちが強すぎるのだろう。
約束した店に入っていくとまだ青島はやってきていないのか、その姿を見つけることが出来ない。
店内には家族連れと若い高校生くらいのグループ。そして、店の奥にケーキを食べている革ジャンを着た30代くらいの男がいるだけだ。
仕方なく空いている席に座ろうとした時――
「ちょっい。そこのあんた」
奥の席に座りショートケーキを食べていた20代後半くらいの男が顔を上げて文也に声をかけてきた。短髪を茶色に染め、細く吊り上った目をした狐のような顔をしている。
「何ですか?」
「三里文也ってあんたか?」
どこか横暴なしゃべり口調で男は訊いた。
「ええ、そうですが……あなたは?」
すると男はこっちに来いというように左手をピラピラと振った。文也が近づいていくと――
「ま、座って」
と前の席に座るように言う。
「何です? あなた誰ですか?」
「ま、そう警戒するなや。俺は青島さんの使いで来たんやで」
コテコテの大阪弁で男が言う。
「青島さんの使い? それじゃ青島さんは?」
「今日はけえへんよ」
「どうして?」
「青島さんも忙しい人やからな。そんで俺がやってきたっちゅうわけよ。俺は日下部達也。これからは俺が青島さんとの連絡係っちゅうわけや。よろしくな」
日下部は少し口を左に曲げるような喋り方で言った。
「それじゃ……日下部さんも刑事さん?」
「ま、そういうこっちゃ」
「はぁ……」
改めて日下部を眺める。青島もそうだったが日下部はそれ以上に自分のなかのイメージしている刑事というものとかけ離れているように思える。青島がホストクラブの店長だとすると、日下部はさしずめそこで雇われているチンピラという雰囲気だ。だが、もともと警察官に知り合いがいるわけではない。それだけ小説や映画の世界と現実とは違うということだろう。
日下部はコーヒーを一口飲んでから――
「そんで? 仕事のほうはどうや?」
「退屈なもんですよ」
文也はそう答えてから近くを通ったウェイトレスにコーヒーを注文した。
「今日は大丈夫なんか?」
「何がですか?」
「何がって真下の家のことに決まっとるやないか。バイトちゅうても使用人として働いているんやろ? こんな日中に出てきていいのかっちゅう意味や」
自分から呼び出しておいて勝手なものだ。
「大丈夫みたいですよ。今朝も早くから皆で出かけて行きましたから」
「日曜日なのにか? いったいどこに行ってるんや? 今時、家族揃ってピクニックっちゅうわけやないやろ?」
「わかりません」
あっさり言うと日下部は眉間に皺をよせた。
「おいおい、そないに簡単に言うなや。いったい青島さんが何のためにあんたをあの家に送り込んだと思ってるんや?」
「そう言われてもわからないものは仕方ないじゃありませんか。働き始めたばかりの俺に対していちいち教えてくれませんよ。明美さんだって知らないのに」
「明美さん? それは誰や?」
厳しい目でジロリと睨む。
「1年前から働いてる家政婦さんです」
「家政婦か……ふぅん。そんじゃとりあえず今までわかったことを教えてもらおうか。俺のほうから青島さんに報告しといたるから」
「わかったことですか……何から話せばいいのかな」
「ほなら、まずはあの家族のことやな。家には誰がおるんや?」
日下部はポケットから手帳を取り出した。
「えっと、まずは――」
言いかけた時、ショートボブの若いウェイトレスがコーヒーを運んできて文也の前に置いた。ウェイトレスが離れていくのを待ってもう一度言いなおす。
「まずは旦那さんの真下秀光さん。奥さんの恭子さん。それと娘さんの沙織さんと小学生に通う小雪ちゃん」
「……4人か」
難しい顔をしながら手帳をメモを取る。
「それと使用人の柿沢信彦さんと家政婦の烏丸明美さんがいます。この人たちは通いで働いています。早朝から深夜まで、よく働く人たちですよ」
「そんで?」
「それで――って?」
「まさか一週間もあの屋敷で暮らしてわかったのはそれだけってことやないやろうな」
「いや……それだけっていうか……」
「ほなら他にわかったことは? 真下秀光というのは何者? 歳は? 仕事は?」
矢継ぎ早に日下部が訊く。
「さあ……」
「わからんのか?」
「……すいません」
「なんや役に立たんなぁ」
眉間に皺を寄せ、日下部は不愉快そうに手帳を閉じた。
「でも、まずはあの家族に信頼されることだって青島さんが言ってましたよ」
「確かにその通りかもしれん。けどな、一週間も一緒に暮らしておれば、調べる気がなくても少しくらいはわかるもんやろ。一つ屋根の下で暮らしてるんやで。あんた、一体奴らと何を話してるんや?」
「そんなこと言われてもほとんど顔合わせることがないんですよ。ろくに話なんて出来ませんよ」
「なんで?」
「なぜかは俺だってわかりませんよ。朝早くから出かけていって夜遅くまで帰ってこないんですから。帰ってきたらロクに子供とも話しもしないで、すぐに自分の部屋に篭ってしまうし。まったく変な家族ですよ」
「変な家族か……」
フンと鼻で笑う。「だから君に調べてもらうんやないか。どこにでもいるありふれた家族なら調査などせえへん」
どうやら文也が何の情報も得ていないことに日下部は機嫌を悪くしたらしい。
「教えてくださいよ。俺は何を調べればいいんですか?」
「あの家族のことやろ。青島さんから聞いてるんやないのか?」
「そんな漠然とした話じゃなくて……だいたいあの家族をどうして調べているか、そろそろ教えてくださいよ」
「まだダメだ」
日下部はケーキを食べ終わると、おもむろに煙草を取り出し火をつけた。
「ひどいなぁ。この前はまだ面接に受かる前だったから仕方ないですけど、もう働き始めてるんですよ。教えてくれたっていいじゃないですか」
「あかんあかん。そう簡単に秘密事項を教えるわけにはいかへんのや」
ふぅっと大きく紫煙を吐き出す。
「それじゃ俺は何を調べればいいんです? 何を捜査しているのかもわからないで調べることなんて出来ないじゃないですか」
「こっちの捜査のことは気にしなくて構わん。君はただ、あの家族がどんな家族なのか調べればええ。どないな仕事をしているのか、どこから引っ越してきたのか」
「簡単に言わないでくださいよ」
「そないなこと思ってへん。けどなぁ、それを調べるために青島さんは君を雇ったんやで。それを忘れたらいかんよ。それにな、そんな基本的なこともまともに調べられへんのやったら、事件のことなんて聞いても意味ないのと違うか」
日下部は厳しい口調で言った。
「……すいません」
文也は素直に頭を下げた。
「ほなら、もう少しあいつらのことを調べとってくれ。次はもう少しまともな報告を期待してるからな」
日下部はそう言ってポンと文也の前に封筒を差し出した。「ほれ、青島さんから預かってきた。調査費用やそうや。何かあれば報酬は追加する言うとったで」
「ありがとうございます」
「それとな――」
さらに日下部はポケットから小型デジタルカメラを取り出して文也の前に置いた。「こいつであの家に住んでるやつらの写真、撮っといてくれ」
「はい」
「じゃ、後は任せたで」
日下部はそう言って席を立った。
(任せた……か)
ずいぶん気楽なものだ。そもそも警察ならば、それくらいのことは自分たちで調べられそうなものだ。
少し冷め始めたコーヒーを一口飲んでから、日下部が置いていった封筒に手を伸ばし、そっとその中を覗く。
その中身に文也は少し驚いた。
1万円札が20枚。
思わず顔をあげて周囲を見回す。すでに日下部は店から姿を消している。
初めから二重のバイト料を期待していたとはいえ、いきなり20万もの金額をポンと渡されるとは思ってもみなかった。
それだけ青島が真下家の情報を貴重と感じているということだろう。
(いったいあの屋敷には何があるんだ?)
微かな不安と好奇心が入り混じった複雑な感情が胸のなかにわきあがっていた。




