第12章「魂の再会」
藤原が特定した高校の校門前で、さつき、さとる、たけしの三人は放課後のチャイムが鳴るのを待っていた。
校舎の窓から漏れるブラスバンドの不協和音や、運動部の威勢のいい掛け声が、夕暮れの重い空気の中に溶けていく。
やがて、長い授業の終わりを告げるけたたましいチャイムが鳴り響くと、正面玄関から色とりどりのスクールバッグを肩にかけた生徒たちが、堰を切ったように溢れ出てきた。
「おい、本当にこの学校なんだろうな?」
たけしはガードレールに寄りかかったまま、何度も貧乏揺すりを繰り返していた。
下校していく生徒たちの賑やかな笑い声が、今の彼の耳にはひどく耳障りに響く。
一刻も早く答えが知りたいという熱量が先走るあまり、たけしはついに我慢できなくなったように歩き出し、校門から出てきた女子生徒のグループの前に割り込んだ。
「なぁ、ちょっといいか。二年の村上めいって知ってるか?」
大柄な体格の男に突然行く手を阻まれ、女子生徒たちは一瞬で笑顔を消し、怯えたように互いの身を寄せ合った。
「え……いや、知らないです……」
「あ?知らねえ?…ちっ」
舌打ちをしてすぐに次の生徒へ視線を移そうとするたけしの制服の袖を、さつきが慌てて強い力で引っ張った。
周囲の下校生たちが、明らかに異物を見るような目でこちらを避けて歩き始めている。
「ちょっと寺下くん!お願いだから一度落ち着いて……!」
さつきは周囲の視線を遮るように前に立ち、ハラハラしながら声を潜めた。
「そんなに怖い顔をして、乱暴に声をかけたら、誰も答えてくれなくなっちゃうよ」
「じっとしてられるかよ。ここにすべての原因が溜まってるって言われたんだぞ。のんびり待ってられるかってんだ」
たけしは苛立ちを隠せない様子で頭を乱暴に掻きむしったが、さつきの必死の眼差しに気圧されたように、それ以上無理に突っかかっていくのは辛うじて踏みとどまった。
その横で、さとるはバックネット裏のフェンスに背を預け、複雑な心境で校舎のロータリーを見つめていた。
白球を追ういつもの日常とはあまりにかけ離れた、異様な緊張感が胃の奥をきりきりと締め付ける。
投手としてバッターボックスの動きを凝視するように、さとるは全神経を校門を行き交う生徒たちの顔触れへと集中させていた。
賑やかだった生徒の波が徐々に引き、ロータリーに長い影が伸び始めた、その時だった。
突然、たけしが短く悲鳴のような声を上げ、その場に激しく背中を丸めた。
「っ……い、いててて……っ!」
両手で自分の背中を強く押さえ、たけしは脂汗を浮かべて歯を食いしばる。
肉体が引き裂かれるような、強烈な激痛が彼の背中を襲っていた。
「寺下くん!?大丈夫!?」
さつきが驚いて顔を覗き込む。
さとるも慌ててたけしの肩を支えた。
さつきとさとるの身体にも熱や疼きが連動し始め、三人は身構えた。
たけしは顔を真っ赤に引きつらせ、それ以上の思考を強引に打ち切り、ただただ溢れ出そうとする悲鳴を必死に堪えるように、ぐっと拳を握りしめて痛みを堪え忍んだ。
「くそっ……!痛え、なんだこれ……っ!」
二人が痛みに耐えるたけしを必死に支えようとしていた、まさにその直後だった。
「……あの子だ」
さとるが周囲の空気を切り裂くように、低く呟いた。
さつきと、痛みを堪えて辛うじて顔を上げたたけしの視線が、さとるの視線の先へと一斉に向かう。
生徒の波がすっかり途切れた頃、一人で校門を出てくる女子生徒がいた。
長く艶やかな黒髪をストレートに下ろし、周囲の空間から完全に浮き上がっているような、ひどくクールな雰囲気を纏っている。
小脇に抱えたスクールバッグ、制服の着こなし、その歩き方一つにも、触れれば切れるような凛とした品格と、人を寄せ付けない圧倒的な冷たさが同居していた。
間違いなく、彼女が「村上めい」だ。
三人は短く顔を見合わせると、固くなった身体を突き動かすようにして歩き出し、彼女の進路を遮るようにしてその前に立った。
「あの……村上めいさん、ですよね?」
さつきが恐る恐る声をかける。
めいはピタリと足を止め、感情の失せた無表情な瞳で三人を見下ろした。
「……何?あなたたち」
その声は、氷のように冷たかった。
「俺たちは、あんたと同じ『痛み』を持ってる仲間だ。あんたのSNSを見た。俺たちも……」
たけしが背中の疼きに堪えながら、必死に言葉を紡ごうとする。
しかし、めいはその言葉を最後まで聞こうともせず、ふっと冷ややかに鼻で笑った。
「痛み?SNS?何の話か分からない。人違いじゃない?」
「そ、そんなはずない!君のアカウント、確かに……」
さとるが食い下がるが、めいは表情一つ変えず、冷淡に言い放つ。
「迷惑なんだけど。そこどいてくれる?」
歓迎される、あるいは少なくとも同じ奇妙な現象に悩む者として話を聞いてもらえると思っていた三人は、その一片の隙もない拒絶に激しく動揺した。
彼女は本当に、何も知らないのか。
それとも、自分たちに関わることすら拒むほど、他人に関心のない冷酷な人間なのか。
めいが三人のすぐ横をすり抜け、通り過ぎようとした、その時だった。
「ずいぶんとつれない態度ですね、村上さん」
「え!?」
三人が驚いて振り返ると、いつの間にか校門の分厚いコンクリートの影に、藤原りょうが立っていた。
足音ひとつしなかった。
いつからそこに潜んでいたのか、夕闇に溶けるような佇まいで彼はそこにいた。
「藤原!?お前、なんで……」
さとるが目を見開く。
藤原は普段の学校での姿のまま、静かな表情でめいの前へと先回りして回り込み、その行く手を遮った。
「どいて」
めいが低く威嚇する。
しかし、藤原は一歩も動かない。
「急がないでください。まだ、大事な話が終わっていません」
「話?知らないって言ってるでしょ」
「『知らない』……ですか」
藤原は感情の起伏がない声で、淡々と、けれど確実にめいの逃げ道を塞ぐ最初の一手を打った。
「たった今、彼ら三人と対面した瞬間、あなたの心臓は激しく波打った。胸の奥が締め付けられるように痛んだはずです。……違いますか?」
めいの端正な眉がぴくりと動く。
完全に図星を突かれた反応だった。
しかし、彼女はなおも気丈に顔を背けた。
「……偶然よ。ただの体調不良」
「偶然。なるほど」
藤原はさらに一歩、めいに近づく。
めいは圧迫感に耐えかねるように、無意識に半歩、後ずさる。
「では、これも偶然でしょうか。あなたが裏アカウント『__k.a.g.u.r.a__』で毎晩のように吐露している言葉」
藤原はスマホを取り出すこともなく、すべてを頭の中に記憶している文言を、静かに読み上げ始めた。
「『ごめんなさい。今日もまた、私の痛みが誰かに飛んでいく』」
「……っ」
「『私の血が呪われているから。近づかないで。私を見つけないで』」
めいの顔色が、みるみるうちに蒼白に変わる。
誰にも見せていないはずの、深夜の孤独な叫び。
それを白日の下に晒された耻辱と恐怖に、彼女の呼吸が目に見えて浅くなっていく。
「……なんで、それを……」
「藤原、もういいだろ!嫌がってるじゃないか!」
あまりの追い詰め方に、たまらずさとるが止めに入ろうとするが、藤原はそれを片手で制し、さらに一歩、めいを追い詰めた。
逃げ場はもう、校門の冷たい壁際しかなかった。
「ここからは、少し厳しいことを言います」
藤原の声のトーンが、さらに低く、冷徹なものへと変わった。
「あなたは知っているはずだ。自分の血に流れるものが何なのか。そして、なぜあなたが一人でその痛みを抱え込み、必死に他人を遠ざけているのか」
「うるさい……関係ない……!」
「関係ないはずがありません。あなたは、彼ら三人を『巻き込みたくない』から突き放した。自分だけが孤独に耐えれば、彼らは普通の生活を送れると信じている」
めいが唇を強く噛み締め、両手で耳を塞ごうとする。
しかし、藤原の言葉は容赦なく、その指の隙間に滑り込む。
「それは優しさではありません。ただの『傲慢』です」「……え?」
「あなたは彼らを救っているつもりで、実際には、何も知らない彼らを暗闇に放置しているだけだ。彼らが毎晩、原因不明の痛みに怯え、理由も分からずに苦しんでいるのを、あなたは『知っていながら見殺しにしている』」
「ちがう……っ!私は……!」
「同じですよ。民を見捨てて逃げたという、あなたのご先祖様と。あなたもまた、自分だけがすべてを背負い込んだ気になって、本当の解決から逃げているだけです」
藤原が淡々と放ったその言葉は、めいが最も恐れ、最も自分自身を呪っていた言葉そのものだった。
めいの瞳が限界まで見開かれる。
張り詰めていた糸が、プツンと音を立てて切れた。
「もうやめてよ!!」
悲鳴のような絶叫が校門前に響き渡った。
めいは長い髪を振り乱し、涙に濡れた目で藤原を、そして呆然とする三人を睨みつけた。
「なんで……なんでそんなに私のこと追いかけるの!?関係ないって言ってるでしょ!私が一人で我慢すれば済むことなのに……っ!」
その刹那だった。
さつき、さとる、たけしの三人に、これまで感じたことのない、鋭く、そしてどこか懐かしい痛みが走った。
それは肉体の痛みではない。
魂が千切れるような、切実な悲しみそのものだった。
同時に、めいの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「うっ……ひっく……」
めいはその場に力なくしゃがみ込み、子供のような嗚咽を漏らし始めた。
アスファルトの地面に、涙の跡が点々と広がっていく。
「私のせいだから……みんなを、巻き込みたくなかったのに……っ!でも、誰かが本当のことを書いておかないと、みんな嘘になっちゃうって……そんな気がして、止まらないの……」
彼女の拒絶は、冷酷さからではなかった。
「自分に関われば、この人たちも呪われてしまう」という、彼女なりの必死の守るための嘘だったのだ。
たけしは、自分の胸を強く抑えた。
痛みではない。
もっと熱い、体の奥底からこみ上げるような強い衝動。
目の前で泣き崩れる彼女の涙が、自分の心臓と直接共鳴しているような、不思議な感覚。
「ああ……そうか。おまえ、ずっと一人で……」
三人は戸惑いながらも、自然とめいを囲んでいた。
さつきが隣にしゃがみ込んでその細い背中を優しくさすり、さとるが呆然と立ち尽くす中、たけしは身体を突き動かされるようにして、そっとめいの身体を抱きかかえた。
「もういい。もういいから……一人で背負うなよ、バカ野郎」
その不器用で温かい腕の中で、めいは声を上げて子供のように泣きじゃくった。
藤原は、ふぅ、と小さく息を吐き、ようやく安堵の表情を浮かべた。
「……村上さんが心を解放してくれないと、四人の魂は共鳴しませんでしたから。……生意気なことを言って、申し訳ありません」
汚れ役を買って出た藤原の目論見通り、四人の「魂」は、涙と痛みの中で、ようやく本当の意味での再会を果たしたのだった。




