更なる軍艦の購入と龍岩浦事件
日布連合はこれまでに軍拡を押し進め英国製の富士型戦艦2隻、敷島型戦艦4隻、浅間型装甲巡洋艦2隻、出雲型装甲巡洋艦2隻、ドイツ製装甲巡洋艦八雲、フランス製装甲巡洋艦吾妻の戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻を有する六六艦隊の整備を行なっていた。
これらの戦力は欧州の大国が派遣し得る戦力を迎撃する場合に必要とされた艦艇数で主に対露を見越しての戦力であった。
これらの他にも防護巡洋艦須磨型2隻、須磨改良型2隻、笠置型2隻、新高型2隻、音羽型2隻の防護巡洋艦10隻、千早型水雷砲艦4隻、伏見型砲艦2隻、宇治型砲艦2隻、通報艦6隻、駆逐艦30隻、水雷艇50隻、給炭艦10隻、その他の運送艦等20隻、工作艦4隻、病院船2隻の軍備の整備を進めていた。
日布連合は経済規模が増していることもあるがやはり広い太平洋及び中国権益保護のために輸送艦、通報艦、砲艦が史実よりも整備されることになった。
そして遠い南米でもABC三国と呼ばれるアルゼンチン、ブラジルチリも軍拡競争を繰り広げていたが三カ国とも身の丈に合わない軍拡を繰り広げていた為経済が疲弊していた所英国が仲裁に入り各国の海軍拡張を一時的に止める方針になりある軍艦達が買い手がつかず宙に浮くことになった。
チリはイギリスアームストロング社にコンスティトゥシオン級戦艦2隻、アルゼンチンはイタリアアンサルド社にジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦2隻を発注していたが協定が結ばれた為2社とも新たな買い手を探す事になった。
勿論日露両国共に購入の為の申し入れを行う事になった。
特に日本は英国より両社の艦艇を買い取りを内々に打診されておりなんとしても手に入れたい所であったが国内情勢がそれを許さない状況であった。
この時明治36年度予算の審議途中でロシアからの妨害も激しく、外交交渉を纏められるか怪しい雲行きとなり、野党もまた己の勢力維持のために予算案に対抗するという事を繰り返していた。
だがここで今上天皇陛下が対露戦のために必要であれば宮中の予算を回す事も構わないと内々に桂太郎首相に申し入れ桂首相も野党の各党首を説得して回った結果なんと予算案を承認する事に成功した。
だが国内問題が解決できても外交交渉の方が暗礁に乗り掛かってしまっていた。
交渉途中でロシアが意図的にあらゆるルートでの妨害を仕掛けてきたのだった。
イタリアで建造されていた装甲巡洋艦はなんとか購入出来たもののイギリスで建造されていた戦艦は一進一退の攻防を繰り広げていたが最終的にはロシアよりも高額の支払いを提示した事で購入に成功する事になる。
チリ向け戦艦2隻及びアルゼンチン向け装甲巡洋艦2隻の購入に成功する。
装甲巡洋艦は春日型と名付けられ戦艦2隻は橿原、丹生と名付けられ日本に向かって回航される事になる。
回航の際日露関係はいつ開戦してもおかしくない情勢だった為ロシア軍艦がこの4隻を追跡し開戦なった場合は即座に撃沈する構えを取っていたが同盟国である英国艦隊が護衛を行った為ロシア艦隊も追跡を諦め無事に日本に回航された。
これで連合海軍は戦艦8隻、装甲巡洋艦8隻その他防護巡洋艦や駆逐艦を主体とした極東一の海軍力を保有する事になる。
それに加えて陸軍は16個師団を有し日露情勢の悪化を受けて17、18師団も創設し陸海軍共に万全の構えを取っていた。
ただし、陸軍は準備を続けていく中で八甲田山にて雪中行軍訓練を行なっていた際に第8師団歩兵第5連隊が遭難、210名と199名が亡くなる事件も発生してしまったが…………
そんな中ロシア帝国は大韓帝国における森林伐採権を悪用し鴨緑江河口の龍岩浦に軍事基地の建設を開始した。
ロシアのこの拡張政策は遼東半島割譲以上に冒険的であり日英は勿論ドイツの警戒も招く事になった。
これと同時にロシアは韓国との間に龍岩浦租借条約を締結、租借地として更なる軍事基地化を推し進め始めた。
日本政府は韓国政府、ロシア政府に猛抗議を行うと共に韓国政府には最恵国待遇を約束している諸外国との条約に反しているとし即座にこの条約の破棄を求めるのだった。
この龍岩浦事件がきっかけとなり日露関係は開戦に向かって突き進んでいく事になる。




