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波濤の王冠 カラカウアの遺産  作者: ゆうき
日清日露戦争 連合王国の更なる飛躍
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日英同盟締結

日清戦争終結後日本政府は賠償金を受け取った事で国内開発の進展、軍備の拡張を一挙に行う事が出来ていたがその他にも賠償金を受け取った事で行えた政策があった。

清国からの賠償金を元手にした金本位制の導入であった。

改革後新貨条例に基づいて金本位制を導入したものの大幅な貿易赤字で金が流出する一方であった。

その代わりメキシコ産の銀が安価に流入し、東アジアでの貿易決済は銀が中心であった事もあり日本は金銀複本位制とも言うべき状態となっていたがネバダにて発見された銀山から大量の銀が採掘された事で銀価格が下落、各国金銀複本位制から離脱し金本位制一本となっていっていた。

日本も例外ではなく金本位制一本で行こうとしていたが金準備が足りず国内の物価も上昇し国民生活も苦しくなっていっていた。

そこに日清戦争の勝利と大量の賠償金がやってきたのである。

賠償金自体は1895〜99年の間に分割して受け取る事となっていたが支払い開始から3年経った1898年に時の大蔵大臣松方正義が準備は整ったとして本格的に日本も金本位制を導入した。

またそれと同時に金本位制を前提とした貨幣改革をお進めるべく貨幣法を制定、日本本土及び台湾、南樺太、ハワイ王国にて新たな通貨が流通を始める事になった。

但し一部では発行が間に合わないため規格に合う寛永通宝やハワイ王国通貨なども引き続き使用される事になった。

また1900年には当時先鋭化し始めていた労働運動の取り締まりを行うべく治安警察法を制定、不穏分子の取り締まり開始した。


そして国内開発も引き続き進められこの頃には全国の主要都市を結ぶ路線がほぼほぼ完成し各路線の改良工事や私鉄がまだ建設されていない地域の鉄道路線の建設などを推し進める始めた。

国内産業も八幡、釜石製鉄が本格的に稼働を開始、呉、横須賀のドックの拡張も完了し始め船舶に使用する鋼鉄も国産化に成功した事で巡洋艦サイズの軍艦であれば国産で大量生産する事に成功していた。

またこの頃には村田銃の後継として30年式歩兵銃を陸軍では採用し量産を進めていた。

また海軍ではフランスで開発されたピクリン酸を使用したメリニットのサンプルを研究し純粋ピクリン酸を使用した下瀬雅允技師が開発した下瀬火薬を導入、爆発力が高く強い燃焼制を有する列強各国が使用している火薬と比べても高威力な物を導入する事に成功していた。

ただ当時の火薬充填技術の未熟さもあり下瀬火薬を搭載していた艦艇の腔発事故、分かりやすく言うならば自爆事故も発生してしまう事になるが…………


そしてアジア情勢は露清間において結ばれた密約によって大きな荒波が立ち始める事になる。

この密約によって日本が返還した旅順大連の租借をロシアに認める条約及び露清密約が締結されていた。

密約の内容は日布連合がロシア及び清国のどちらか一方に侵攻した場合は共同で防衛にあたると言う物であったがその他にも戦時には清国の港をロシアに全て開放する事、黒竜江省吉林省を経由してウラジオストクに至る鉄道の建設権、この鉄道による軍隊の自由な移動の権利を認めていたロシアに極めて有利な条約であった。

また後にこれら東清鉄道と東三省鉄道の接続を認めさらに鉄道周辺の土地を鉄道附属地としてロシアに租借することを認める条約となった。

この密約は極東に進出を狙うロシアにはいい口実となり鉄道付属地といいながら鉄道からかなり距離の離れた地まで付属地としてロシアは租借権を認めさせ満州はロシアが勢力を広げていく事になる。


そして当時の日本国は元老を含め政府内でどの列強と手を組むかで論が2分されていた。

伊藤博文や井上馨らは満韓交換論に基づき満州をロシアの勢力圏、韓国を日本の勢力圏とする日露協約構想と山縣有朋、桂太郎、西郷従道らの日英同盟構想とに分かれていた。

日露協約派としては韓国が保持できれば日本の安全は保障され国力10倍のロシアとの戦争を避けられると言う物だった。

実際ロシアとは山縣・ロバノフ協定や西・ローゼン協定を締結し朝鮮、満州の権益の分割を図っていたが日露対立は日増しに悪化していき朝鮮半島の馬山浦に単独租界を設置しようとした事で対立は深まっていた。

露清密約の内容は諸外国には発覚していなかった物の日本が手放した遼東半島を租借した事でロシアの南下政策の目的は明らかとなり朝鮮半島が日本としては絶対必須の生命線と考えていただけにこれらロシアの行動は見過ごせない物であった。

そして日本の同盟国候補と考えられていた英国もロシアの南下政策に単独で対抗する事が難しくなり焦りを覚えていた。

1896年頃からドイツが世界政策と称してアフリカや清国に進出を強めていた事も大きかった。

この頃から植民地大臣のジョゼフ・チェンバレンは栄光ある孤立政策を放棄しない限り英国の清国利権は英国にとって不本意な形で決定されると提唱するようになるなど英国自身も同盟相手を求めていた。

1900年頃から日英間にて同盟交渉が開始され、その時点で日本政府は日露協約構想を諦め日英同盟一本に絞り交渉を開始した。

英国としては日布連合成立の頃から日本に好意印象を抱いていた事もあり同盟交渉はとんとん拍子で進んでいき1901年、日英同盟締結が世界に向けて発表された。

第一次日英同盟の内容は片方が侵略的国家と戦争に突入した場合片方は好意的中立を保つ事、戦争にもう一カ国が参戦した場合は即座に参戦する事が取り決められた。

また秘密条項として対露及び対米において日本は半分以上の排水量の海軍力を整備する事、また日本側から対露戦は日本単独で戦い抜くことが説明された。

日英同盟は後の対露戦において英国は中立をとりつつ日本側に諜報など様々な面で便宜を図っていく事になる。


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