第15章「漆黒の泉」
ジリジリと容赦なく肌を焼く真夏の太陽が降り注ぐ中、四人は村上めいの導きによって、それぞれの祖先ゆかりの地へと向かっていた。
冷房の効きが悪いローカル電車を三本乗り継ぎ、さらに一日数本しか運行していない、老朽化した路線バスに揺られること一時間。
終点に指定された寂れたバス停で降り立った時には、周囲から完全に人の気配は消え失せていた。
目の前に広がるのは、生い茂る深い緑の山々が壁のように迫る、まさに地図から「忘れ去られた場所」の入り口だった。
そこからは、もう文明の利器は頼れない。
徒歩での移動だった。
ひび割れた国道から外れ、鬱蒼とした森の中へと続く細い砂利道を、四人は額の汗を拭いながら歩き始めた。
アスファルトの照り返しはないものの、木々が遮るせいで風が通らず、森の中は蒸し風呂のような熱気が立ち込めている。
先頭を歩くめいの細い背中を追いながら、さとるだけは、周囲の流れる景色を目にするたびに、背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。
心臓の鼓動が、歩みを進めるごとに不自然なほど速くなっていく。
(……知っている。俺は、この道を知っているぞ)
それは三ヶ月前、まだ春が始まったばかりの頃の記憶だ。
遠征試合の会場への送迎の途中、父の運転する車の助手席に乗っていた時の景色が、パズルのピースのように次々と脳内で合致していく。
「現場の視察に、ちょっとだけ寄らせてくれ」
そう言って、父が険しい表情でハンドルを切ったのが、まさにこの森へと続く砂利道だったのだ。
歩くこと数十分。
行く手を阻むように生い茂っていた木々が唐突に開け、彼らの目の前に広がったのは、不気味なほど静まり返った廃墟の集落だった。
立ち並ぶ家々の窓はすべて腐食した板で厳重に打ち付けられ、色褪せたモルタルの壁には蜘蛛の巣のような無数のひび割れが走っている。
道路だったはずのアスファルトは無残に剥がれ落ち、シダ植物や雑草に完全に飲み込まれようとしていた。
配置された看板の、施工業者の欄。
そこには、さとるが幼い頃から自宅やパンフレットで嫌というほど見慣れてきた会社のロゴマークと、誇らしげな『宮嶋建設』の文字が、はっきりと黒々と記されていた。
「……嘘だろ」
さとるはその場に釘付けになったように立ち尽くした。
約三ヶ月前、父はこの場所の視察に来ていた。
工程の確認。
そして、まさにあの時期からだ。
さとるやさつき、たけし、そしてめいの身体に、あの原因不明の不条理な「痛み」が走り始めたのは。
「この国があった場所、来月から本格的に取り壊されて、すべてダムの底に沈むことになったの」
めいが、今にも消え入りそうな微かな声で呟いた。
さとるの中で、バラバラだったすべての謎が、音を立てて噛み合った。
(そうか……。俺たちが偶然選ばれたんじゃない。この土地そのものが、消される直前に叫んでるんだ)
三ヶ月前、さとるは父と共にこの地を踏んだ。
その瞬間、歴史からの完全な消滅を悟った先祖たちの魂が、強烈な反発と「共鳴」を引き起こしたのだ。
数百年もの間、閉じ込められていた歴史ごと水底に沈められてしまう前に、何かを必死に伝えたくて。
「……俺の親父の会社だ」
さとるが喉の奥から絞り出すように言うと、前を歩いていた三人が驚いたように一斉に振り返った。
「この工事をすべて請け負っているのは、俺の親父の会社なんだ。……だから、この最悪な共鳴のきっかけを作ったのは、他の誰でもない、俺だったんだ」
さとるの拳が、やり場のない罪悪感と怒りで小刻みに震える。
しかし、隣にいたさつきは、迷うことなくそっとその硬く握られた拳に、自らの温かい手を重ねた。
「違うよ、さとる。きっかけなんて、そんな悲しい言い方しないで」
さつきの真っ直ぐな瞳が、さとるの動揺を受け止める。
「きっと、ご先祖さまたちが、あなたを呼んでくれたんだよ。『歴史が消える前に、間に合ってよかった』って、そう言って待っててくれたんだよ」
さつきの放った慈愛に満ちた言葉に、魂の救いを得るようにして、さとるはゆっくりと顔を上げた。
胸の奥の強張りが、少しだけ解ける。
「……行こう。ここが完全に無くなってしまう前に、全部見つけ出さないと」
めいの先導で、彼らはさらに集落の奥へと歩みを進めた。
草に埋もれたかつての城下町を思わせる立派な石畳の跡や、朽ち果てた武家屋敷の土壁の残骸。
それらはどれも今にも崩れ落ちそうで、まるで四人の到着を、本当にギリギリのところで踏みとどまって待っていたかのようだった。
「うおおおっ!?」
その時、最後尾を歩いていたたけしが、突然その体格に見合わない情けない悲鳴を上げて足を止めた。
「どうしたの、寺下くん?」
さつきが驚いて振り返ると、たけしは切り立った山道から眼下に広がる深い谷底――かつて広大な集落の中心があったであろう奈落――を覗き込んだまま、顔を完全に真っ青にさせて、道端の巨大な岩にしがみついていた。
「……だ、だめだ。俺、高いとこだけはまじで、無理なんだよ……っ」
「その体の大きさで、意外な弱点ね」
めいが驚いたように、丸い目をさらに丸くする。
「うるせえ……腕っぷしと高さの恐怖は別腹なんだよ!なんかこう、尻のあたりがゾワゾワして、谷底に吸い込まれそうになるんだって……っ」
大柄な身体を丸めるようにして、岩にへばりついて小刻みに震えるたけしの姿に、さとるは極限の緊張感の中で思わず苦笑を漏らし、その太い腕に向かって手を差し出した。
「大丈夫だ、俺たちの真ん中を歩けば下は見えない。怖くないよ」
「と、とにかく、早く平らなとこに行こうぜ、頼むから!」
崩れかけた城跡の門を過ぎ、さらに密度の増した森の最奥へと進むと、ひときわ大きく狂おしいほどに茂る巨木たちに囲まれた、奇妙に静まり返った場所へとたどり着いた。
そこだけが、周囲の真夏の喧騒から隔離されたように、肌寒いほどの冷気が足元から這い上がってくる。
そこは、かつてこの閉ざされた国のかけがえのない水源であったであろう、円形の小さな広場だった。
広場の中央には、一本の古びた石碑が、傾いたままひっそりと佇んでいる。
苔にまみれた表面の文字を指先でなぞり、辛うじて読み取れたのは、『たましひのいづみ』という名だった。
しかし、その石碑の奥に広がる泉の水は、美しき水源などという言葉からは程遠いものだった。
まるで数百年分の積年の怨念と絶望をすべて吸い込んだかのように、底無しの黒色に淀み、触れることすら躊躇われるほどの、禍々しく異様なオーラを放っていた。
水面は鏡としての機能を失っており、周囲を囲む鮮やかな木々の緑も、真夏の青い空の光も、一切映し出そうとしない。
ただ、光を拒絶する底知れぬ暗闇だけが、じっとそこに対峙する四人の瞳を見つめ返しているようだった。
吸い寄せられるように、四人はその不気味な泉のほとりへと歩み寄り、古びた、亀裂の入った石板の前に自然と横一列に並んだ。
そして、何気なくその漆黒の水面を覗き込んだ瞬間――四人は同時に、息を呑んで硬直した。
周囲の景色を何一つ映さないはずの黒い淀みの底から、泥水が湧き上がるようにして、自分たちの「顔」だけが不気味に浮かび上がってきたのだ。
しかし、それは見慣れた自分たちの顔ではなかった。
水面に映るさとるの顔は、冷酷な光を宿した目で、隣のさつきを低く睨みつけるような「怨敵」の表情に歪んでいた。
めいの顔は、周囲のすべてを拒絶し、怯えながら闇へと逃げ去ろうとする「臆病な裏切り者」の相を呈している。
そしてたけしの顔は、形相を凄まじく変え、かつての仲間を無慈悲に虐殺の渦へと叩き込もうとする「狂気の加害者」の顔だった。
まるで、それぞれが秘めていた、そして古文書に刻まれていた『醜悪な血の因縁』そのものが、水面を鏡にしてドロリと具現化したかのような最悪の光景。
「……っ!」
さとるも、めいも、たけしも、自らの血筋が突きつけてくるその醜い表情に耐えかね、ゾッとして思わず水面から目を背けた。
お互いの顔を見るのすら、一瞬恐ろしくなるほどの嫌悪感がその場を支配する。
だが、めいだけは目を背けなかった。
彼女は自分の恐怖を必死に堪えながら、その淀んだ水面を真っ直ぐに見つめ、そっと細い指先で黒い水面に触れた。
小さな波紋が広がり、映し出されていた醜い顔たちが、一瞬にして消えていく。
「……これは、私たちの顔じゃない」
めいは静かに、けれど毅然とした声で言った。
「私は、今ここにいるみんなの顔を知ってる。古い記録が私たちをどう引き裂こうとしたって、絶対に惑わされない」
めいの強い言葉に弾かれるように、三人も再び前を向いた。
間違いなく、ここにある。
自分たちの身体を苛み続けてきた痛みの根源と、この呪われた土地が、ダムの底に沈む前に最後に伝えたかった「本当の歴史」のすべてが、この石板の奥に眠っている。
――自分たちの痛みの根源と、この土地が最後に伝えたかった「本当の歴史」が。




