第10章「血の呪縛」
胸を突くような鋭い共鳴の残響に耐え、さつきとさとるが恐る恐るたけしの対面の席へと腰を下ろす。
カフェの席で、ようやく言葉を交わし始めた時のことだった。
「……で、あんたたちが連絡くれた宮嶋と坂本か」
がっしりとした体格の少年、寺下たけしが低く唸るように言った。
「俺の体には、覚えのない傷が次々と現れる。仕事中だろうが何だろうが。……呪われてんだよ、俺は。あんたらの顔を見て、確信した。同じなんだろ、お前らも」
さつきとさとるは、自分たちの身に起きたこととのあまりの一致に、ただ言葉を失って視線を交わすことしかできなかった。
この大柄な少年もまた、自分たちと同じ理不尽な暴力に怯え、生活を脅かされていたのだ。
三人が重苦しい沈黙に包まれていた、まさにその時だった。
「……その答え、少しだけ僕が持っているかもしれません」
「……っ!?」
背後から突然かけられた冷ややかな声に、三人は弾かれたように振り返った。
いつの間にか、テーブルのすぐ傍らに、見覚えのある少年が立っていた。
窓の外の歩道を歩いていたはずの彼が、音もなく店内に足を踏み入れ、すぐ後ろに控えていたのだ。
「おまえ、誰だ!?」
たけしが激しく椅子を鳴らして立ち上がり、鋭い目つきで少年を睨みつける。
その全身から警戒のオーラが立ち上る。
さとるは目を見開き、信じられないものを見るような表情でその名を呼んだ。
「……藤原!おまえ、なんでここにいるんだ」
「藤原くん……!?」
さつきもまた、彼の顔を見て困惑に声を震わせた。
間違いない。
すべてを裏で仕組んだのは、クラスで最も影の薄い、この藤原りょうだったのだ。
藤原は三人の突き刺さるような強い視線を少しだけ避けるように小さく会釈すると、感情の起伏がないぎこちない声で言葉を続けた。
「……驚かせてすみません。僕が送った情報を信じて、こうして集まってくださって……ありがとうございます」
「情報って……あのDM、おまえが送ったのか」
さとるが低く詰問する。
藤原は肯定するように小さく頷き、空いているボックス席の端に視線を落とした。
「隣、いいでしょうか」
三人が呆然と見守る中、藤原は静かに席に着いた。
周囲のジャズの音が、急に遠ざかったような錯覚に陥る。
「僕の実家、ある場所の古い神社を継いでいる家系なんです」
藤原は、淡々と語り始めた。
「蔵の奥にある、一般には公開されていない古い記録を読んだんですけど……そこには、このあたりに伝わる、ある恐ろしい『呪い』のことが記されていました」
「呪い……?」
さつきの呟きに、藤原は少しだけ表情を曇らせ、声を潜めた。
「はい。かつて、村上という家と、彼らに仕えた三つの家があったそうです。けれど、ある戦乱の最中、彼らは非業の死を遂げた……。その際、死にきれなかった強い怨念が、形を変えて、今も子孫の肉体にまとわりついている……というのが、僕の家に伝わる話です」
「それが、俺たちのこの痛みの正体だって言うのかよ。ふざけんじゃねえぞ」
たけしがテーブルに身を乗り出し、藤原の胸ぐらを掴まんばかりに凄む。
だが、藤原は怯える風もなく、沈痛な面持ちのまま静かに頷いた。
「借くには。記録には、主君の苦痛を家臣たちが分かち合い、永遠にその苦しみを引き継がされる……逃れることのできない『血の呪縛』だと書かれていました。宮嶋さん、坂本さん、そして寺下さん。あなたたちの姓は、その古い記録に記された、呪いを受けた家臣たちの姓と、一致しています」
「ふざけんなよ、そんなの……。俺が何をしたって言うんだよ」
たけしが力なく椅子に崩れ落ち、逆上する気力すら奪われて絶句した。
さとるは自分の掌の傷を強く握りしめ、言葉を失っている。
前世の、あるいは家系の因縁。
そんなオカルト染みた話、到底信じられるはずがない。
しかし、現に今も、熱く脈打っているのだ。
この事実に勝る証明はなかった。
「……あと一人」
藤原は三人の顔を静かに見回し、最も重い言葉を口にした。
「村上という名の、その主君の血を継ぐ人がいるはずです。その人に会えば、この呪いについても、もっと何かわかるかもしれません」
藤原の言葉は、三人の心に逃れられない重い楔を打ち込んだ。
それは希望の光などではなく、抗いようのない負の連鎖としての「宿命」の宣告だった。
もしその「村上」という人物に出会えば、自分たちの体に刻まれたこの痛みの意味がすべて解き明かされ、解放されるのかもしれない。
けれど同時に、それは二度と、あの平穏で退屈だった元の日常には戻れない「何か」を認めてしまうことにならないか。
未知の四人目に対する拭いきれない興味と、得体の知れない宿命に絡め取られていくことへの底知れぬ恐怖。
三人は、それぞれの掌や体に走る疼きを、ただじっと見つめることしかできなかった。
重苦しい沈黙の中で、誰からともなく、まだ見ぬ主君――村上が待っているであろう、底知れない暗闇の先へと、吸い寄せられるように視線を向けた。
カフェに漂う重苦しい「呪い」の予感。
沈黙を破ったのは、藤原が制服のポケットから取り出した、数枚のプリントアウトされたリストだった。
「……実は、一ヶ月ほど前から、少し個人的に調べ物をしていました」
藤原は、どこか申し訳なさそうな、けれど確信に満ちた口調で切り出した。
「一ヶ月前?痛みが出始めたころだ。」
さとるの問いに、藤原は静かに頷いた。
「僕は、四人とは違いますが、何か感じるものがあるんです。だから、他校の友人たちにも協力してもらって、この地域とその周辺にいる『村上』という苗字の生徒を、一人ずつ調べていました」
藤原がテーブルに広げたのは、SNSのアカウント、所属する部活動、趣味に至るまで、執拗なまでに調査されたデータだった。
それを見た寺下たけしが、顔を引きつらせて藤原を凝視した。
「おい……お前、やばいやつだな。」
たけしの率直な言葉に、藤原は少しも動じることなく、むしろ屈託のない笑顔を浮かべて返した。
「……あはは、すみません。でも、こういう調べ物、昔から好きなんです。あ、安心してください。悪用はしませんから」
そのあまりに純粋な笑顔は、かえって得体の知れない底知れなさを感じさせた。
「……そんな前から、私たちのことを」
さつきが戦慄を覚えたのは、その調査の徹底ぶりだった。
藤原は一人で、彼らが出会うための「網」をずっと前から張っていたのだ。
「そして、ある不思議な投稿を繰り返しているアカウントと本人をようやく特定できました」
「藤原、よく探してくれた。誰なんだ?」
さとるだけは前のめりに聞き入っていた。
藤原がスマホの画面を操作し、一人の少女のアカウントを表示させた。
ユーザー名は『__k.a.g.u.r.a__』。
投稿されているのは、どれも一見すると何気ない風景写真ばかりだった。
けれど、その投稿は異様だった。
数分おき、時には秒単位で、短文が連なっている。
『今日も、誰かの泣き声が心臓に響く』
『焼けるように熱い。忘れてはいけない痛みだ』
『文字にしておかないと。嘘に塗り替えられてしまう気がする』
『私は何か大事なことを知っていたはずなのに。思い出せない。怖い。』
「……なんだこれ」
たけしが眉をひそめる。
「ただの病み垢じゃねえな。なんか、必死すぎねえか?」
藤原が静かに頷く。
「ええ。彼女は毎晩、強迫観念に駆られるように、自分の感覚や痛みを詳細に『記録』しています。まるで、そうしないと自分の存在ごと何かが消滅してしまうと恐れているかのように」
「記録……」
藤原が口を開く。
「村上めい……」
藤原がその名前を読み上げた瞬間、三人の心臓が共鳴するように激しく拍動した。
「この投稿の主こそが、この連鎖の中心にいる人物……」
「つまり、俺たちはそいつを守るために生まれてきたってことか?」
たけしは、不服そうに唇を噛んだ。
「冗談じゃねえ。なんで会ったこともねえ奴が俺の上なんだ。俺は誰かに指図されたり、誰かのために痛みを背負わされたりするのは、柄じゃねえんだよ」
剛健な体格を持ち、自由に生きてきたたけしにとって、「主」という存在を受け入れることは、なによりも納得がいかないことだった。
「……彼女もまた、一人で耐えきれないほどの苦痛の中にいるようです。ですが、僕ができることはここまでです。痛みも悩みも分かりません。……あとは、あなたたちの意志で、彼女に会いに行ってください」
藤原の周到な調査によって提示された、最後の一人。
――三人はそれぞれの葛藤を抱えながら、自分たちの運命の核心部へと向かう決意を固めた。




