第31章「修羅の道」
──思い返せば、血と泥に塗れた道だった。
十六歳の秀綱は、多くの家臣や家老を従える有力武将の跡取りであり、すでに家督を継いだ身だった。
当時の月光国は、山々に囲まれた小さな山城の国に過ぎない。
他ならぬ秀綱こそが、のちにこの小さな山国を、現在の月光国へと創り上げた一人であった。
「嫌だ!死なないでくれ父上!嘘だろ、目を開けてくれ、父上ぇーーっ!」
暗い灯火の寝所で、十六歳の秀綱は、血の海に伏した父親の亡骸に取りすがって喉が裂けるほどに泣き崩れていた。
誰よりも尊敬していた父親が暗殺された。
下手人は、身内の重臣だった。
『腐ってる。どいつもこいつも、馬鹿げている』
こんな小さな国の中で、身内同士が血を流し合って何になる。
もっと国を大きくし、まともな世に変えなければ、誰も救われない。
そう悟った秀綱は、坂本家の家督も、地位も家臣もすべてを捨て、ひとり城を飛び出した。
町に出ては喧嘩に明け暮れ、腕っぷしだけで、ろくでなしの群れを、鬼のごとき執念と凄みで叩き伏せていった。
殴り倒した相手の胸ぐらを掴み、秀綱はいつも、問いを投げかけた。
『おい。お前、何が欲しい?』
『……あ?なんも求めちゃいねえよ』
『夢がねえなぁ、ついてきな』
そうやって、荒くれ者たちを、力ずくで仲間に引きずり込んでいった。
この頃の彼らは、ただの徒党として勝手に各地の戦へ首を突っ込んでは、無軌道に暴れ回るだけの日々を送っていた。
そして、十八歳のあの夜。
博徒に元侍、親に見捨てられた半端者。
行き場のないろくでなし約三十名を集め、「秀羅組」の旗を掲げた。
その夜の酒宴で、濁った酒樽を叩き、秀羅組の若い男が言った。
『お頭のやり方、気が遠くなるぜ。坂本家の兵は二千もいるんだろ、俺ならそいつらを使い倒すぜ』
秀綱は、手中にあった安酒をぐいと飲み干し、空の器を床へと無造作に転がした。
器がゴトゴトと音を立てて止まる中、ニヤリと嗤って告げる。
『俺らの居場所は、俺らで作る』
静まり返る闇の中、男たちは一斉に吹き出した。
『……へっ、だせえ夢だな、お頭』
『ん?もう一回泣かすか?』
秀綱がおどると、男はきまり悪そうに頭を掻いた。
『うちの頭は鬼か、めんどくせえな』
だせえと笑った奴らが、命を懸けてくれた。
だから秀綱の足は、止まらなかった。
戦に飛び込んでからは苦難の連続だった。
毎回、死の境界線を彷徨った。
そんな中、若かりし頃の宮嶋慈恩に出会った。
慈恩は、当主を失い、内紛の続く、坂本家の再興を強く願っていた。
冷徹な眼差しのまま、慈恩は秀綱に向かって言い放った。
『坂本家をこのまま腐らせる気か。立て直せるのはお主しかおらんのだ』
『うるせえ。説教なら他所でやりな』
最初はやたらと腹が立ったが、なぜか不思議と馬が合った。
この泥臭い悪党の集まりのままでは、大望には届かない。
秀綱はついに腹をくくると、すべてを投げ打って飛び出したはずの坂本家へと、再び足を踏み入れた。
城の奥には、父親を暗殺し、まんまと当主の座に収まっていた男がふんぞり返っていた。
「秀綱殿!?た、たくましゅうなられましたな!」
狼狽して叫ぶ男に、秀綱は冷え切った視線を向けた。
「ちょっと留守にしただけだ。帰ってきた。今日から下りてよいぞ」
あまりに淡々とした要求に、男は顔をこわばらせて抵抗した。
「な、秀綱殿、何をふざけたことを!」
「大真面目だぞ、なぜお主が当主なのだ」
「そ、それは……」
言葉に詰まる男に、秀綱はすかさず言葉を重ねた。
「親父を殺してでも座りたかった椅子の座り心地はどうだ。もう満足だろう」
「おのれ……!おれがこの坂本家のため、どれだけ苦労して動いてきたか!」
男がなおも声を荒らげると、秀綱の眼光が狂気を帯びて鋭くなった。
「そうか。話し合いは嫌いだ」
部屋の空気が一瞬で凍りつくような凄みを利かせ、秀綱は男を見下ろした。
「お主に国を動かすだけの大義があるのであれば、聞いてやろう。言ってみろ」
大義など、あるはずがなかった。
己の私欲と保身のために父親を殺した男の口から、紡げる言葉など残されているはずもない。
男はただ、言い訳を探して唇を震わせるだけで、何も言葉が出てこなかった。
「出ていけ、二度とその面見せるな」
秀綱の一言で、すべては終了した。
主を失いかけていた坂本家の歴史が、再び秀綱という本物の器を得て脈打ち始めた。
父を慕っていたかつての老臣や、離散していた有力な家臣たちも、秀綱の凄まじい執念と器量に平伏し、次々とその配下に復帰していった。
秀羅組の荒くれ者たちの中へ、坂本家が誇る、厳しい訓練を積んだ有力な正規兵たちを強引に叩き込んだのだ。
その軍勢は二千人を超える大部隊へと膨れ上がっていた。
「待たせたな、慈恩」
秀綱は、地平を埋め尽くす二千の兵を背に配し、不敵に笑った。
彼らの獰猛な面構えを一瞥した慈恩が、鼻を鳴らしてあっさりと言い放つ。
『秀羅組か、しっくりこぬ。今日から赤鬼隊だ』
『あ?勝手に名前を変えるな、俺が付けた名だぞ』
『お主の名を背負ったまま、国が守れるか』
『……ちっ』
それが、赤鬼隊の始まりだった。
彼らがそこから歩んだのは、修羅の道だった。
天霧をはじめとする周辺国との、息が詰まるような死線を幾度も幾度もくぐり抜けた。
血を流して戦い、汗を流して土を耕し、文字通り国を基盤から一つずつ作り上げて、今の月光国があるのだ。
そして、この世に生まれてきてくれた、たった一人の我が子──鈴音。
あいつは赤ん坊のころから、この鈴の音がたまらなく好きだった。
泣きじゃくるときも、この音一つで笑みを弾けさせた。
あいつが笑うとき、そこにはいつもこの音があった。
だからこそ、この鈴を肌身離さず持ち歩いている。
──すまねえ、鈴音……帰る約束は、守れそうにねえ。




