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第18章「隠密の告白」

 美術室で一人、筆を洗っていたさつきは、窓の外に伸びる長い影に気づいた。

 校門のそば、夕闇に溶け込むようにして佇んでいる男子生徒。

 藤原りょうだ。

 さつきは筆を置き、急いで昇降口へと向かった。

 彼が誰かを待っているなら、それは間違いなく自分だという確信があった。

「……藤原くん」

 さつきが声をかけると、藤原はゆっくりと振り返り、いつもの丁寧な、しかし底の知れない笑みを浮かべた。

「坂本さん。絵の進み具合はいかがですか?」

「……ううん。今日は、絵の話をしたいんじゃないの」

 さつきは、藤原の目を真っ直ぐに見つめた。

 屋上で会った時。

 たけしやめいを引き合わせた時。

 そして、あの森で絶望的な歴史を見た時。

「いつも、大事な場面には藤原くんがいた。あなたは全部知っているんでしょ?私たちが『魂の泉』であんな恐ろしい光景を見ることも、分かっていたはずよ」

 藤原は否定せず、静かに微笑んでいる。

 さつきは一歩踏み出した。

 彼女の中には、さとるのような論理的な根拠はない。

 あるのは、あの時電話でさとるに伝えた「なんとなく」という、しかし揺るぎない直感だけだ。

「どうして、あの時助けてくれなかったの?私たち、本当に辛かった。自分の先祖が裏切り者で、卑怯者だなんて……」

 さつきの声が震える。

「でもね、私、どうしても信じられないの。あの映像も、古文書の記録も……全部、誰かが作った『嘘の歴史』なんじゃないかって。私の体が感じるこの痛みは、あんなドロドロした憎しみじゃないもの」

 さつきの言葉に、藤原の瞳から笑みが消えた。

 彼は感心したように小さく息を吐き、ポツリと言った。

「…泉に居たことも知っていましたか……さすがですね。宮嶋くんは論理で悩み、寺下くんは感情で怒りましたが、あなただけが『本質』を感じ取っている」

「……じゃあ、やっぱりあれは嘘なのね!?」

 さつきが希望を見出して問いかける。

 しかし、藤原は静かに首を横に振った。

「いいえ。残念ながら、あなた方が見たものは『本当の歴史』です」

 さつきの表情が凍りつく。

「裏切りも、殺し合いも、逃亡も。あの地で実際に起きた『事実』として記録されています。そこから目を逸らすことはできません」

「そんな……じゃあ、やっぱり私たちは……」


「……ですが」


 藤原は強く言葉を遮り、さつきとの距離を詰めた。

 その表情は、これまで見せたことのない、切実で真剣なものだった。

「『事実』と『真実』は違います。……坂本さん。僕はあなたにだけ、本当のことを話しましょう」

「僕の家は……代々、宮嶋家に仕える『隠密』でした」

「隠密……?宮嶋くんに?」

「はい。宮嶋くんの先祖、宮嶋家の当主からある『密命』を受け、歴史の裏側で真実を守り続けてきた一族です」

 藤原の告白に、さつきは息を呑んだ。

 宮嶋家と坂本家は敵対していたはずだ。

 その宮嶋家に仕えていた彼が、なぜ今、自分や、めいを引き合わせたのか。

「あの絶望的な歴史には、裏があります。しかし、その裏側に辿り着くには、一度あの『表層の絶望』を直視し、受け入れなければならなかった。……あなた方の魂を、極限まで共鳴させるために」

 藤原は、祈るようにさつきを見つめた。

「残酷なことをした自覚はあります。恨まれても仕方がない。……ですが、この先の『真実』に辿り着くためには、あなた方の絆が必要です」

「真実……」

「はい。呪いではない、本当の物語が」

 藤原は深く頭を下げた。

「どうか、僕を信じてください。もう一度、あの『魂の泉』へ。今度は僕を含めた五人で。……そこで全てが終わります」

 さつきは、目の前で頭を下げる「影」を見つめた。

 彼は一人で、誰にも言えない秘密を守っていたのだ。

 その孤独は、めいの孤独とも似ている気がした。

 私の直感は、彼を「敵ではない」と告げている。

「……分かった」

 さつきは静かに頷いた。

「信じるよ、藤原くん。宮嶋くんにも、私から話す。めいちゃんも、寺下くんも、きっと来てくれる」

「坂本さん……」

「行きましょう。五人で。……私たちのご先祖様が、本当に伝えたかったことを聞きに」

 夕闇の中、二人は約束を交わした。


 ――それは、偽りの歴史という分厚い殻を破り、その奥に眠る真実へと手を伸ばす、最後の冒険の始まりだった。

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