第22章「鏡花水月」
連日押し寄せる敵兵との激戦により、入り乱れるその戦場には、大人たちに負けない輝きを放つ、もう一つの「色」があった。
泥と血にまみれた戦場を、一陣の「青い霧」が音もなく駆け抜ける。
それは、宮嶋軍の重装備とも、坂本軍の赤備えとも異なる、青鈍色の軽装をまとった小隊だった。
総勢四十八名。
彼らは巨大な盾も、長い槍も持たない。
身軽な装束に、小太刀や短剣といった短い武器を携えているだけだ。
「な、なんだこいつらは!?」
天霧軍の兵士が戸惑いの声を上げる。
青い影たちは、決して一人では戦わない。
必ず二人一組で背中を預け合い、回転するように動きながら敵陣の隙間へ滑り込んでいく。
敵が大剣を振り回せば、一人がそれを受け流し、もう一人が死角から関節を突く。
水が岩を避けて流れるように、彼らは敵の力に逆らわず、その勢いを利用して制圧していくのだ。
遊撃部隊『水鏡隊』。
力が弱く、重い鎧を着られない若者たちが、仲間を守るために編み出した、月光の国独自の特殊部隊である。
その先頭に立ち、一際鮮烈な輝きを放つ二つの若き魂があった。
「千早!右から槍隊が来るわ!」
「分かった!鈴音は左へ!」
部隊を指揮しながら最前線で背中合わせに戦うのは、慈恩の息子・千早と、秀綱の娘・鈴音だ。
敵の屈強な兵士が、巨大な戦斧を振りかざして千早に迫る。
真っ向から受ければ、千早の華奢な腕など簡単に折れてしまうだろう。
だが、千早は動じない。
斧が振り下ろされる瞬間、彼はまるで水面を漂う木の葉のように、ふわりと体を沈めた。
(……見えた)
千早の刀が、斧の柄に優しく触れる。
カチリ。
最小限の力で軌道を数センチずらすだけで、凶器は千早の髪をかすめて地面に激突した。
敵が体勢を崩したその隙を、千早は見逃さない。
手首をしならせ、防御の隙間へ切っ先を滑り込ませる。
「水鏡流……『水月』!!」
千早の気合と共に、流れるような刺突が敵の喉元を貫いた。
「くっ……!」
死角から別の敵兵が千早に斬りかかった。
だが、千早は振り返りもしない。
なぜなら、彼の背中には「もう一人の自分」がいるからだ。
キンッ!
千早の背後から、鈴音の短剣が伸び、敵の刃を弾き返した。
鈴音の獲物は、千早よりもさらに間合いの短い「短剣」。
だが、彼女にとってその短さはハンデではない。
敵の懐へ飛び込むための翼だ。
「そこっ!」
鈴音が踏み込む。
敵兵が槍を突き出すが、鈴音の姿が陽炎のように揺らぐ。
敵の穂先が鈴音の体を捉えた――かに見えた瞬間、彼女は回転しながらその槍をすり抜けていた。
敵が「斬った」と思ったのは、鏡に映った幻影。
実体はすでに、敵の懐深くに潜り込んでいる。
「水鏡流……『鏡花』!!」
鈴音の体がコマのように回転し、遠心力を乗せた逆袈裟の一撃が、敵の脇の隙間を切り裂いた。
「が、ぁ……」
敵兵が崩れ落ちる。
二人の技が合わさる時、それは戦場に咲く「鏡花水月」の舞となる。
触れることも、逃れることもできない、美しくも残酷な死の演舞だ。
「きゃぁ……!」
ふと、鈴音の耳に、少女の短い悲鳴が届いた。
「……小夜!?」
視界の隅、乱戦の中で、最年少の隊員・小夜が体勢を崩しているのが見えた。
吹き矢の装填一瞬の隙を突かれ、敵兵に背後を取られている。
「死ねぇ!」
敵兵が剣を振り上げる。
小夜がギュッと目を瞑った、その刹那。
キンッ!!
間に割って入った鈴音の短剣が、敵の剣を火花と共に弾き返していた。
「あ、姉様……!」
小夜が涙目で顔を上げる。
鈴音は敵を蹴り飛ばしながら、小夜の肩をポンと叩いた。
「大丈夫よ。小夜は少し離れたところから援護して」
「……はいっ!」
小夜が表情を引き締め、再び吹き矢を構える。
「へへっ、こっちも片付いたぜ!あと少しですよ、千早さん!」
右翼から敵をなぎ倒して合流したのは、二丁の逆手鎌を持つ佐助だ。
「もう腕がパンパンだよぉ……帰って飯食いたい……」
その隣で、大柄な源太が泣き言を言いながらも、旋棍で敵の突撃を受け止めている。
「ああ、このまま敵の包囲を食い破る!源太、佐助、合わせろ!」
千早が叫ぶ。
「「応!!」」
源太が盾となって敵を受け止め、その背中を踏み台にして佐助が飛び、敵の視界を撹乱する。
その隙を縫って、千早と鈴音が致命の一撃を放つ。
四人の息の合った連携は、彼らを見た目で侮る敵兵たちを次々と叩き落としていく。
「ええい、おのれ!ちょこまかと五月蝿い鼠どもめ!」
業を煮やした敵の前線指揮官が、怒声を上げて飛び出してきた。
身の丈ほどもある大剣を振り回す、手練れの武人だ。
「まとめてミンチにしてくれるわ!」
千早と鈴音が同時に構えようとした、その時。
二人の間を、ぬるりと「捉えどころのない水流」が通り抜けた。
「……あんまりでかい声を出すなよ。頭に響く」
眠たげな半眼の優男――水鏡隊隊長、鳴海静流。
彼は敵将の大剣を前にしても、あくびを噛み殺しながら、腰の帯に手をかけただけだった。
チャリ……と奇妙な金属音がして、彼の手から銀色の長い帯が垂れ下がった。
「帯だと?なめているのか!」
敵将が嘲笑い、渾身の力で大剣を振り下ろす。
ゴゥンッ!
岩をも砕く破壊的な一撃。
静流は手首を小さく振ると、銀の帯が生き物のように鎌首をもたげた。
それは帯ではない。
極限まで薄く鍛えられた軟剣――名刀『水紋』である。
「――水に、形はねぇよ」
ヒュルッ。
振り下ろされた大剣の刃に、しなった刀身が瞬時に巻き付く。
衝突音はない。
まるで水が岩を包み込むような静けさだった。
静流は、大剣の膨大な運動エネルギーを、軟剣一本で受け取ると、その流れに逆らわず、ふわリと半歩下がって「道」を開けた。
そして、手首を軽く返す。
大剣の重さと勢いが、『水紋』を通じて静流のコントロール下に落ちる。
グルンッ。
敵将の視界が回った。
自分の全力の剣撃が、静流という「鏡」に反射し、自分自身を襲う遠心力へと変換されたのだ。
「な、うわあぁぁっ!?」
敵将の体が、自分の剣に引きずられるように宙を舞う。
静流は、その回転の中心で、舞を踊るように優雅に刀を引いた。
「……『渦』」
空中で無防備になった敵将の首に、切っ先が吸い込まれるように巻き付き――
ザンッ……!!
静流が刀を引くと同時に、生々しい斬撃音が響いた。
敵将はきりもみ回転しながら地面に叩きつけられたが、その時には既にこと切れていた。
首筋から鮮血が噴き出し、その巨体が赤く染まっていく。即死だった。
静流が手首を振ると、刀身はシュルシュルと解け、再び帯のように彼の腰へと収まった。
「……永遠に、眠ってな」
一瞬の静寂。
そして、敵兵たちから悲鳴が上がった。
「た、隊長が斬られた!?」
「あの一瞬で首を……!?なんだあいつは!」
敵軍の戦意が完全に折れたのを見届けると、静流は懐から手拭いを取り出し、汚れてもいない手を拭いながら、低く通る声で告げた。
「そろそろ潮時だ」
その言葉が合図だった。
「総員、撤収!」
千早の号令と共に、水鏡隊の面々は一斉に後退を開始する。
深追いはしない。
戦場の「淀み」を解消し、流れを変えることこそが彼らの役目。
青い霧たちは、朝霧のように戦場の喧騒から滲んで消え、またたく間に森の奥へと姿を消していった。




