十三話 「名前」
## 第十三話 「名前」
金曜の夜。
閉店後の店内は静かだった。
店長は先に上がり、残っているのは悠真と春翔だけ。
「今日、そこまで混まなかったっすね」
「金曜にしては平和だった」
「毎週こうならいいのに」
春翔がカウンターを拭きながら笑う。
その横顔を見て、悠真は少しだけ目を細めた。
最近、本当にだめだ。
気づくと見ている。
声を探してる。
いるだけで安心している。
そこまで考えて、
悠真は小さく息を吐いた。
……認めたくない。
「悠真さん」
「何」
「ぼーっとしすぎです」
「してない」
「いや絶対してる」
春翔が笑いながら近づいてくる。
「最近なんか変ですよ?」
「どっちが」
「俺はいつも通りです」
「そこが問題」
「ひど」
くだらない会話。
でも、終わってほしくなかった。
洗い物を終えた春翔が、ふと口を開く。
「そういや」
「ん」
「俺、最初ちょっと怖かったんですよね」
「何が」
「悠真さん」
予想外の言葉に、悠真は手を止める。
「愛想ないし」
「悪かったな」
「でもちゃんと見てる人なんだなって、途中から思いました」
春翔は少し照れたように笑った。
「ミスしても、ちゃんと見ててくれるし」
「……普通」
「またそれ」
春翔が小さく吹き出す。
「でも、嬉しかったんですよ。悠真さんに褒められるの」
その声が、妙に近く聞こえた。
「なんか、“見てもらえてる”感じがして」
悠真は返事ができなかった。
そんなことを言われたら、
もう“後輩だから”では済ませられない。
「……春翔」
「はい?」
名前を呼んだ瞬間。
春翔が目を丸くした。
「……え」
「何」
「今、名前で呼びました?」
そこで悠真も気づく。
いつもは“お前”とか、“春翔くん”だった。
無意識だった。
「……別に深い意味ない」
「いやありますって」
春翔が少し嬉しそうに笑う。
「初めてじゃないですか?」
「……たぶん」
「やば。ちょっと嬉しい。」
その顔。
その声。
全部ずるい。
悠真は視線を逸らしながら、小さくため息をついた。
「お前、ほんと反応素直だな」
「悠真さん相手だと、たぶん」
一瞬。
空気が止まった。
春翔自身も、言ってから気づいたらしい。
「あ、いや……」
「……帰るぞ」
悠真は逃げるようにロッカーへ向かう。
心臓がうるさい。
でも後ろから、小さく笑う声が聞こえた。
「悠真さん、耳赤いです」
「うるさい」
たぶん今、
一番余裕がないのは自分だった。




