対露戦に向けて
日清戦争に勝利した日布連合であったがロシア、フランスの介入を受けて一部要求を飲み込まざるを得ない状況に陥った。
国内では臥薪嘗胆の言葉が流行、ロシアへの敵対心が特に強まることとなった。
日清戦争時点では日本はイギリスに富士型戦艦2隻を発注しているため鹵獲した定遠級と合わせて4隻の戦艦を保有する事になるがそれでもロシアに単独で対抗するのは厳しく更なる海軍の拡張を計画していく事になった。
1895年、具体的な軍備拡張計画を整え戦艦1隻、1等巡洋艦2隻、2等巡洋艦6隻、水雷砲艦1隻、駆逐艦24隻、水雷艇40隻、通報艦6隻、運送船兼給炭艦8隻が第一期として拡張が策定され建造が開始されたがロシアもバルト海にて大規模な建造を開始しつつアメリカ、フランスにも艦艇を発注してそれらの艦艇を全て極東に回航して太平洋艦隊を増備する構えを見せたことからさらに計画を改定し1896年には第二期拡張計画が策定された。
第二期では戦艦3隻、1等巡洋艦4隻、防護巡洋艦8隻、駆逐艦46隻、水雷艇60隻、通報艦6隻、運送船14隻、工作船3隻、病院船3隻の建造を計画した。
ここまでの拡張計画を実行した場合1904年には最新鋭の戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻、防護巡洋艦14隻を数え極東において列強一国と戦争になった場合でも十分対抗可能な艦隊が完成する事になる。
拡張計画以前に保有していた艦隊も含めれば極東においては単独で対抗するには本国を空けてでも大艦隊を回航せねばならずそれだけで相手国の負担となる艦艇数であった。
特に日清戦争で鹵獲した艦艇達は最新の物もありこれらの戦力が揃うまでの空白を埋める事も可能であった。
陸軍は日清戦争終結時点では近衛、第1〜7師団を創設し戦争に臨んでいたが来る対露戦においては兵数が不足することが予想されるため第8〜16師団までが拡張される事になった。
また国境を接する樺太では地上戦が予想されたため北海道、南樺太の屯田兵を即座に動員、戦線に投入するべく臨時屯田兵旅団を日露開戦後速やかに編成するための準備を行なった。
また重砲、工兵の拡張を進めていた。
ロシアが旅順を租借後に要塞を建設し始めたと情報を参謀本部が入手し、要塞攻略のために必要な攻城砲の整備も追加で進めていく事になる。
これら攻城砲は要塞砲として結局は整備される事になるがそれら要塞砲が旅順攻略に役立てられるのは後の話である。
また陸海軍共通として広大な太平洋において円滑に偵察活動を行うべく新兵器である気球に目を付け、気球にて航空偵察を行うべく1899年には陸海軍共同で気球部隊を創設する事になる。
また海軍は艦艇整備の他に舞鶴、大湊を鎮守府に昇格、呉、佐世保、舞鶴、横須賀、大湊の乾ドックを拡張、ハワイ真珠湾にも中規模修繕を行えるドックの建設を行なった。
また連合を組むハワイ王国ではハワイ旅団を創設、沿岸警備隊レベルではあるが水雷艇規模の艦艇を10隻ほど揃え領海警備に活用していく事になる。




