第9章「三人の共鳴」
手がかりを求めて苦悶していたさつきの元に、それは突然届いた。
放課後の美術室。
西日が差し込む静まり返った部屋で、描きかけのスケッチを眺めていたさつきのスマホが、聞き慣れない冷たい通知音を鳴らした。
ポケットから取り出し、画面に触れる。
表示されたのは、アイコンも設定されていない、正体不明のアカウントからのダイレクトメッセージだった。
『あなたが探している答えは、ここにあるかもしれません。』
ただ一言のメッセージ。
そしてその下には、一つのSNSのURLが貼られているだけだった。
心臓がドクリと嫌な脈を打つのを感じながら、さつきは吸い寄せられるように、そのURLを震える指先でタップした。
画面が切り替わり、隣町の高校生と思われる「寺下たけし」という人物の、深夜に投稿された呟きが表示される。
「何もしていないのに切り傷が出来る……こんなの……あり得ないだろ」
息が止まった。
文字が、視界の中でぐにゃりと歪む。
投稿の内容は、まさにさつき自身が、確実に見覚えのある「あの痛み」そのものだった。手のひらの火傷のような熱さ、身に覚えのない傷。
「やっぱり、私だけじゃない……。本当に、他にも同じ目に遭ってる人がいたんだ……!」
恐怖と、それ以上に「一人ではない」という奇妙な安堵が混ざり合い、さつきの身体は粟立った。
さつきにとって彼は、全く見知らぬ人物だ。
けれど、この画面の向こうにいる相手は、自分と全く同じ地獄を生きている。
居ても立ってもいられなくなったさつきは、スマホを握りしめ、美術室を飛び出した。
向かったのは、夕暮れのグラウンドだ。
快音と掛け声が響くバックネット裏。
野球部は激しい練習の最中だったが、やがて小休止を告げる声が聞こえた。
部員たちが一斉にベンチへ戻り、スクイズボトルに手を伸ばす。
さつきはその給水のタイミングを見計らい、グラウンドの隅で汗を拭っていたさとるに近づいて声をかけた。
「宮嶋くん」
「あ、坂本さん。何かあった?こんなところまでわざわざ」
さとるが驚いたように目を丸くする。
さつきは少し声を潜め、真っ直ぐに彼の目を見つめた。
「宮嶋くん、この後、時間ある?」
「えっ」
さとるが息を詰まらせた瞬間、近くでプロテインのシェイカーを振っていた野球部の部長が、聞き逃さずににやにやとした笑みを浮かべて割り込んできた。
「おいおい宮嶋、女子からお呼び出しとは、隅に置けないなー」
「そ、そんなんじゃありませんよ……!」
さとるは顔を真っ赤にして慌てて手を振りながら、少しだけさつきを連れて部員たちから距離を置いた。
「……うん、大丈夫。もう少しで今日の練習は終わるから、校門のところで待っててくれない?終わったらすぐ行く」
「分かった。急に強引に引き止めてごめんね」
さつきは小さく頷き、グラウンドの喧騒を後にした。
三十分後、すっかり夕闇に包まれた校門の前で合流したさとるに、さつきは無言でスマホの画面を突きつけた。
さとるは眉根を寄せ、街灯の光の下で食い入るようにその画面の文字を読み込んでいく。
何度も、何度も。
その横顔がみるみるうちに強張っていくのを、さつきは固唾をのんで見つめていた。
読み終えたさとるはゆっくりと顔を上げ、鋭い視線をさつきに向けた。
「……坂本さん、これ、どうやって?」
「知らないアカウントから、ダイレクトメッセージでこのリンクだけが送られてきたの。誰からのメッセージかは分からない。でも……誰かが私たちをここに導こうとしてるんだと思う」
さとるは視線を落とし、自身の右手の掌を強く握りしめた。
「なんでなんだ……。僕たちの痛みのことも、この寺下って人の投稿のことも、全部知っている奴がいるなんて」
「でも、行くしかないよ。宮嶋くん。またいつあの痛みがくるか分からない」
さつきの強い眼差しに、さとるは小さく息を吐き、覚悟を決めたように頷いた。
「……そうだね。分かった。確かめよう」
その夜、さつきは意を決して、その「寺下たけし」のアカウントへ直接ダイレクトメッセージを送った。
『突然すみません。あなたの投稿を見ました。私も、私の友達も、あなたと全く同じ痛みに悩まされています。一度、お話できませんか』
送信してから数分後、スマホが短く震えた。
たけしからの返信だった。
『まじか?』
飾りのない短文。
けれど、そこに込められた驚きと切実さは十分に伝わってきた。
さつきは急いで文字を打ち返す。
『本当です。手のひらが急に火傷みたいに熱くなったり、身に覚えのない擦り傷や青あざが増えたりしませんか?』
『まじかよ』
少しの間を置いて、また短い文字が届く。
『いつからだ?』
『数ヶ月前からです。病院に行っても異常なしって言われました』
『俺もだ』
たけしの言葉は一言一言が短かった。
けれど、自分の身体を襲う理不尽な怪奇現象に、彼自身もずっと一人で怯え、答えに飢えていたことが、そのシンプルな応酬から痛いほど伝わってきた。
『私も、友達も同じです。一度、直接会って話しませんか』
画面の向こうの沈黙。
たけしはきっと、自分の傷をじっと見つめ、迷っているのだろう。
やがて、画面が明滅し、最後のメッセージがぽつりと届いた。
『わかった。俺も悩んでる』
ぶっきらぼうな、けれど確かな意思がそこにあった。
さつきはさとるに予定を伝え、二人は週末、隣町へと向かう約束をとりつけた。
隣町の寂れた商店街の片隅にある、年季の入ったジャズが流れる薄暗いカフェ。
その一番奥のボックス席に、寺下たけしは座っていた。
目の前に置かれた冷めきったコーヒーには目もくれず、たけしは自分の太ももをジーンズの上から強くさすっていた。
家族を支える手段を失い、精神的に追い詰められていた彼にとって、さつきとのあの真摯なやり取りは、泥沼の中で掴んだ唯一の蜘蛛の糸だった。
本当に自分と同じ奴がいるなら、この狂った痛みの理由が分かるかもしれない。
そんな、焦がれるような思いが、彼の眼の奥に揺れていた。
カラン、と店のドアにかけられたベルが、静かに鳴った。
たけしが鋭い視線を入り口へと向ける。
そこに入ってきたのは、ブレザーを着た他校の制服の男女――さつきとさとるだった。
二人が店内に足を踏み入れた、その瞬間だった。
挨拶を交わすよりも先に、三人の身体に強烈な衝撃が走った。
「っ……!」
さつきは思わず胸元を押さえ、さとるは足元をふらつかせた。
たけしもまた、座ったまま息を詰まらせてソファの背もたれに身体を打ち付けた。
痛みではない。
しかし、三人にある傷が、同じ歪なリズムで、ドクンドクンと狂ったように脈打ち始めたのだ。
目に見えない熱い電気が、三人の身体の間を火花を散らして行き来しているかのような感覚。
互いの顔を見た瞬間、三人は直感で悟った。
――同じ痛みを共有している「当事者」なのだと。




